5
「いいかい? ある程度まではなんとかできる。ただし最後の仕上げは、身一つだぞ」
「わかっでます」
「よし、散開!」
アルカの一声と同時に、巨木から三人が散った。それに半歩遅れ、メキメキと轟音をたててついに巨木が倒れていく。横倒しになった木の表面には、おびただしい数の骨が突き刺さって魚の鱗のようになっていた。
「ギィイイアアアア!!!」
ここにきて初めて、ボーンイーターが一声鳴いた。そこに込められた感情は、怒り。
踏みつぶそうとした虫が何度も何度も逃げ延びる。単純な思考回路の生物に、どす黒い感情が満ちていく。
それに構わず、ハルトスは独立して走り抜けマーキングしていた木の陰に滑り込んだ。先の巨木ほどではないが、太い幹は骨の弾丸を受け止めている。だが長くはもたないため、余計な攻撃を射撃で撃ち消していった。
アルカとリンのチームは、ハルトスとは違う方向にともに走っていた。目指すは、マーキングのついた二本の樹木だ。互いに五メートルほどの間隔を空けて立ち、一本はかなり細い。マディルといえど骨の一撃で容易に破壊されるだろう。
そこに飛んできた骨弾を弾き飛ばしながらアルカが怒鳴った。
「行くよ! 手筈通りに!」
「はいっ!」
太い方の木の陰、アルカが待機してリンの背中を叩く。強化された筋肉の一撃は強い衝撃を与え、つんのめるように加速したリンは五メートルの距離を超え、細い木の傍らによろめきながらたどり着く。緊張と疲れで息を吐きながらも、ボーンイーターのいると思われる方向を立ちながら見据える。
「はぁ……はぁ……」
静かだ。
先ほどまで続いていた射撃がぱたりと止んでいる。
ボーンイーターは小さな脳みそで考えていた。先ほどから、多少強い方の獲物が必死に庇護していた小さくて弱そうな獲物。それが剥き出しのまま、無防備に立たされている?
魔物はそれをどう思うのか。まだ攻撃を飛ばさない。
物質にすら近づいた重苦しい空気が辺り一面を包み込む。足が震えているのを、リンが唇を噛んで堪える。一筋の血が流れ落ちる。
ギリギリとかみ合わさった緊張が、ふと、崩壊した。
パシュン。と軽い音。
「今よ!!」
アルカの合図に気圧され、無意識のうちに行動していた。
倒れこむ。細い木の方へ。全力で思いっきり逃げる。マディルの葉が、生まれ育った森が、彼女を見守っていた。
リンの眼前を掠めて、骨の弾丸が通り過ぎていった。直撃を避けた。リンの体スレスレに通過したそれは、マーキングのついた細い木に食い込んで破片を飛ばしていく。全てがスローモーションのようだった。
「壊れろ!」
「落ちろ!」
アルカのアイアンメイデンが変化していた。針金の束が収束して固まり、巨大な刃を携えた一本の長柄の剣になる。リンの管轄している急所の一つ、細い樹木が壊れると同時に、渾身の力で二度振られたそれは幹を綺麗に切断していた。
ハルトスは銃口を最大限まで広げ、引き金を引いた。骨の弾丸に対するそれよりも強力な弾丸の近接射撃。その威力は、太いマディルの幹を粉々に粉砕するという結果で表れた。
ハルトス言うところの『急所』。それを失ったマディルの足場が支えを失う。まるで地面そのもののように堅牢な枝の編み物がほどけて、ボーンイーターを落とし穴のように引きずり落としていく。
「ゴガオォオオオオ!!!」
鮮烈な悲鳴とともに、ボーンイーターは落下した。「っしゃあ!」と叫びながら、アルカが地に落ちた怪物へと走り寄る。リンも後を追っていく。
顔が見えるほどに接近して、ようやく明らかになったその姿は、皮を剥いたトカゲのようなみっともない巨大生物だった。
薄桃色のつるんとした肌の表面はところどころが破れ、白い骨が見えている。小さな目が顔の前面に大量についていたが、位置がバラバラになっていて生態的な意図を掴むことができない。実際、機能しているのは一部なのかもしれない。首元まで裂けた口からは、ピギーだのゴエーだのといった汚い悲鳴が漏れている。
神様の失敗作。ただ強いだけの異形。それが、ボーンイーターだった。
仰向けに倒れた体を反転させ、その口をハルトスに向け大きく開いた。尖った骨が喉から生えているのが正面から認められる。それを弾丸のように放出する。それが、骨弾の全貌だった。
「もう遅い」
だが、彼は撃ち消すことすらせず軽く屈んだだけで躱す。続いて発射されるのも、躱される。一度彼らにいっぱい食わせた二連撃の射撃も、効果はなかった。
「マディルの迷彩はもうない。こうもはっきり見えるなら、あとは軌道を読むだけだ。大口開けてわかりやすいってもんじゃないなぁ。そんなだから引きこもらなきゃいけないってわけか? ええ?」
「ちょっとハルトス、アンタ今結構かっこいいんじゃないの?」
