森のなか。

犬と猫

森のなか。

 巨大な木がそびえ列なる森に、ヤララという少女は住んでいた。

 赤い髪をボサボサに伸ばした十六の少女だ。彼女は色褪せた薄茶色の麻服を身に付け、いつもと変わらない日の出を迎える。

 川に仕掛けた簡単な罠を確認し、数匹の魚を引き上げ、比較的小さな木に登って果実をむしり採る。比較的小さな木、と言っても、ヤララが腕を大きく広げて抱いたところで弧の半分もいかない。

 それらの食料を丈夫な茎で編んだかごに乗せて、ハンモックと石で輪を作っただけの炉がある寝床に帰って来た。

 それから、乾いた枝と火打石を使って焚き火を起こす。

 朝食は二匹の魚と果実が二つだ。余った魚は、日当たりのいい場所で干す。虫が嫌う葉を近くに置いておけば、食われる心配はない。

「あ、おはよ。今日も大物だね、みんな」

 ヤララは、毎朝おはようと言いに来てくれる動物たちに挨拶をした。灰色の大きな狼、黄金こがね色の毛に白い手袋をしたような二匹の狐、巨大な翼を持つわし、そして三羽のからす。いつもの面子だ。

 皆がみんな自分の獲物を咥え、ヤララと炉を中心にして集った。

 ヤララは、さしずめ肉食動物たちの長のような気分になる。毎朝だ。

「食べよっか」

 ヤララが食べ始めると、彼らも食事を始める。六年前、この森に住み始めたときは、彼らの食事シーンを見るだけで吐き気を催したが、小動物の解体をするようになってからは平気になった。

 弱肉強食の世界で、ヤララは「強食」側になることを選んだ。とは言っても、ここに集まる肉食動物たちは勝手になついてくれただけである。

「ゴァ………!」

 突然、鷲が鋭く鳴いた。それに呼応するように、静かに食事をしていた動物たちも威嚇する体勢を作る。

 ヤララも、彼らが見つめる方向へ体を向けてナイフを手に取った。だが、その手が震えていることに気が付く。

 ヤララの住み処周辺に、ここにいる灰色の狼より大きい生物はいない。それはこの六年間でよく理解している。だが、その狼が警戒しているのだ。

 狼はヤララの左手前に移動し、二匹の狐はすぐ右で毛を逆立てている。鷲は狐の上空で浮遊し、三羽の烏は近くの枝に並んで止まっていた。


 ───ぁ、ほん─────か?


 人の声が聞こえてきた。今聞こえたのは男の声だが、その後ろからさらに多くの声と気配を感じる。

 それらの気配は、徐々に近付いてきた。ヤララは、うっすら聞こえる話し声から、自分が探されていることを察した。

 昨日の夕方、少し村の方へ行き過ぎたことを思い出す。森から出たりはしなかったが、その時に見られたのだろう。

 失態だった。が、反省はあとだ。ヤララの頭には、二つの可能性が浮かんでいた。

 一つは、自分が傷付けられること。これが一番可能性が高い。ヤララの容姿は不気味だ。六年間一度も髪を切っていないので、一見、赤いお化けだ。

 もう一つは保護されること。一見お化けだが、二度で人間と気付き、三度目で子供とばれるだろう。

 前者なら、ナイフで容赦なく追い返す。

 後者なら、ナイフで普通に追い返す。この生活に満足しているし、友達もできた。それに、最近は他の狼や狐、猛禽類ともコンタクトがある。変な話だが、肉食動物には何故かなつかれる。

「だから、こんなところに人がいるわけない、だ………ろ………」

 青い目と真っ黒な髪を持つ、同世代くらいの少年を先頭に、彼らはぞろぞろと現れた。男女合わせて十人くらい居る。

 彼らの目は、全てヤララに注がれている。

「お、おはようごさいます………」

 その何とも言えない迫力に圧され、ヤララは弱気になった。

 ナイフで追い返すなど、もう頭になかった。



「ガヴッ………! グルル………」

 敵意剥き出しで吠える狼の声で、ヤララは我に帰った。さっきまで男女の集団はボソボソと相談をしていたが、彼らも一気に現実へ戻されたらしい。先頭に立つ少年以外、一歩引く。

