相当に強大な都市だったっぽいよね

 雄治が言うには、くだんのアマチュア研究家・日高祥氏の情報として、

「元々は大淀川北岸の宮崎市瓜生野付近(つまり工事のため破壊された、前方後円型墳丘墓辺り)が都市の中心地で、その後対岸の跡江(ここ、生目古墳群付近)に中心地が遷移した」

 ということらしい。

 あ、智ちゃんも雄治が借りた日高祥氏の本を市立図書館の方で見つけたらしく、早速借りて一気に読んだのだとか。


「瓜生野の方の墳丘墓は、工事で破壊された時に色々遺物が出土しっせ、そいつを調査して貰っもろて弥生後期やち判明しちょるらしい。一方こっちの生目一号墳は、戦時中に早くも国史跡の指定を受けて、ほぼ未調査のまま放置されちょるけど、瓜生野墳丘墓よりは後の築造じゃねえか……と推測されちょる」

「へ~~」

「こっちの築造年代が学者の推定通りやったら、向こう(瓜生野墳丘墓)の方が本命っぽいな」

「なるほど……」


 あたし達は、あらためて一号墳を眺めた。

 まあ、たとえ向こうの方が本命であっても、こちらも卑弥呼様の墓の有力候補なのは間違いないし、仮にハズレだったとしてもその重要性は揺るがないよね。瓜生野墳丘墓と形もサイズも同じだ……って話だしさ。それに奈良の箸墓古墳の半分のサイズで、形がぴったし一緒なんでしょ!?――


 この一号墳を含め、生目古墳群全体が国指定史跡であり、史跡公園として大々的に整備されている。

 しかし史跡公園の方から直接一号墳側に移動出来ず、あたかも隔離されているようである。実際あたし達は一号墳の場所が分からず、雄治が位置を教えて貰ってぐるりと大回りし、漸くここへ辿り着いた。


 いざこの場に来てみると、駐車場とトイレこそ整備されているが、一号墳脇の樹木伐採すら為されておらず全体像が把握出来ない。生目一号墳という標識ひとつ、表札ひとつ無い。フツーの人ならここに貴重な大型古墳があるなんて気付かず、素通りするだろうね。単なる丘か小山にしか見えないもん。


 なんかさぁ、

「敢えて人目に付かないようにしてる」

 って感じるんだけど、あたしの考え過ぎかな!?


 あたし達はそれぞれ様々な思いを抱きつつ、雄治のクルマに乗り込み次の目的地へ向かう。約五km先にある、宮崎県総合博物館である。


 総合博物館というだけあり、満遍なくあらゆる展示がなされている。言い換えると、古代史関連に限ればそれ程見るべきものはない。ただ、

「これこれ。こいつを見たかったんよ」

 と、敬太郎君が指し示す掲示物を見て、驚いた。それは大きな宮崎市の白地図パネルである。広い宮崎市のほぼ全域に、弥生遺跡や古墳のマークがぎっしりと記入されているのである。


「弥生後期から現代まで一八〇〇年。ずっと田畑の開墾を続けてきたやろうし、宅地造成もやっちょるやろ!? 噂の瓜生野墳丘墓のように、保存されんで壊された物も多いやろうし、それこそさっきの生目古墳群だって散々壊されて、残った五〇基だけが史跡指定を受けちょる。そうやって長い歴史の中で沢山消失したっちゃろうけど、それでもまだ、これだけの古墳やら何やらが見つかっちょるんよね。スゲえよ」

「なるほどね……。卑弥呼様の時代の宮崎って、相当に強大な都市だったっぽいよね」

「そうそう。それが他の邪馬台国候補地との、大きな違いやなあ」

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