アルカがからかうような声を出す。ともに立つリンはアルカに手を引かれず、自分の足だけで哀れな魔物に近づいていった。ボーンイーターが即座に反応し、リンに向き直って骨を発射していく。まだ諦めていないようだ。
「ほい」
だが、アルカに簡単に弾かれた。ハルトスにしたのと同じように、二発目三発目と撃っていく。だが、アルカがそれらをすべて弾き飛ばしていった。
狙っていた……戦う力のない弱いはずの獲物が、自分のことを恐れていないことを、その目つきから魔物は察知していた。
自分が窮地にいることにようやく気付いたのだろう。射撃をやめ、近くの木にしがみついて逃げようとする。だがハルトスの銃がそれを阻止し、またも地面に這いつくばることになった。逃げることも迎撃することもできず、襲撃者の肉薄を許す哀れな魔物は、初めて己が狩られる側に立ったと痛感した。
「ギィイイイイ! ギィイイイイ!」
「新しいパターンの鳴き声ね」
「助けを求めているのでしょうか」
呑気に語りながらも、アルカの右手が変貌しようとしていた。
アイアンメイデンが右手に浸透していく。ゆっくりとしたスピードで、飲むように金属が解けていく。実際はもっと早くできるが、見せつけるようにわざとやっているようだ。
「アンタ、オスね?」
何を基準にしたのか、アルカが呟く。
「女の子に引っかかれたことはあるかしら?」
右手に飲まれた金属は、指先に集中して形を成していく。鋭い刃が伸びたそれは、爪だった。撫でるだけであらゆるものを両断するであろうするどい爪。
魔女の爪。
ズバァン! と空気が弾けた。振られた右手は恐ろしく早く、仕事は一瞬で片付いていた。
ボーンイーターの目が、パチンパチンと潰れていく。目を通過した顔全体にいくつものラインが横に走っていた。その隙間から血が滴り流れていく。
成果を観察するためだろう。変わらない、いつも通りの白い左手で、もったいつけるようにボーンイーターの額を指で弾いた。すると、まるで手品師がカードの束を客に選ばせるように、薄いスライスがズルズルとズレていく。首から上だけが無残に切り刻まれた死体は、それきりピクリとも動くことがなかった。
「……死にましたね。気配も感じないし」
「ちゃんと脳みそは頭にあったのねぇ。常識を外れたいならお尻にでも移動させときゃよかったのに」
「……というか師匠、さっき女の子って。自分のことを女の子って」
「悪い? てか前から思ってたんだけどアンタ『俺は普通ですから』みたいな顔しといてだいぶ中身も魔法使いに染まってるわよね。よかったですね。ジークみたいなヘタレじゃなくて私のところに弟子入りできて!」
「どこかのバーサンが起こしたトラブルの処理のせいでこんなに荒んじゃったんですよ。まったく困ったなあ」
「あ、あはは……。アルカさんは綺麗なひとだと思いますよ?」
「あらそう? いい子ねリンちゃん」
「見た目に騙されちゃダメだよ。その人今年で717歳だから」
「617歳よ!」
静かな森の中、枝が落ちて空いた先程の穴から、光が降り注いでいた。スポットライトのように、三人を照らしている。
「ねえリンちゃん。コイツを倒せたのはね、貴方が勇気を出してくれたからなの。おかげで、地上に引きずり下ろすことができた」
ポンと手を頭に乗せる。
「ありがとうね」
「……はい」
リンは静かに泣いた。
マディルの森が、祝福するようにサワサワとさざめいていた。
「依頼料は、貴方が今持っている中で一番大切なものを」
帰りの馬車に揺られ、クランの事務所前に戻ってきた。そこで出された報酬の提案に、リンは迷うことなく首飾りを外しそれを差し出す。深い紫が光る宝石があしらわれたシンプルな一品。アルカは恭しく受け取り、リンの頭を撫でた。
「いいのかい? 高そうだけど」
「いいんです。お母さんからの誕生日プレゼントだけど、お母さんは生きてるから形見とかそういうわけでもないですし。それと同じくらい……いえ、正直言うと、もっとずっと素晴らしいものをいただけたので」
「そっか」
ハルトスがハンチング帽を取り、キザったらしく一礼する。リンも真似して一礼した。ふふっ。とどちらかが笑い、耐えきれなくなったのか二人一緒に笑いだした。ぞの明るい笑顔は、もう以前の彼女ではなかった。
「よし、ドッペルゲンガーも回収したし、あとはリンちゃんが同じ服を着て帰るだけね」
すっかり人形に戻ったドッペルゲンガーと桃色の麻布服を手に抱えたアルカが言った。
「あれ? 最初にこのお人形、私のお洋服を首から出しませんでしたっけ」
「ああ、あれはただの擬態なのよ。だから別の恰好をするときは普通に着替えるし、出した服もドッペルゲンガーを戻しちゃったら煙みたいに消えちゃうの」
