地下世界/マヤ城の出現

麻屋与志夫

地下世界/マヤ城の出現

1   


 東京。JR原宿駅。 

 麻生崇が駅舎をでる。

 フアッション最前線の街に明りがともった。

 明治通りに向かって崇は歩き出した。

 季節は、秋。年はさだかでない。いつもとかわらぬ、この界隈の夜。だが、微妙になにかがかわろうとしていた。時空に歪みが生じている。フアンタジーとリアルな世界がまざりあって存在しようとしている。

 それをとらえる感性をもつものはすくない。ケヤキの落葉がもう直ぐ歩道を彩る季節だ。すくなくとも、季節だけは確実に冬へかわろうとしていた。だれもが、それは皮膚で感じている。

 古風な、男はかくあるべしといった意味あいからすれば、崇は美男子である。浅黒く面長な顔。造型の女神がパンと両手でたたいて仕上げたようにひきしまっている。眉は濃く、目は澄み、鼻陵は高く、唇は真一文字。サムライ面だ!

 それも、過酷な鍛練の日々に耐えてきたラスト忍者の風貌。時空の裂け目からあらわれたのか?

 ラフオレからとびだしてきた少女がポカンと崇を眺めている。

 Two girls meet a boy.

 霊子と真木だ。潤んだまなざしが崇の顔をとらえている。

 声をかけようとした。移動する崇の動きが速すぎる。少女たちの熱い視線に崇は気づいていない。

 青山一丁目の角。世界に冠たるホンダビル。

 崇。

 見上げる。

 表情にようやく、若者らしい好奇心がみえた。

 おりしも「走り」の群れがハデナ警笛をならして、神宮の森にむかって狂走していった。崇は右折する。そのまま進めば墓地下を麻布霞町にでる。崇はそうはしなかった。舗道を横断した。宵の口である。渋谷。赤坂。六本木に急ぐ車がブッとばしている。この車のとばしようは……。

 ……さきほどまでは、年はさだかではなかった……。しかし、この車の流れは……!

 時が逆流している。昭和の末期バブル経済と呼ばれることになる時代らしい。年号がかわり平成となってからは、不況のドンゾコがまっていた。だが、いまは狂乱の巷だ。

 いまは株高、空前の好景気、アメリカの企業を日本が買収する時代だ。

アメシャが、ヤングにも買えた。そうした車の流れが、ドライバーシーとの男たちが崇の影を見た。ぎらぎら輝くビームのなかに、崇のシルエットをとらえただけで失速する。

 怒声をあびても不思議でない無謀な行為に、車のスヒードをおとすことで報いる。崇の周囲に、障壁(バリア )があるみたいだ。崇は……まったく車のことなど気にしていない車道から歩道の縁石に……かるく飛んだ。

 そこで、崇の動きがゆるんだ。

 崩れている。コンクリートの壁に瓦礫ができていた。

 歩道にもかすかな割れ目がある。雑草がはえ、人工と自然のせめぎあいがここでは起きている。崩れて小さな瓦礫を形成した箇所に穴があいている。人がくぐれるほどの穴が、宵の街にむかってあいている。

 周囲に気を配る。ところどころ鉄筋のあらわなコンクリートの塀だ。穴をくぐる。清々しい精気がながれだしていた。原宿から徒歩で30分。世界に名だたるホンダビルから100メエトルの距離に、このような土地がまだいきていた。都有地のためか。信じがたい広大な空き地だ。

 柿の木がある。枝もたわわに熟した実がなってている。雑木がそれも自生の乱雑さで青白い月光をあびている。まさに田舎の夜景だ。崇が今朝後にしてきた北関東は鹿沼の郊外山間部の西大芦は草久『鹿の入(かのいり)』の村落と同じような鄙びた風情がある。

