何故みんな勘違いしたの?

 その頃、山元智美も自室にて、魏志倭人伝にどっぷり浸っていた。


 これまで古代史に全く興味がなかった。邪馬台国論争に関しても、ごくごく常識的な知識しか持ち合わせていない。しかし昼間、サークルの四人で会話しつつ、

「意外に、面白い」

 と思った。


(敬太郎君の資料を読む前に、まずは魏志倭人伝を読んでみる方がいいよね)

 彼女はデスクトップPCを起ち上げ、魏志倭人伝を検索する。たまたま有村雄治と同じサイトを見つけ、読み下し文に目を通した。

 比較的丁寧に目を通したつもりだが、大した分量ではないので二〇分足らずで読み終わる。全容は大体把握した。


(それにしても……)


 邪馬台国初心者である智美には、どうにも解せないことがある。

(なぜ邪馬台国論争って、何百年も続いているの? 何故こじれたまま、行き詰まっているの?)

 夕方ファミレスでみんなと別れて以降、それがずっと気になって仕方がない。


(そりゃまあ、紗耶香ちゃんの『邪馬台国宮崎説』は、完全にオカルト情報だけどさ……)


 キッカケこそアレだが、しかし、

「伊都国の否定地が間違っているんじゃない? 佐賀平野が正しいんじゃない!?」

 という紗耶香ちゃんの指摘は当たっている、と感じるのである。そして、

「一番肝心の、拠点伊都国の比定地が間違ってるからこそ、邪馬台国の場所が未だ分からないんじゃないか?」

 という指摘も、まさにその通りだと思うのである。


 行き詰まりというのは、「間違いない」と思われている箇所に実は間違いがあるから……ではないのか。


 つまり、学者先生方の間では長年、

「伊都国は福岡県糸島付近で間違いない」

 と考えられてきたらしい。


 しかし実は、そこが間違っていた。なのに誰もそこを見直さなかった。だからこそ行き詰ったままだった……ということではないのか。「間違いない」と思われる箇所をこそ、よく見直す。これは問題解決ソリューションの「初歩いろは」ではないのか!?


(そもそも何故、みんな勘違いしたの? どうして誰も、そこに疑問を抱かなかったの?)

 智美には、そこが不思議でならない。


 伊都国について、Webで調べる。

(にゃるほどね……)

 福岡県糸島付近は、古代より「怡土いと」という地名だったらしい。また考古学的成果も豊富で、縄文、弥生時代の遺跡が沢山見つかっており、太古より先進地帯だったと推測されているそうである。


(うん。まあ、有力候補地だと思って当然だよね)

 そう思いつつ、様々なサイトを検索し続ける。

 ところがその二点以外に、根拠が見当たらないのである。

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