「待て、別に何もする気はない。ただ、女の子が森にいるって聞いて、心配になってここに来たんだ」

 その先頭の少年が言う。

「な、なら、帰って。私は心配されるほど弱くない」

 ヤララは震える声を誤魔化しながら、言葉を絞り出した。本当は怖いし、心配されるくらいには弱い。

「そう、みたいだな………」

 少年はヤララでなく、狼や狐たちを見回しながら喋る。だが、狐は私だ。虎の威を借る狐。

「食事の邪魔して悪かった。じゃあ、またな」

「は?」

 またな、と言われても、またはない。もう来るな。ヤララはその言葉を飲み込み、呆然としながら、帰っていく彼とその仲間の背中を見つめた。

 彼らの間に漂う雰囲気は、来たときより明らかに軽くなっている。森に住んでいるのが、幽霊とかじゃなくて安心したのだろうか。誰かの冗談で笑い、何か言われて照れ、皆で笑う。

 私にもそんな時代があったな。ヤララは、そこまで考えてから視線と体の向きを食事へと戻した。すでに定位置に着いていた狼たちは、何故かじっと私を見てくる。

「心配してくれてるの? 平気だよ。私、人間が大っ嫌いなの」

 森で暮らす原因と人間は無縁だが、元々、楽しそうにしている同世代を見るのが大嫌いだ。ああいう連中は、自分でなければ、誰かの不幸にさえ笑う。



 その日の深夜。眠っていたヤララは、横になった体を動かさずに目を薄く開けた。頭元に置いてあるナイフへそっと腕を移動させ、近付いてくる足音に神経を集中させる。

「おーい、朝の男だ。いないのか」

 足音のする方角から、そんな声が飛んできた。今朝、先頭に立っていた少年の声だ。

「心配するな。俺一人だ」

 その言葉が真実であることを、足音が教えてくれている。ヤララは、音を立てずに深呼吸を挟んだ。

「な、何しに来たの?」

 上体を起こし、声のする方へナイフのきっさきを真っ直ぐ向ける。こちらからも、まだ彼の姿は見えない。

「ご飯、一緒に食べよう」

 彼が言う。

「はぁ?」

 ヤララは、思わず、すっとんきょうな声を上げた。予想外どころの話ではない。川に仕掛けた罠で、鹿が捕れたような衝撃だ。

「帰って。もう来ないでって言ったでしょ」

「いや、言われてないぜ? あ、いた。ハンモックで寝てるのか。自由だな」

 ヤララも、彼の姿を視認する。朝とか違い、ヤララと似たような格好だった。最も、彼の方が圧倒的に綺麗である。

「食べないか? 俺が作ったんだ」

 彼は目の前まで来て、板に乗せられた二つのパンを見せてきた。両方とも真ん中に切り込みが入れられ、ソーセージと野菜が挟んである。

 調味料の刺激的な匂いが鼻をくすぐってきた。悔しいが、美味しそうだ。

「少し冷えてるのは責めないでくれよ」

 彼は断りもなく、ヤララの横に座った。その勢いで、少しハンモックが揺れる。

「私、もう食べたよ。夕食」

「じゃあ、夜食だ」

「いらない」

「なら、朝ごはんだ。また来る」

 彼はそう言うと、さっさと立ち上がった。またハンモックが揺れた。そして、何か言いたげにこちらを見てくる。

 ヤララは目を逸らした。何なんだ、この人。

「朝、来てもいいか?」

「ダメ」

「じゃあ、今食べるか」

「やだ」

「じゃあ朝来る」

「………………わかった。今食べる」

 彼は三度みたびハンモックを揺らす。隣に座ることは許してないはずだが。

「いつからここで生活してるんだ」

 彼はそんなことを聞きながら、ヤララにパンを一つ渡す。

「一昨日」

 ヤララは無意味に嘘を吐き、そのパンを頬張る。久々のパンと調味料の味が口に広がり、少しよだれが出てきた。

「嘘付くな。生活感がありすぎる」

「良くわかるね」

 ヤララはもう一口、大きく頬張る。

「似た境遇だったんだ。俺も森で暮らしてた、六年前から二年間だけな。お前も、あの戦争で肉親を失ったんだろ」

 あの戦争。彼の言うそれは、魔物との戦いのことだ。結末を先に言えば、人は見事魔物に勝利した。魔物の住み処と隣接する、西の地域の犠牲を代償に。

 その戦争が最も激化したのが六年前。あれの被害に遭った人は多い。ヤララも、その一人だ。両親、兄、祖父母を失った。

「戻らないか、こっち側に」

「やだ。友達もいるから」

