3 戦友にさよならの敬礼を
「伏せろっ」
ロボットスーツが反応する前に、背中から圧力がかかり、
成田の体に覆いかぶさっているのは相棒のジャンである。
彼の外皮を覆うナノファイバーの焦げる匂いが鼻をつく。空気が熱い。ジャンの献身的な行為に、感謝しなければならない。ジャンは体長三メートル、二足歩行の戦闘用ロボットである。戦友であり、相棒なのだ。
成田は呼吸を整えながら、本部からの指示を待った。
「待機せよ」
雑音の混じった低い声がヘルメットの中で聞こえる。
「ジャン」
問いかける。返事がない。
「ジャン、大丈夫か」
返事がない。
遠くから、巨大な建造物が崩れおちる金属音が聞こえた。
耳を澄ます。近くから、微かにうめき声が聞こえる。ジャンの下から抜け出そうと考えたが、思いとどまった。二次攻撃があるかもしれない。
激しい耳鳴りがして意識が遠くなる。
時間の経過が分からなくなる。十分経ったのか、二十分経ったのか、それとも一時間経ったのか。
「64029821、ナリタ タケシ。周囲の状況を確認し、報告せよ」
女の声がした。
「了解」
成田は辛うじて返答する。
「どうした、気分が悪いのか」
「いえ、……ジャンからの返答がありません」
「あなたの相棒は破壊された。機能停止です」
「二次攻撃はありますか」
「その可能性は、ない」
「現在、ジャンの下にいて、身動きできないのです」
小刻みに呼吸をしながら、ほふく前進する。頭をジャンの下から出した。
空気は熱く爛れている。周囲を見渡す。プラットホームには、十体のロボットと兵士が十人いたはずだ。見えるのは、ロボットたちの残骸と、成田の傍にいる黒こげになった瀕死の兵士が一人いるだけだ。八人の兵士たちは、海へ吹き飛ばされたのだろう。
それから十五分ほどかけて、成田はジャンの下から抜け出した。
大の字になる。背中に激痛が走った。
背中を少しずらして空を見上げる。無数の星たちが煌めいている。ヘルメットのシェルターを上げる。天空の星たちは一斉に光を強め、瞳の中に降り注いでくる。
手の届くところに、瀕死の兵士が横たわっていた。他の兵士のように海に飛ばされなかっただけ幸せである。海に散った兵士たちは、探索されることはない。そのまま水葬とみなされるだけだ。大気中で死にたいか、それとも海中で死にたいか、と問われれば、即座に大気中と答える。
プラットホームの端に一本だけ照明灯が残っており、周囲を柔らかく照らしている。浮上式プラットホームはまだ揺れている。相棒のジャンは、頭部から背中にかけて、紫色の煙に覆われていた。
成田は七十歳になったとき、寺島軍団に入隊し、この南方方面本部に配属されてきた。ジャンとは、二年間この南海の戦地で仕事をしてきた。彼にとって大切な相棒だった。
「本部、本部、報告します。建屋はすべて破壊されました。プラットホームには、照明灯が一つだけ残っています。ロボットはすべて破壊されているもようです。確認できる負傷兵が一人、至急救助お願します」
「了解。現在、そちらに向かっている」
体中が熱い。ロボットスーツの着脱ボタンを押して、背中の外皮を剥がした。背中が火で焼かれたようにジリジリする。
上半身を起こし、周囲を見渡した。遥か南西の遠方に、資源掘削用プラットホームが黒煙の中に見える。巨大なクレーンが悶えうつ大蛇のごとく蠢いている。
掘削用のプラットホームが狙われたのだ。その余波がここまで及んだのだ。
南太平洋には、六つの国があり、緩やかな連合国家を形成していた。
2050年代に入ってからレアアース資源を求めて公海を北上し、その勢力は日本領海に接していた。かの連合国は日本と全面的な戦争状態になることを望んでいない。日本政府は表向きそう説明していた。かの連合国は攻撃の事実を否定するだろう。攻撃をする可能性のある組織集団は、ほかにもいくらでもあるからだ。
ただ、かの連合国は日本のレアアース生産量を減らすだけで、巨万の富を得ることも事実である。
軍事用物資運搬用の大型ヘリが、小笠原方面から飛行してくる。
