4 ドクター桂木が出した三つの条件

 桂木奈津子は、仮眠室で眠っていた。

 室内にアラームが鳴り響いた。戸倉絵美が別室で鳴らしたのだ。乱暴だが、桂木を起こすには手っ取り早い方法だ。桂木はびくつくと目を開けて、上半身を起こした。

「あなた、だれ?」

 彼女は盗人を見るような目つきで桜子を見つめた。

「急患ではありません。ご安心ください。桂木奈津子ドクターですね」

「そうだけど……。あなたは何者? ここで、なにをしているの」

「寺島ホールディングスの者です。ドクターにお願いごとがあって伺いました。急いでいましたので、突然失礼しました」

 ここに来るヘリの中で、何度も練習した最初の挨拶を言い終えて、桜子はまず胸をなでおろす。

 

 桂木はベッドから下りると、窓際のテーブルに行き、マグカップにコーヒーを注いだ。コーヒーを一口飲んで、桜子に顔を向けた。桜子の返事を待っている。

「実は、緊急事態が起きまして、ドクターのお助けをお願いしたいのです」

 しまった。「お助け」ではない。考えていたのは、「ご協力」だ。でも仕方がない。話しを続けよう。

「寺島グループの次期後継者、わたしの婚約者ですが、外国で拉致されまして、最高指導者の臓器移植と交換に開放すると、通告してきたのです。それで、執刀医に桂木ドクターを指名してきたのです」

「参ったなー。わたしは忙しいんだ。ところで、それ、本当の話なの」


「本当です」

 ドア口で門倉の声がした。

「夜分、申し訳ありません。明日の朝には、東京を発たなければならないのです。どんな条件でもお聞きします。承諾してください」

「今日は、二件の手術を予定している。難しいですね」

「わかりました。その二件の手術、わたしがなんとかしましょう。その他に、何か問題がありますか。わたしたちが信じられないのでしたら、直接企業連合総裁からお話しても、よろしいのですが」

「よく事態が呑みこめないわ。どうして、わたしなのかも、わからないし、あまりに、突然で突飛な話なので。それに、それ、あぶない話なんでしょう?」

「警護の兵士をつけます。それに、最新鋭の戦闘用AIロボットを同行させます」

 戸倉は、桂木にジュンガルから指示された八つの条件が書かれたペーパーを渡した。

「総裁の孫を拉致したのは、中央アジアにあるジュンガルという集団です。そのペーパーの条件を見てお分かりと思いますが、彼らは安全に迎い入れる用意があると思います」

桂木はペーパーから目を上げて呟いた。

「記憶移植って、何……」


 わたしの出る幕がない。門倉もなかなかやるではないか.

「わたしも、コーヒーいただいても、よろしいですか」

 桜子は、小さな声で訊いた。どうぞ、と桂木が答えた。

「助けにいかなければ、わたしの婚約者は殺されてしまいます。ドクターに承諾していただけなければ、わたしは、最愛の婚約者をなくしてしまいます。それは、わたしが命を失うより辛い……」

 桜子は、コーヒーカップにコーヒーを注ぎながら呟いてみた。


 ああ、わたしは、なんという演技者だ。自分の唇に憎悪感を感じる.

 桜子は思わず吐息を洩らした。


 桜子の吐息を錯覚したのか、桂木は腕を組んで天井を見上げた。

「しかたが、ないか……。わたし、弱いんだ、その言葉に」

 彼女もなかなかの演技者だ。

「一つ条件があるわ」

 桜子は、あわてて、戸倉の隣に並び、桂木の顔を窺った。

「わたしの娘が心臓移植の順番を待っている。順位は十一なの。間に合わないかもしれない。一位にしてもらいたい。わたしも、娘の命はわたしの命より大事だから」

「わかりました。すぐ手配します」

 戸倉が即答した。

 