 軒下に板切れがつるされている。『都有地につき立ち入り禁止』とある。原宿から青山と、ネオンの洪水をくぐりぬけてきた眼には信じがたい。荒れ果てた土地だ。崇がつぎにとった行動はさらに信じがたい。面妖なものであった。風のように廃屋の家並のなかをふきぬけていく。影となり、黒く流れる。そして、大地にふせ、また走る。とある、廃屋の前で消えた。尾行者がいたとしても、視認不可能な動きだった。いや、現実に……尾行するものは、いた。崇がそのものたちと遭遇するのは、いますこし後だ。

 廃屋には実をつけた太い麻の幹が数本、生えていた。妖気はその廃屋から漂い出していた。その妖の気が崇をなめまわす。  

 歓迎している。崇の意識がそうつげている。床も畳みも埃にまみれている。濃密な黴と腐臭。小動物の死骸でもあるのか。異臭と凄惨な荒廃がそこにはあった。

 よう似ておる。

 不可視の老婆の、声であった。

 親父殿(おやじどの )は元気かな。

 元気です。

 常人であったらききとれない。不可聴領域での会話である。浮遊体、姿なき老婆に、声にならない声で応えて床の間にたつ。床柱の窪みに右手をあてる。掌紋でのみ作動する。そういうしくみになっている。ふいに床が沈みだした。

 床の間がエレベーターのBOXになっていた。

 垂直に床が沈下しはじめた。竹篭の中の花瓶。誰の手で生けられたのか。菊が。いまはドライフラワーとなっていた。

 なつかしいものを見る目で崇は菊をながめた。鹿の入りの家の広大な庭に咲き乱れる菊の群生を一瞬おもった。そしてさらに彼方この国の象徴としての菊をおもった。急速な下降感に身をゆだねていた。BOXはぴかぴのステンレスへと壁面をかえていた。鏡のまえにたったように崇の精悍な顔を映している。   


 ラフオレの前で、崇を見てしまった。あの、ふたりの少女だった。

 崇をつけてきていた。胸を高鳴らせ、頬をそめて、乙女の純情ここに極まれりといった愛らしい顔で崇を追尾してきた。さらに、少女たちを男がつけていた。三人づれだ。二人の少女は、男の尾行には気付いていない。それほど、巧妙な尾行だった。

 信じられない美貌の若者を見た。ただそれだけで彼女たちは催眠術にでもかけられたように行動をおこしていた。崇を見た。だだそれだけで……。

 少女たちは、その一瞬のきらめきで、崇のあとをつけていた。

 若者の発散するフエロモンに誘われる。男臭さにひかれた。うっとりと眺めているだけではすませられなかった。腰が熱くねつをおびていた。彼女たちには、その理由すらわからなかった。魔性のものに魅了されたように、すれちがっただけの男をつける。少女にしては、……大胆な行為だった……。


 床の間に擬した、超現代的な冷ややかなステンレス製のエレベターが停止した。

下降のスピードと経過時間から深度は80メエトルは、はるかにこえている。リノリームの広い廊下がつづいている。等間隔でスチールドアがならんでいる。

 ようきた。

 老婆の、嗄れた声がよろこびにふるえていた。

 鹿の入りのみなは、つつがないかぇ。

 古の大和言葉のひびきをたたえていた。時代が平成から昭和へ……と逆転したどころのさわぎでない言葉にひびきがある。慈愛にみちみちた声音(こわね )……であった。崇はていねいに応えている。

 匂うような若武者ぶりじゃのう。

 崇はほほえみ、その賛美に応えている。

 声にならない、内なる声で、崇は応えながら廊下を行く。

 声をだし、面と向かおうにも老婆の実体はない。

 実体はないが、老婆は明らかに存在している。数千年の時空の流れを超えた存在として、崇の周囲にたゆたゆとしていた。奥まったドアの前に立つ。

「麻生崇(アソウタカシ)、お召しにより参上」

 古風な挨拶に、扉は声紋登録でもしてあるのか、するするとひらいた。

 これは、いままでの不可視の老婆との古色蒼然たる会話とは異なる空間。超現代的なインテリジェントビルの部屋へと一転した。コンピュター室。情報中央制御室、ICCルームだ。壁面に1〇〇インチの映像パネルがずらっとはめこまれている。円レート。ニュヨークのウオール街の株式の場立の場面がうつっている。ダウ平均、米国国際相場、日経平均などの数値が下方にリヤルタイムで刻々と変動してながれている。まったく意味のないような数字の羅列がすごいスピードでながれていく。ときおり、大型画面にはテトロップがあらわれ、世界の経済動向と政治の動きが、その指数がつたえられてくる。

