棘食蠅鳥

安良巻祐介

 

 棘食とげくいはえどりを知っていますか。

 なに知らない。

 あなたそれはとても良くない事です。最近多いのですよ、見たことございませんか。ええ、トゲクイハエドリです。あなた。棘を食う蝿の鳥と書きます。そうです。

 え、何ですか。いえ、鳥ではありません。鳥ではないのです。棘食蝿鳥です。

 何ですか。おかしいですか。いえおかしいことはないでしょう。別に変なことはありません。

 たとえばほら、唐突になりますが、そう、斑猫はんみょう、ここいらではミチオシエともいうのでしたっけ、あのハンミョウだって、猫という字であっても猫ではないでしょう。虫でしょう。あなたはあの小さな小さな斑猫を見て、猫だと思いますか。思わないでしょう。ぶちの猫なら私も飼っていますが、私はそれをハンミョウ、と呼んだり、道の上を斑猫が這っているのを見て、タマや、などと呼びかけたりはしません。それと同じことです。斑猫は斑猫。タマはタマ。棘食蝿鳥は棘食蝿鳥です。

 え、何ですか。棘食蝿鳥がですか。いえ違います。棘食蝿鳥は虫ではありません。一緒にしてしまってはいけません。せっかちな人です。虫は斑猫です。棘食蝿鳥は違います。それは早計です。蛙のようなものです。え、何ですか。いや違います。そういうことではありません。棘食蝿鳥は蛙ではありません。私が今言ったのはあなたのことです。蝿に飛びつく蛙みたいにせっかちというのです。あなた知っていますか。蛙は死んだ蝿は食べないそうですよ。その代わり目の前で蝿くらいの大きさのものをさっと動かすと飛びつくそうです。蝿かそうでないかは見ていないのです。動くものに闇雲に飛びついているのです。だからせっかちだとまるで蛙のようなものではないですか。そういえばあなたは顔も少し蛙に似ている。いやすみません。怒らないでください。悪気があったわけではないのです。棘食蝿鳥の話です。棘食蝿鳥は蛙ではありません。全然似ていません。それをいうならまだ虫の方が近いでしょう。ええそうです、でもやっぱり虫ではないのです。だからはい、そのとおりです。蝿でもありません。蝿は虫の集合に入っていますね。だから話が早くて済みました。私とあなたは話一つ分時間を得します。時間は大切です。棘食蝿鳥の区別が大切なのと同じくらい大切です。とにかく棘食蝿鳥は虫ではないから蝿ではありません。そうです、斑猫が猫でないのと同じです。

 え、なんですか?何と言いましたか?

 棘、棘ですか?

 いいえ、食べません。棘食蝿鳥は棘を食べたりはしません。ええ、全くそのようなものは食べません。はいそうです。トゲはクイません。食べないですよ。もっと別なものを食べますよ。はい。

 はい?模様ですか?いいえ、ありません。棘を思わせるような模様などはありません。棘食蝿鳥のからだに模様らしい模様など一つもありません。ええそうです。一つもです。はい。そして棘も食いません。およそ棘食蝿鳥ほど棘に無縁な生き物もいないのではないでしょうか。ええ無縁です。え?何ですか、名前ですか。いやいやあなたもわからない人です。さっきまでの話と同じです。名は体を表さずです。棘?そんなに棘が気になるんですか。変な人です。それをいうなら山荒やまあらしという生き物がいますが、考えてみなさい。あれほど棘と縁のある生き物はいません。体中棘だらけです。しかし山荒の字のどこに棘という字がありますか。目を皿のようにして見て下さい。ありますか。ないでしょう。そういうことです。ついでにこの山荒は私の話にうってつけの生き物で、実は「豪猪」とも書きます。読みは同じヤマアラシです。しかしどうです、あの生き物はどう見たって猪ではありません。けれども名前には猪の字があるのです。名前とはそういうものです。棘食蝿鳥も同じです。

 ああ、そんなに悲しい顔しないでください。あなたの悲しい顔見ると私もとても悲しい。なぜそんな顔をするのですか。え、棘食蝿鳥ですか。棘食蝿鳥のせいですか。棘食蝿鳥が悪い。いやそんなことはないでしょう。棘食蝿鳥は悲しいものではありません。悲しいと楽しい、どちらかと言えば棘食蝿鳥は楽しい方です。まあこれが例えば楽しいと怖い、どちらかという話になると今度は怖い方ですが。しかし悲しいかと問われれば私は自信をもって楽しいと答えるでしょう。悲しいよりは楽しいに違いないのです。なんですかまだ悲しい顔をしていますね。まだ何か心配事があるのですか。え、棘食蝿鳥の名前ですか。結局何なのだか全然わからないと。まだそんな事を言っているのですか。じゃあ山田さんは山と田んぼですか。鈴木さんは鈴の生る木ですか。犬井さんは犬が井戸に落ちましたか。菊池さんは誰か池で死にましたか。芥川さんはゴミだらけの川ですか。名は体を表さず。これ真理なり。そういう話ではありませんでしたか。そうでしょう。あなたの名前は何と言いますか。あなたの名前を書いて教えて下さい。あなたの名前もあなたを表さずですよ。確かめてみたらいいですよ。あなたが人間さん、肉骨皮さん、血毛爪さんとかいうお名前でない限りはそうですよ。おや、教えて下さらないのですか。どうしても嫌ですか。そうですか。それは悲しいことです。勿論この悲しいのは棘食蝿鳥のせいではないですよ。棘食蝿鳥は悲しいより楽しい。楽しいより怖い。え、なんですか。棘食蝿鳥がですか。いいえ鳴きません。棘食蝿鳥は鳴きません。棘食蝿鳥は歩きますか。いいえ歩きません。歩いているところも見たことがありません。棘食蝿鳥は飛びますか。いいえ飛びません。虫でも鳥でもないのだから当たり前ではありませんか。棘食蝿鳥は棘食蝿鳥です。棘食蝿鳥はいつも一人です。二匹以上でいる所を見たことがない。けれどいつも私たちの近くに居ます。ええいつもです。最近多いのですよ。棘食蝿鳥はどこにでも居ます。え、なんですか。もう一つですか。あなたは質問が多い。でもお答えします。ええ。ええ。棘食蝿鳥がですか。ええ、どこにでも出てきます。ええそうですよ。どこにでもですよ。本当ですよ。だって私の家族は家に居たのに棘食蝿鳥に食べられました。本当ですよ。全部ですよ。一匹の棘食蝿鳥にですよ。タマだけが逃げましたよ。あの猫は逃げ足が大層速かったのです。勿論ハンミョウではありませんよ。猫ですよ。え、なんですか?また質問ですか。私もういい加減疲れました。最後にして下さい。はい、はい。はい。はい?ええ、はい。そうですよ、はい、はい、はい。はい。よくわかりましたね、そうですよ。棘食蝿鳥は私ですよ。よくわかりましたね。最近多いのですよ。よくわかりましたね。よくわかりましたね。よくわかりましたね。棘食蝿鳥ですよ。うふふふ。よくわかりましたね。よくわかりましたね。うふうふ。うふふふ。うふ。

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