雲の本

安良巻祐介

 

 不思議な柄の本が一冊、僕の家の本棚には入っている。

 その本にはタイトルがなく、表紙にはただ、渦巻く雲に似た模様が描かれているだけ。扉は真っ白で、目次もない。

 扉を開いたところからいきなり文章が始まっていて、あとは挿絵もなく、文字の列が延々と続いていく。

 記述されているのは、白い服を着た、顔のない人が、どこだかわからない国をひたすら歩いてゆくというもので、感情はおろか表情すらない主人公を追ってゆくのは大変に退屈であり、何とか十数ページくらいを読み進めたあたりでだいたい疲れが来て、読むのをやめてしまう。

 本を開くたびにそのようなことを繰り返しているので、僕は未だかつてこの本を読み通せたためしがない。

 そもそも著者名もない、私家版らしい本がなぜ家にあるのかもよくわからないのだが、一説によるとこの本は、異国で変死した父方の祖父の唯一遺したものだとも言われている。

 だからというわけでもないが、僕は読み通せないのをわかっているくせに、今でも時々、棚の本の背へ手を伸ばしてしまう。

 そうして、真っ白い、顔のない、得体のしれない人物の、茫洋とした足取りを何度でもなぞってみるのだ。

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雲の本 安良巻祐介 @aramaki88

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