頭上でホバリングしながら、サーチライトでプラットホームを照らす。大型作業ロボットが二体吊り下ろされた。彼らは着地すると、自ら吊り金具を外し、ヘリ着地用の場所の片づけを始めた。
ヘリが着地する。
戦闘用ロボットが四体降りたあとに、兵士が三人医療用バックを抱えて着地した。そのうちの一人が、成田にヘルメットのサーチライトを向け、まっすぐ歩いてくる。
「どこか、やられた?」
女の声だった。ヘルメットの中に深い皺を刻んだ女の顔があった。
「背中が、痛い」
彼女は背中に回って手を添えた。
「他に、どこかやられていない?」
「多分。相棒が助けてくれたからね」
成田は足元で煙を上げるスクラップを指さした。女兵士は無言で頷くと、成田のロボットスーツの胸部を剥がし始めた。
「火傷している。でもたいしたことない。重い日焼けていど」
彼女はアンダーシャツを脱がせようとシャツの裾に手をかけ、引っ張りあげようとした。成田は、悲鳴を上げる。彼女は吐息をつき、バックから医療用挟みを出して、シャツを下から切りはじめた。
剥がし終えると、次に脚部スーツの剥がしにかかる。今度は脚に痛みが走り、再び悲鳴を上げた。彼女はわたしの顔を覗きこんで、にやりと笑った。
「あんたは、運がいい。最高の相棒にめぐり会えたからね」
鈍い音を立てて、ロボットスーツの脚部が転がった。
ロボットは兵士の護身用に作られてはいない。もっぱら攻撃用に設計されている。兵士の指示に従って行動するのだ。だから、ジャンの自律的行動は異例のことだし、このことが顕在化すれば問題となるかもしれない。
2050年代、東中国連合共和国の小さな都市国家で、自律型ロボットの反乱が起こった。その国家では、ロボットが働き、人間はその果実を無償で獲得していた。ある消息筋によると、反乱はロボットが人間を軽蔑しだしたというのが原因だったという。本当かどうか、わからない。そのことがあってから、各国において、自律型ロボットはすべて破壊され、以後生産されなくなった。日本においても、それ以来ロボットと人間とのマンマシン態勢によるシステムが採用されるようになった。
「精神安定剤、うってくれないか」
「それは、ヘリのドクターに言ってくれない」
兵士は成田の腕を掴んで引き上げようとする。
「一人で、ヘリまで歩ける? わたしは、隣の負傷兵を手伝わなければならないの」
すぐ傍で、黒こげの兵士に一人の兵士が手当てをしている。生きていたのか。成田は、ほっとしてゆっくりと女兵士の手を借りて立ち上がった。ヘリに向かって歩こうとすると、彼女が言った。
「あなたは、命の恩人に、別れの挨拶をしないの」
成田は振り返った。
「ジャン……」と声をかける。
天を仰いで、再びジャンを見下ろす。そして徐に、戦友にさよならの敬礼をした。
ジャンの前の相棒は女医だったという。その相棒が、ジャンと名付けたのだ。ジャンの話では、相棒は二年の後、戦死したという。それ以外のことは、話したがらなかった。
兵士の手を借りてヘリに乗り込んだ。その兵士が操縦席の後ろのベッドを指さした。ベッドまで行き腰を下ろす。看護師が血圧と脈拍を測定する。血中酸素量を測定していると、白衣の軍医が来て、壁面のモニターでバイタルを確認する。ベッドにうつぶせになるように指示した看護師が、背中に粘膜状の液体を擦り込む。冷たくて気持ちがいい。
隣のベッドに、生命維持装置をつけた、負傷兵が運ばれてきた。軍医が診察したが、彼はすぐ生命維持装置を外し、顔にシーツを被せた。成田はいままで震災や疫病で亡くなった数千人の死体を処理してきた。でも、人が死ぬことには慣れることはできない。人の死ぬ瞬間ほど厳粛なものはないからだ。
「これから、点滴をうちます。安定剤が入っていますので、よく眠れますよ」
仰向けになると、点滴袋がぶら下がっており、そこからチュウブが垂れ下がっている。看護師は手際よく左手間接の静脈に静脈針を差し込む。目を閉じた。静かに呼吸する。
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