「崇。明日は東京市場ではなにが、クル?」

「鉄が沈み、紙が浮上するとみます」

「個別銘柄では?」 

「山陽パルプ。前橋製紙。とくに前橋製紙は次期総裁候補、渡辺美知太の息のかかった綿抜建造の銘柄ですから」

「短期的にはそういうことだろうな」

 椅子から室長である男がたちあがった。たちあがったのだが、それほどその効果はない。短足。丸顔。童顔。大黒様のような、典型的原大和民族、年齢不明の男がそこにはいた。「父がよろしくと……。大芦川でとれた落鮎です」

 どこに隠していたのか。藁づつをとりだす。

「これはご丁寧に。いたみいる」

 古風に返礼する。童顔がほころびる。いかにも柔和なエビス顔で、うなずく。 

 部屋をでしなに、男は……。  

「明日は、鉄を売り、紙パルプ株をひろっておけ」

 キーボードを操作している白衣の男に命じた。

「了解」

 男のメカニックな声をあとに、室長と崇は次の部屋にはいった。


「都の水道局でこの青山、麻布、六本木をくまなく調査している。水道本管に水漏れのおそれがあるというのだ。老朽化した水道管を取り替えるという名目だがな。いずれにしても、われわれの〈城塞〉のありかを特定はできないまでも、探索の範囲は狭められてきている」

「テレビのDC番組でみました」 

 室長が書斎のソファに座る。室はがらり雰囲気がかわる。茶室にソファをもちこんだような、和洋折衷といった風情だ。アルファサウンドがかすかにどこからともなくきこえている。

「崇の、父上のおくってくれた古峰が原高原の虫の音だ」

 書斎と崇に判断させたからには、本がある。和綴じの古書がほとんどだった。黴臭い匂いをたてている。

「担当のニュースキャスターをおぼえているか」

「そこまでは……。麻積(おうみ)室長は……?」

 室長とよびかけられて、年甲斐もなく照れ臭そうにうぶな笑顔をうかべる。

 だが、この室長の年齢は外見だけではわからない。

「中村麻衣子だ」

 茶釜ならぬ、コーヒーポットから香ばしい黒いどろんとした液体が注がれる。

 カップは18世紀のウイジウッドの逸品だ。

 すべてが、崇が父からきいたとおりだ。         

「あいかわらず……コーヒーには酔うんですね」          

「麻布からこの青山にかけての地層には泥化現象をおこす危険性があるというのだ」

 ソファに座り直して、あぐらをかいて室長がつづけた。

「キリマンジェロだとおたがいに酔いがよくまわる……」

 室長も金時の火事見舞いみたいにこれまた赤くなっていた。

 顔をみあってわらう。カフェンに弱いのは、彼らマヤ一族の証しでもあった。

「水道の水漏れで地下地層に泥化がおき地盤が傾く。このままほおっておけば、舗道が陥没するおそれもある。それでくまなく調査する。将来山手線を地下にもぐらせると国土庁では発表しているからな。地下調査の大義名分がたつわけだ。近いところでは、地下鉄の工事がもうはじまっている」

 読んでおいてくれ、とわたされた新聞の切抜きには『大深度地下低コスト開発』と見出が読み取れた。

「やはり、そうでしたか」

「そういうことだ。名目はなんとでもつけられる。お墨付きはかれらの手にある。やっらが、われらマヤ族の地下要塞に気づいたというわけだ。かれらの動きをすこしでも、停滞させてくれ」

