所在すら不明というのはどういうことなのか

 卑弥呼は倭国即ち日本国の女王だ……と魏志倭人伝に詳述されている。しかし我が国の歴史書に全く登場しないのは、どういうことか。


 仮にも大陸の魏朝が、外交相手として選んだ当事者である。


 魏朝は卑弥呼邪馬台国を、中華思想にのっとり卑下しつつも、あくまで「友好国」とみなし「対等外交」を結んでいる。これは、

「『親魏倭王』の金印紫綬を邪馬台国に贈った」

 という魏志倭人伝の記述にも見て取れるように、揺るぎ様のない事実である。しかも「金印紫綬」とは大陸王朝周辺の主要国にのみ贈られる。つまり、

「邪馬台国は、単なる地方の弱小勢力に過ぎなかった」

 とは考えられないのである。


 魏朝の側だって当然、古代日本の政情については把握していた筈である。


「倭国の弱小勢力の法螺ほらに騙され、強大国と勘違いし国交を結んでしまった。うっかり金印紫綬まで与えてしまった」

 とあっては、魏朝にとっても非常に恥ずかしい過ちとなる。国家の威信にかかわる大問題である。邪馬台国が倭国王、もしくはそれに匹敵する大勢力だ……という確認を行った上で、国交を結んだと考えるべきであろう。


 かつ、それが魏朝の勘違いではないからこそ、正史「魏志(倭人伝)」にその旨記述されている、と理解すべきである。

 つまり卑弥呼邪馬台国は、まさに古代日本の「国家そのもの」であったか、もしくは国を二分するような「大勢力の一方」だった筈なのである。にもかかわらず、我が国の歴史にその記載がないとは、どういうことなのか。その所在すら不明というのは何故なにゆえか。――


 秀才黒木敬太郎による分析は、明快だった。このミステリーを矛盾なく説明するためには、三つの可能性が考えられる、というのである。


 一つ目は、

「邪馬台国イコール大和朝廷だった」

 という可能性。

 であれば女王卑弥呼は、大和朝廷の歴史に登場する女性のうちの「いずれかに該当」するだろうというのである。ただ単に、我が国において「卑弥呼」という名前が使われていないだけだろう、と。――


 二つ目は、

「古代日本には大和朝廷以外にも大勢力が併存し、邪馬台国はそのうちの一つだったのではないか」

 という可能性。

 記紀、即ち古事記や日本書紀には大和朝廷主体の歴史が書かれているため、大和朝廷とは「別勢力」である邪馬台国については、そもそも触れられていないのではないか、と。――


 三つ目は、

「大和朝廷は、邪馬台国の歴史の後に誕生した」

 という可能性。

 即ち記紀には大和朝廷「以後」の歴史のみが語られ、その前に存在した邪馬台国については言及していない、というわけである。――


 この三つの可能性のうち、どれが正しいのか。邪馬台国の位置が特定出来れば、自ずとそれも判明するのではないか、という。

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