009  結成と初試合Ⅲ

「本当にここは宝の山だよ……」

 一成かずなりはそう言って、自分の席に戻った。


 それから午前中の後半が終わり、午後はたったの一時間しかなかった。それからはそれぞれ放課後に入り、部活や下校する生徒に別れる。

「一成。お前、午前中に話していた奴誰?」

 教室で真っ白のユニフォームを着替えながら、隣で同じように着替えている一成に尋ねた。

「ああ、ちょっとした知り合いだよ。もしかすると、今年の一年はイレギュラーな奴ばかりが集まっているのかもな」

 一成がズボンのベルトを締めると、ユニフォームのボタンを締めて言う。

「へぇ、だったら今日の練習は面白そうだな」

「そうだな。特に一打席勝負があったら面白いだろう。県代表の五番を相手にするんだからな……」

「今なんて言った? 県の代表の五番? そんな奴がこんな所にいるかよ! アハハハ……マジ?」

 額に冷や汗が流れた。

「本当だよ。俺も驚いた。同じクラスだったけど気が付かなくても当然だろうな。お前、埼玉から来たんだし……」

「ふーん。一度、対戦してみたいな。それは……」

 顔は思い出せないが、センスは本物なのだろうと勝手に翔也しょうやは想像していた。

 着替えを終えると、二人は野球部の部室に向かった。

「今日は夏ミカン、何の練習をさせんのかな?」

 翔也が楽しそうに言う。

「知らん。でも、あの人の事だから厳しいんだろうな」

「厳しいね……」

 あれはさすがにすごかったな……。

 翔也はこの前の春休み練習の事を思い出していた。


 放課後、野球部グランドには翔也や一成のほかに一年が八人ほどユニフォームに着替えてグラウンドの隅にあるベンチに集まっていた。

「はーい。入部希望の一年生はグラウンドに横一列に整列して! 今から自己紹介してもらうから」

 夏実の言葉に、一年は目の前で横並び一列に並んだ。

「それじゃあ、出身中と名前、ポジションを言ってもらおうかしら。それじゃあ……そこに右端にいる君から……」

「おい、マジかよ……」

 誰もが驚いていた。一番驚いているのは夏実だろう。中学で県内の野球をしていた少年たちなら誰もが知っている。淳平りょうへいを見る目が物珍しく、視線を集めている。

南ヶ丘みなみがおか中出身、佐々倉淳平ささくらじゅんぺい。中学ではショートをしていました!」

 夏実は、息をんで訊いてみた。

「君は本当にここの野球部に入ってくれるの?」

「はい! 入ります!」

 横一列に並んでいた他の一年達も目を丸くする。

 順平の隣にいた裕二が話を続けた。

「同じく南ヶ丘中出身、野中裕二のなかゆうじ。中学ではピッチャーをしていました……」

ひがし中出身、鷺ノ宮康介さぎのみやこうすけ。中学ではファーストを守っていました」

 順に一年生は一人ずつ、自己紹介を終えると、野球部の先輩である二年生が挨拶をした。

 この野球部には、三年生はおらず、二年生が主体となって一年間活動してきた。

 この人達が野球部の現部員なのか……。

 さびしさとこの絶望的な状況を見ながら、何も失うことなどないと思った。

 あれ……?

 と、翔也は何かに気づいた。

 思えば、他校にはあるような道具がすべて揃っているわけではない。バッティングのフォーム確認に必要なネットやピッチングマシンなどが見当たらない。

「それじゃあ、最後にこの野球部の監督は私、前園夏実まえぞのなつみです。部長は数学担当の須賀拓郎すがたくろう先生です。今日は訳ありで顔を出すのが遅れます」

 夏実が一呼吸開けると、大声で叫んだ。

「よし、今から練習を始めるよ! まずはランニング。グラウンド三周走って来て!」

 ランニングが始まり、ストレッチ、キャッチボールを一通り終えた後、五分間の休憩に入る。そこでマネージャーである二年の高橋蛍たかはしほたると一年の佐藤里奈さとうりなが人数分のコップにスポーツ飲料を入れて一人一人に渡していた。休憩時間が終わると、いよいよ守備練習に入る。

「センター! 今の余裕を持って送球できるところだよ。焦らずに投げて!」

「はい!」

 夏実のノックを受けながら、それぞれが自分の持ち場のポジションの守備をこなしている。一年、二年関係なく守備を行い、投手である翔也と裕二。捕手の一成とファーストの鷺ノ宮康介がピッチング練習の相手をしている。里奈の監視の下でそれぞれが肩を作り始める。

 へぇ、口が悪いにしては結構いい球を投げるじゃない。

 椅子に座りながら翔也の投球練習を見ていた里奈は、足から腕までのしなやかな動作を心の中で褒めていた。

 守備練習をしている野手は、夏実の厳しい練習を受けながら物凄い汗の量が出ている。だが、打球に段々慣れてくると、ぽつぽつと正確に拾い始めた。二年生は、一年間ずっと夏実のノックを受けており、やはり一味違う。

 一年にしてはまあまあの守備ね。一人、別格がいるようだけど……。

 ショートを守っている佐々倉淳平はどんな打球でも誰よりも一歩前に出て、送球する動作が早い。体重の乗った送球がファーストのグラブにすっぽりと入る。

 これなら、一度練習試合をしても面白そうだね。

 夏実はバットを下ろして、グラウンドの脇で投球練習をしている二人に目を配る。タイプの違う二人の投手。一人は速いストレートを武器にしたピッチャー。もう一人は、多彩な変化球を微妙びみょうなコントロールで緩急をつけるピッチャー。だが、もう一人それを見学しているマネージャーの里奈も夏実は評価している。

「いい球だ、翔也!」

 一成が声をかけ、ボールを投げる。翔也は帽子のつばを触りながら返球を受けた。

 大体百三十キロ前半くらいかな……。

「次、七番のコースに緩いカーブ」

 一成はミットを構えて要求し、翔也は小さく頷くと振りかぶる。投げたボールはゆっくり気導を変えながら弧を描いてミットにすっぽりと入る。

 この二枚看板でどこまでやれるか問題よね。うちにはサウスポーがいないのが穴なのよね。

「よーし、守備練習は終わり! バッティング練習に入るよ!打順は誰でもいいから一打席勝負で入って行って! キャッチーは古矢君。ピッチャーは柿谷君でお願い。一周回ったら野中君に交代ね!」

 それぞれヘルメットをかぶってバットを持つと真っ先にバッターボックスに入ってきたのは淳平だった。バッテリーは一番危険に思っているバッターを相手にマウンドでサインの確認や作戦を話し終えると、

「よし、焦らずに気持ちで抑えに行くぞ!」

 一成は最後にそう言うと戻っていった。

「分かった!」

 キャッチャーボックスに座ると、真剣な目で淳平が構える。

「バッテリー、この打者を抑えるんだよ!」

「抑えろと言われても……」

 翔也は腕を上にあげて、体をひねると、左足を上げて腕を胸の位置まで降ろす。そして、体重を乗せて大きく振りかぶって、投げた。

 淳平は反応せずに、ボールを一球見送った。

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