「あの動物たちか。名前はあるのか?」

「ううん。付けてない」

 付けると愛着が沸き、愛情が生まれる。

 愛情の大きさ、深さは、悲しみに直結する。

「付けてあげた方がいいと思うけどな。ちなみに、お前の名前は?」

「ヤララ」

「そうか。ヤララ、お前に伝える事がある。大切なことだ」

 彼の声の質が違うことを察して、ヤララは顔を上げる。彼は、いつも間にか真剣な顔つきになっていた。

「俺の仲間が、騎士団にお前のことを話した。恐らく明日、お前を保護しにくる」

「………その可能性については、一応考えてたよ。そんな能天気な性格じゃないから」

「すまん」

 彼は頭を下げる。なぜ彼が下げるのかわからなかったが、ヤララはどうとも言わなかった。

「逃げないとね。ありがとう。教えてくれたことと、パンも美味しかった」

「動物たちは俺が守る」

「どういうこと?」

「"人間を襲おうとする動物が何匹もいた"。そう言ったんだ、仲間が」

「なっ………!」

 ヤララは木の幹をえぐるほど強く拳を打ち付けてから、高らかに指笛を鳴らした。

 森がざわつき、風を切るような音と共にいつもの皆が集まる。ヤララの隣にいる彼を見て皆は威嚇したが、ヤララは敵でないことを伝えた。

「ガゥ」

 小さく鳴きながら、皆のリーダーを勤める灰色の狼が歩み寄ってくる。ヤララは狼の首へ腕を回して、耳元で囁く。この子は一段と賢い。言ってることを理解してくれるはずだ。

「皆を連れて逃げて。なるべく遠くへ」

「………ガゥゥ」

 狼は何故かその場に座ってしまった。狐たちもそれに続き、鷹と烏たちも降りてきて、ヤララの前に足を付く。

「違うよ、逃げるの。皆で」

 ヤララは狼から手を離し、その場にいる友達に向けて、語尾を強めて言った。

 しかし狼たちは動こうとしない。じっと、ヤララを見ていた。

「どうして? いつもわかってくれるのに。皆は早く逃げて!」

 ヤララは拳を握り、地面に向かって叫ぶ。どうしてか、彼らのことがまっすぐ見れなかった。

「逃げてってば!」

「わかってるんだろ。"皆"にお前が含まれてるんだ」

「うるさい!」

 図星だったが、彼の言葉に同意したくなくて思い切り睨んだ。

 本当は一緒に逃げたい。でも、それでは、この森にいる他の肉食動物たちが殺される可能性を上げるだけ。それではダメなのだ。友達と呼べるのは彼らだけだが、森の肉食動物たちも大切だ。

 故に、ヤララは一つの考えを持っていた。これなら、彼らも森の皆も救える。

「わ、私はっ、人の元に戻りたいの。だから、あなたたちは邪魔なの! さっさと消えて!」

 ヤララは大声で言い放つ。大したことをしていないのに、息が上がっていることに気付いた。

 狼たちは、ゆっくりと背を向ける。

 そして一度こちらに振り向いてから、森の奥へと去っていった。

 ヤララはその場に膝をついて、真っ暗な空を仰いだ。これでいいのだと、何度も自分に言い聞かせる。

「ねぇ、私を村に連れていって。それから騎士団の誰かに合わせて」

「お前も逃げた方がいい。こういう生活が気に入ってるんだろ」

「あの子たちはね」

 目頭が熱くなるのを感じながら、ヤララは話す。自分でもわからないが、口が勝手に動くのだ。

 きっと、誰かに聞いてほしかったのだろう。

 自分の、初めての友達のこと。

「初めて私を受け入れてくれたの。それまで友達なんて知らなかった。家族以外は、みんな嫌いだった」

 自分がいたぶられた日々が脳裏を過り、思わず全身に力が入る。

「あの子たちだけじゃないの、私の友達は。この森にたくさんいるの。だから」

 ヤララの頭が弾き出した一つの結論。それが、今から言葉にし、実行する行為だ。

「私が、騎士団に直接教えるんだ。『凶暴な動物は一匹もいない。現に、私は無事に森から抜け出せた』って」

 ヤララは長い前髪を引っ張て目元を隠し、去っていった彼らの方へ精一杯の笑顔を向けた。

「ありがと………。元気、でね………」

 不意にハンモックが揺れて、ヤララの横を風が通り過ぎていく。




 さよなら。私の、初めての────




 ────親友たち。



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