「救出チームのリーダーは、どんな人ですか」

「わたしです」

 桜子が毅然とした態度で胸を張った。

 桂木は溜息をついた。その音が桜子の耳に突き刺さる。

「それでは、後二つ、追加でよろしいでしょうか」

「なんです?」

 戸倉が桜子の前に出て訊いた。

「一つは、わたしの警護に、成田毅を起用してほしい」

「成田毅? 何者です」

「今、小笠原の南方の海域で、防衛の任についている、寺島軍団の兵士です」

「わかりました」

 桜子は、即座に答えた。どのような条件でも呑むつもりだ。

 戸倉はタブレットを出すと、検索を始めた。

「数時間まえに、小笠原の防衛戦線が攻撃を受けたのです」

 そう呟くと、彼女は桂木を見つめた。

「もう一度、言ってください。名前は成田、何といいました」

「成田毅です」

「攻撃された戦線で、任務についていますね」

「もちろん、無事ですよね」

「まだ、わかりません」


「最後の一つは何です」

 桜子は早口で尋ねる

「成田毅の相棒、ロボットのジャンも同行させてください」

 門倉がタブレットの画面をスクロールする。

「残念ですが、ジャンは破壊されました。今は鉄屑です」

「じゃあ、この話はご破算ね」

「ドクターは、ジャンのハードのことを言っているのですか、それとも記憶のことを言っているのですか」

「勿論記憶です」

「それなら、大丈夫です。ジャンの記憶は、情報管理センターのハードデスクに保存されています。新しい個体に、記憶を導入できます」


「もう一度確認しますけど、どうして私なんですか」

 桂木の問に戸倉が即座に答えた。

「相手があなたを指名したのです。その理由はわかりません。ただジュンガルに来るときは、記憶移植手術に必要な医療器具すべてを使用できる状態で運んでくるように指示されています。それと関係があるかもしれません」

 桂木は腕を組んで天井を見上げた。

「その準備はできますよね」

 戸倉は桂木に念をおす。

「寺島グループのバックアップがあれば、なんとかなるでしょう。ただ、もし記憶移植に失敗したらどうなります」

「その心配は大丈夫だと思います。現地に行ってみればわかります」

「なるほどね。出たとこ勝負というわけだ」


 さっぱりわからない。桜子は腕を組んで戸倉を睨みつけた。そんな重要なことをわたしに隠していた。こんな状態で、ジュンガルに行って本当に大丈夫なのだろうか。

「さあ、準備にかかりましょう。なんでも指示してください」

 戸倉は仮眠室のドアを開けて、桂木に頷いてみせた。

「桜子は、ここにいて」

 戸倉は桂木と共に廊下に出ていった。


 桜子は大きな溜息をついた。本当に大丈夫なのだろうか。

 二、三分して、戸倉だけが戻ってきた。

「桜子、わたしが、これから言うことを全部記憶しておいてね」

 桜子は不機嫌な顔を隠さず戸倉を睨みつけたまま頷いた。

「わたしは、これからここの管理者に桂木ドクターの二件の手術、娘さんの心臓移植手術を順位をあげることの交渉をする。それからドクターの三カ月の休暇の了承をお願いする。それを終えたら、臓器移植手術に必要な機材一式を準備して、府中に輸送する」

 話が途切れたので、桜子は、はい、と返事をした。

「あなたは、何をすればいいかわかりますか」

「今、考えているところです」

「これから向かう中央アジアの風土のことを考えて、生活用品一式、食糧、水など必要な物いっさいを用意しなければならないでしょう」

「はい」

「それから、護衛用ロボット、現地での輸送用機も手配して」

「わかった」

「その前にやることがあることを、知っているでしょうね」

「まさか……」

「そのまさかよ。小笠原に飛んで、成田毅という爺さんを一刻も早く府中に連れて来ることよ。その爺さんが来なければ、この計画はご破算になるよ」


 荷が重い。溜息が漏れる。

「さっさと、府中に戻って。時間がないよ。いい? 早く帰ってきてよ。やることが一杯あるんだから。わたしが、府中から小笠原に飛ぶ飛行機を手配しておくから」

 戸倉はそう早口でまくしたてると、仮眠室を出ていった。

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