レポートの本質は『エンターテインメント』

「スゴい……。敬太郎君、スゴいよ」

 山元智美が感嘆の声を上げた。

「この『三つの可能性』って提示が、巧いよ。レポートってこうやって書けばいいんだ……」


「あははは。先に論点、争点を提示して、当てはまらないモノを一つずつ消去していく。こういう書き方もひとつのテクやね」

 秀才黒木敬太郎は事も無げに言う。山元智美はそんな彼を、尊敬の眼差しで見つめる。


「敬太郎の高等テクはともかくとして、オレ達が高校でレポートの書き方一つ教わらんまま大学に入るのは、何か間違まちごうちょるよな」

 と、有村雄治がボヤく。


 なるほど。問題はそこか。――

 入学早々レポートを書かされて焦りまくったが、だからと言ってセンセ達を恨むのは筋違いってことじゃん。


 あたし達は皆、普通科高校出身だ。普通科高校ってのはハナっから大学進学を意図して教育カリキュラムが組まれている筈。いわゆる「大学予備門」である。そこでレポートの基礎ひとつまともに教わっていない、修養の機会を与えられていない……って事の方がおかしいわけじゃん。

 うん、納得。――


 ということは、あたしがイライラ、ムラムラ(恥)した原因って、現代日本の学校教育のせいだ。決してあたしがヤラシいせいではない。そこんとこ敢えて強調しておくけどさ(笑)。それと、

「現代日本の学校教育は、愚民化・白痴化政策の一環である」

 という、あたしの教育学レポートの主張は、意外と当たってるんじゃない!?


「レポートって、結局アレやな。いや敬太郎大先生の高等テクにケチ付ける訳じゃねえっちゃけど……」

 有村雄治が言う。

「極論すると、論理思考に則った『エンターテインメント』やな」


「どういうこと?」

「論理思考っちゅうベースで頭を働かせることに、快楽を覚える連中がるとよ。そげな連中にとっては、論文ちゅうのは言わば『漫才のネタ』ンごたる。高等テクが駆使されちょるとドーパミンがばんばん分泌されっせヨダレを垂らしよるんじゃ。で、そげな論文を書ける人間が『優秀』ち評価されよる」


「そうやなあ。エンターテインメントっちゅう点は、雄治の言う通りやね。少なくとも文系の論文は、真理や事実の探求やら解明なんかは二の次っぽいな……」

 黒木敬太郎が、頷く。

「まあ、つまり論文のテクを二つ三つを仕入れておいて、先生を楽しませるつもりで書けば、大学のレポート位はどうにでもしのげるっぽいよ」


 なるほど。レポートの本質は「エンターテインメント」なのか。

 テクを使いまくって、いわゆる「論理的エンターテインメント性」を高めれば、評価に繋がるのか。優秀な学者と評価されている人達は、つまり「論理のテクニシャン」なのか。


 いや、でも、それって立派なヘンタイじゃん(笑)――

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