「そうなんですか……てことは、今着てるこのお洋服、怒られちゃうなぁ」
リンの服は、戦闘のためにドロドロになっていた。
もっともそれ以前の問題で、娘が出歩いたと思いきや別の服を着ていてしかもそれがドロドロに汚れているなど、家族に見られたら混乱させてしまうことだろう。
「ごめんね忘れてた」
アルカが白い指先で汚れた服に触れる。服についていた汚れが指先に集まり、洋服から独立した。ボール状になったそれを指先で弾く。石畳にベチャリと落下し、服はすっかり綺麗になっていた。
「うちではいつも寝る前まとめて汚れ落とすのよ。何度もやるの面倒だから」
「ふふっ、すごいです。また魔法をかけてもらっちゃった」
「すごいでしょ。ま、とにかく着替えちゃいなさい。うちの家貸してあげるからさ」
「はい。ありがとうございます」
二人に何度も礼を言いながら、蝶番の鳴るドアを開け、リンが中へ入っていく。アルカとハルトスがそこに取り残された。
「あーあ、さすがにちょっと疲れたわね」
「リンちゃんに聞こえますよ」
「おっと」
アルカが口を押える仕草をする。
その一瞬、ハルトスは薄々抱いていた違和感をようやく確信することになった。
「師匠、口開けてください」
「え、なんで。なんで? なに、女の子の口の中見たいとか怖……。やめてよヘンタイ」
「そういうんじゃねえよ。師匠もしかして虫歯じゃないんですか?」
ビクリと肩が震えた。ただでさえ白い顔が、より一層青白く染まった。
「図星か。どおりで馬車の中で似合わない物憂げな顔つきしてたわけだ」
「ま、待ってよ。魔女なんだしいいでしょ? ね?」
「魔女なんだし再生すればいいでしょそんなもん」
「い、いやぁ。虫歯再生するとき染みるみたいに痛いのがちょっと……」
「腹ブチ抜かれて平気なくせに何言ってんですか。じゃあ顎吹っ飛ばして再生すりゃいいでしょ」
「えー、でも虫歯ごときでわざわざ顎飛ばすのなんかヤだし……」
「ああもう、我が儘言わないでくださいよ! めんどくせえ、俺が抜く!」
「ちょ、やめっ! このスケベ! 口に指入れんな!」
森での緊張感はどこへやら。二人は言い合い押し合いをしながら道端に転げまわった。
着替えを済ませたリンがドアを開けて、かっこいい魔法使い様の姿がそんなんでで、どうすればいいのかわからない顔で彼女は二人を見下ろしていた。
「あのー、着替え終わったんですけど……」
「え、あ、そう。ごめん」
「大丈夫、ですか?」
「大丈夫よ。うちの弟子がどうしようもないエロガキなおかげで散々だわ」
「誰がエロガキだババア」
「……あの、帰りますね。私」
「あ、うん。じゃあね。あ、そうそう。敵を討ったことは言っても別にいいけど、ドッペルゲンガーで入れ替わってたことは内緒よ。依頼して退治してもらったってだけでね。色々面倒だからね」
なんだかモヤっとした空気の中、リンはペコリと無言で会釈して路地を抜けて消えていった。
「っはぁ……まあいいわ。とりあえず換金しましょ換金。このアダマンタイト様を!」
「……師匠、ちょっと待って」
小躍りしながらネックレスを振り回す。それに反射した微妙な光の加減に、ハルトスは何かを感知した。
「なによ」
「いいから」
カバンからモノクルを取り出し、魔術回路を起動してその存在を深く探っていく。解析はすぐに済んだようだ。額から汗が流れ落ちる。
「……師匠、これアダマンタイトじゃないです」
「……え!?」
「アダマンもどきといって、似てるけど別物です。有用な魔術触媒に成りえるアダマンタイトと違ってこれはただ硬いだけの鉱物ですね。価値はその……二百分の一くらいでしょうか」
「はぁ!? なによそれ! なんでもっと早く言わないのよ!」
「直接見る機会なかったんだから仕方ないでしょ! そもそも俺こういうの専門じゃねえしもともと師匠がアダマンタイトだとか言ったんだし! てかぶっちゃけ、マディル村みたいな小村出身の女の子程度がンなもん持ってるわけないと思ってましたよ! この年増のくせに世間知らず! 虫歯女!」
「それこそもっと早く言えよおおおお!」
彼らの喧嘩は風に乗り、すでに遠くを歩いていたリンの耳にも聞こえた。
彼女は呆れたように笑いながら、村の家族たちが待つ家へと、急ぎ足で帰っていった。
カオスワールド&ウィッチ タカザ @rabaso
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。カオスワールド&ウィッチの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます