004  二十年連続初戦敗退の弱小校Ⅳ

 翔也しょうやたちは、草陰から姿を現し、女性監督の前に近づいた。

「あ、いや、その……。少し聞きたいのですが、野球部の監督ってあなたですか……?」

「そうよ。私が北燕ほくえん高校野球部の監督を務めている北燕高校教師、数学担当の前園夏実まえぞのなつみよ」

「それは本当ですか?」

「本当よ。部員は御覧の通り、四人だけよ。さっきあなた達が話していたでしょ?」

「き、聞いていたんですか……?」

 翔也たちは青ざめながら、自分たちが陰で噂していたこと聞かれていたと確信した。

「お、俺。西之浦にしのうら中から来ました。古矢一成ふるやかずなり。ポ、ポジションはキャッチャーです」

 緊張して自己紹介を始めた一成は、体が固まっていた。

「それで、そっちの君は?」

「埼玉の方から来ました。柿谷翔也かきたにしょうやです。ポジションはピッチャーです。よろしくお願いします」

「ああ、君が県外から受験した生徒ね。噂耳にしているわ。珍しいわね。親御さんの転勤かな?」

「まあ、そんなところです……」

 翔也は苦笑いをしながら、軽く頭を下げて言った。

「そうか。君たち野球部に入ってくれるんだ。良かったよ。ウチ、試合ができる人数がいないからさ。入部してくれれば、残りは後四人で今年も試合に出られるのよ」

 その声に圧倒されたように、翔也たちはびっくりして目を大きくした。距離が近くなるほど彼女が物凄く興奮しているのがよく分かる。

「それでさ。今日は君たちも練習に参加してみる? グラウンドはちゃんとあるから……」

 夏実がそう言うと、翔也と一成はお互いの顔を見合わせて小さく頷くと、はい! と大きく返事を返した。

「じゃあ、グラブとバットはちゃんと持ってきてあるのね」

「夏ミカン。いつまで話しているの? 早くしないと時間、無くなっちゃうよ!」

 上から呼んでくる野球部員は、前園夏実の事を『夏ミカン』と明らかに呼んでいた。彼女のあだ名かもしれない。教師にあだ名をつけるなどこの野球部はどうかしていると翔也は思った。

「じゃあ、俺達も手伝った方がいいですか? まだ、入部はしていないんですけど大丈夫ですよね?」

「お願いするわ。さすがに五人はきついからさ……」

 夏実がお願いすると、二人は野球の道具をグラウンドの隅っこの場所にある野球部が練習している場所まで運んだ。

「それじゃあ、練習でもしようか。と、言いたいところだけど……柿谷君と古矢君。君たち二人の実力が見たいから二人でバッテリーを組んでもらえる?」

「組むって、俺たち二人がですか?」

 一成が驚きながら自分と翔也を交互に指さす。それを見て夏実は大きく頷いた。

「そう、まずは今、現在でどれくらいの実力を発揮させられるのかが重要なの。それから今後の事を考えて、今年は甲子園優勝を目指すのよ‼」

 そう言って、わくわくしながら夏実はヘルメットとバットを用意している。

 翔也と一成は、それぞれ準備を始めた。一成はプロテクターとレガースを装着し、マスクをかぶると、ミットをはめてキャッチャーボックスに向かった。

 翔也は一度、自分のバックからグラブを取り出して帽子をかぶり直し、マウンドへと歩き出した。軟式なんしきとは違う硬球のボールをかごから一番よさそうなのを選んでいた。

 さて、バッテリーを組むのはいいとして……こいつどれだけの能力を持っているんだろう。

 マウンドに立ち、ミットを構えた一成を見ながら、翔也はそう思った。

 いきなり今日初めて会った相手とバッテリーを組んだことは一度もない。どういうリードをしてくるのか興味がある。

 キャッチャーをする選手のほとんどが、頭のいい人間がしている。野球だけ覚えていても意味がないのだ。相手をしっかりと分析し、それを記憶する。戦術を組み立て、ピッチャーがバッターに勝てる所へと導くのが役目である。

 さて、俺は軽く肩を作りたいんだが、どこへ投げればいいのかな?

 すると、一成はマスクを外して立ち上がり、

「すみません。彼と少し話してもいいですか?」

 そう言って、一成はマウンドへと歩み寄った。

「すまない。翔也は、何か変化球とか持っているか? 投球練習をするなら混ぜながら配球はいきゅうを組み立てたいからな」

「変化球はあるよ。カーブだけだけど……」

「カーブだな。オーケー。それなら十分に考えられる。カーブだけということはストレートには自信があるんだな」

「ああ、中学の軟式ではMAX百三十八キロだったはず……」

「分かった。その情報があれば十分。じゃあ、やろうか」

 一成はマウンドから降り戻ると、ミットを構えなおした。

「行くぜ。一成‼」

 翔也は一成のリードに従いながら腕を振りかぶった。左足を前に出し、右腕を鞭のように振る。ボールは勢いよく一成が構えた所へと入った。

「ナイスボール」

 一成は立ち上がって、翔也に返球した。

 へぇー、こいついいリードするな……。

 彼のリードは的確で構えた所がほとんどコースぎりぎりの場所をついていた。サインも出しながら翔也の投球をずっと知っているかのようだった。

 翔也の顔に笑みが浮かぶ。

 二球目は左下のボール球にカーブを要求してきた。

 なるほど……この制球力は本物だ。スピード、コントロールもいい……。

 一成は翔也のボールを二球受けただけでそう感じた。

「うん、いいボールだね。キャッチャーの構えた所に来るボール。とてもいいよ」

「そうでしょ。そうでしょ。まあ、今まで軟球しか投げてこなかったから少しコントロールは乱れるんですけどね……」

「いや、今の段階では十分な戦力よ。そして、古矢君もいいキャッチャーだわ。その選球眼せんきゅうがんに頭脳。面白いわね」

 翔也の評価をした後、一成を振り返ってそう言った。

 翔也は帽子を脱ぎ、右腕で額の汗を脱ぎながらホッとした。

「それで、ま、前……。ええと、何と呼べばいいんでしたっけ? 色々と名前が多くて覚えられなかったんですけど……」

「あ、私はこの子たちからは『夏ミカン』と呼ばれているからそのまま統一してくれるとありがたいわ」

「じゃあ、夏ミカンはなんで野球部の監督になったんですか? 普通は、野球部は男の監督がすると思うんですが……」

「ええと、この学校には野球の経験者の先生がいないの。それに野球部の顧問や監督なんてしたら評価など得られないという大人のずる賢い性格が今の現状よ」

 腕を組むために、ヘルメットとバットを地面に置く。

「でも、私は違うわ。大学まで現役バリバリの野球少女だったのよ。でも、女子ってその先がないでしょ? だったら、本気で野球ができる高校教師になって初の甲子園出場の女監督になりたいの。そして、目指すは甲子園優勝、全国制覇ぜんこくせいはよ!」

「それを今年やり遂げるつもりですか?」

 凄まじいオーラを放つ夏実に対して、苦笑いをしながら訊く。

「でも、俺一人では勝てないと思いますよ。せめてもう一人、コントロールのいい変化球を多彩に持った選手がいれば別ですけど……」

「確かにそれは一理ある。でも、それは逆に言えば今からそんな凄い選手がこんな高校に来るとは思えないということ」

 鋭い所を夏実が言う。

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