25 臓器提供者マ―ラの願いはただ一つ

 ドアを叩く音がする。

 回廊側のドアの上、明かりとりの窓から朝日が差し込んでいる。この土壁の小さな部屋には、外側に向かって開かれた窓がないのだ。

 

 もう一度ドアを叩く音がした。

「はーい」

 成田毅は上半身を起こして、声を張り上げた。男の声がする。成田はベッド脇の机に置いておいたヘルメットを被り、音声通訳装置を起動させた。

「成田兵士、桂木ドクターに面会者です」


 ドアを開けると、昨夜世話をしてくれた兵士が立っていた。

「桂木ドクターに会いたいと行政庁の事務官が来ています」

「そうか、早いな」

 成田は回廊に出て、中庭を見下ろした。金髪の若い女が見上げている。目が合うと、女は頭を下げた。

「ドクターとは連絡がつきませんでしたので、あなたに伝えました」

「わかりました」


 成田はスパイダーの中にいる桂木ドクターを呼びだした。

「お早うございます。これから、そちらに伺うところだったんです」

「ドクターに面会希望者がきています。行政庁の事務官だと名乗っています」

「桜子さんと、すぐそちらに行きます」


 成田は中庭に下りて行った。行政庁の女事務官が会釈する。長身の北欧系の美しい女だった。

 成田は入口まで行き、桂木と桜子を出迎えた。

「あの女性です」

 成田は女を振りかって言った。

 桂木は女事務官の所へ歩き、桂木です、と名乗った。

「行政庁事務官のマ―ラです」

 女はそう言って、桂木に頭を下げた。

「どこか、二人で話のできる部屋はないかしら」

 女は兵士に尋ねた。

「三階の個室が空いています。そこでよろしいですか」

「お任せします」


 女は三階の個室に桂木と入ると、ドアを閉めた。成田はドアを開けて中を覗いた。

「二人だけにしてください。大事な話があるんです」

「マ―ラさん、それはできません。わたしは、ドクターの護衛兵なのです」

 マ―ラは、桂木を鋭く見つめた。

「あの人たちは、大丈夫です。手術では、わたしの助手を務めます。今は、わたしたちは一身同体なのです。重要な話であるならば、なおさら二人にも聞いてもらわなければなりません」


 マ―ラは、成田と桜子を個室に引きこむと、回廊に顔を出して左右を見回した。

「これからわたしの話すことを、誰にも話さないと約束していただけますか」

「わかりました。約束します」

「わたしは、ローランのドナーです」

「あなたが……」

 桂木が壁を背にして椅子に座った。マ―ラは丸テーブルを挟んで桂木と向かい合って座る。


「わたしは、ローランを敬愛しています。ローランは皆から愛され、尊敬されるている尊い人なのです」

 桂木は、テーブルに肘をつき、唇に手を添える。

「それが、あなたがドナーに志願した理由ですか」

「多くの人が志願しました。その中で、わたしが選ばれたのです。その理由は明白です。わたしは、不治の病にかかっていて、長くは生きられないからです」

「病って、何?]

「脳腫瘍です」

「どうして、そんなことが、あなたに分かるのですか」

「ジュンガルに来る前に、病院で開頭手術を受けたことがあるんです」

「何年前ですか」

「二年前です」

「二年前……」

 

 桂木は腕を組むと、成田に視線を回した。

「ローランは、仕事のできる人物を登用する人なんです。わたしは、西の国で行政の仕事をしていました」

「ドナーになるより、自分の治療をする方が先でしょう」

「それが、もうできないんです。腫瘍が記憶中枢に接触していて、どうすることもできないのです。もし、命を取り留めても、わたしの記憶がすべて失われるでしょう。それは、わたしにとって死ぬことより辛いことなんです」


 マ―ラは立ち上がるとドア口まで行き、ドアを開けると再び回廊を見回した。

 そして再び、桂木の前の椅子に戻り、小さな吐息を洩らした。

「わたしが、ためらったら、ローランは自らの死を選ぶでしょう。わたしの命を取ってまで、生きようとはしないからです」

 

 マ―ラはテーブルに一枚の写真を置いた。

 その写真には、マ―ラの笑顔と若者の笑顔が並んでいる。

「わたしの夫です。ガルバンとの戦いで戦死しました。彼との思い出を失うことは、死ぬことより。辛いことなんです」

 桂木は腕を組んで目を閉じた。


「マ―ラさん、あなたの記憶をローランに移植できるとは、かぎりませんよ」

「わたしが、ためらったら、ローランは自分の死を選ぶでしょう。そうなったら、あなたがたの大事な人、寺島綾人はどうなるかわかりませんよ」

 マーラは歪んだ笑みを浮かべた、彼女の言葉は脅迫に近かった。

「ローランはわたしの命を受け継ぐ、わたしの夫への想いは、ローランの体の中で生き続ける」


 桂木は立ちあがった。

「あなたは、自分が何を言っているのか、分かっているの」

「ドクター、これは、わたしの命を賭けた、最後の闘いなのです。わたしの願いはささやかなものです。わたしの夫への想いは、ローランの脳の片隅で、記憶として、ひっそりと残っていく。それだけです。もし、記憶の移植が叶わなくても、わたしは満足です。わたしは、夫への愛の誓いを果たせるからです」


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