 不意に崇がたちあがった。

「真上じゃな」

 天井を室長がぐっとにらむ。気迫が丸い顔からほどばしる。


「なによここ」

 …………霊子がつぶやく。…………時の歪みをかすかに感じたらしい。真木がふりかえる。少女にしては成熟しきった乳房をゆらして霊子の声に反応した。

「どうなってるの……」

 幼さののこる声で霊子がつぶやく。彼女はスリムな体形をしている。ワンレングの黒髪がふわっとひろがる。体を回してあたりをみる。むりもない。ラフオレの前からつけてきた。胸をときめかせながら男をつけてきた。その男は消えていた。荒れ果てた廃屋の並ぶ空間にでた。アスフアルトの舗道をふんでいたヒールが雑草の生い茂った場所にでた。湿った土地のにおいがする。それも落ち葉の層が重なり、小動物や虫の死骸が朽ちる腐臭がたちこめている。メデュサの髪のように、夜空に妖しく細枝がからみあっている。

 ふたりとも、土地のあまりの荒れように驚く。柿の木に烏がとまっている。嘴を彼女たちにむけていた。好奇心からつけてきた男は、消えてしまった。

「うすきみわるいわ……怖い。もどろう」 

 こんどは、真木がいう。

「ほんと、気味悪いよ」

 ふたりの美少女は後ずさった。

「おねえちたゃん」

 きゃー、と悲鳴おあげた、季節はずれのアロハ、それもミッキーのプリントを着た男達にかこまれていた。

「なによ。あんたたたち」

 気丈に真木が叫ぶ。強引なナンパには慣れている。アーバンギャルだ。よくみれば、ナンパされてもいやな、ハンパナ若者だ。ミニクイ。キタナイ。ダサイ。こわがることはない。弱みをみせてはならない。

「おまえらこそ、なんだよ。こんなおかしなとこにきてよ」

「とおらせてよ」

 声をあらげてさけぶ真木を、男がだきしめる。乳房がゆれる。胸元の布がびーっとひきさかれる。容赦のない手が乳房をつかむ。白い豊乳をこねくった。

「あの男はだれだ。おまえらが、あいつをつけてきたのはわかってるんだ」

 男の唇が真木にせまる。男の手が真木の股にのびる。スカートがめくられている。男の下腹部がもりあがる。肉筒がそだっていく。だが、それは人間のもつ形状ではない。とぐろをまいているようだ。あのかたち、フツウじゃない。……フアンタジーの世界が現実に割り込んでいる。……そう気づいた。霊子はこんどこそ恐怖の極みにたっした。人外魔境で絶叫した。

 崇が地下で感知したのはこの叫びだった。

 霊子はのばされた腕をはらいのけた。彼女もおどろくほど素早い動作だった。

「なぜなの」

 恐怖におののきながらも自問した。なにがわたしにできるの。流行の護身術などならった覚えはない。スタンガンに頼る、か弱い女だ。

 それも、いまは携帯していない。家にわすれてきた。しかし、彼女の動きはさらにとどまることはなかった。腕を逆にとらえ、男をなげとはした。予想外の反撃はだが、敵を刺激し、怒らせた。


「このアマァ」

 男の目が赤く光った。歯が白く尖っている。人の皮をかぶった獣だ。食い殺される。くいちぎられ、ポインセチアのような赤い血……。もういや。ばかにしないで。ぎりぎりのところで、霊子の防衛本能が機能した。みずからを励ます。おいつめられた意識が反転した。

(なによ、このSFXのバケモノ。特殊メイクなんてはぎとってやる)そう思うと、恐怖がうすらぐ。ポインセチア、花言葉(わたしの心はもえている)だったわ。あのひとにあうまでは、死ねない。緊縛がとけた。「マキー、負けないで。闘うのよ!」わたしの心はもえている。もえている。真木を背後から犯そうとしていた、男の脇腹へ飛び蹴りをかけた。

「コノゥ、バケモノ」超A級の恐怖が霊子のDNAに潜む筋肉運動を活性化した。体が動く。カンフー映画でみたイメージ。流線型の蹴り。きれいにきまった。

(さあ、かかってらっしゃい。カムオン)男が立ち直る。霊子はさらなる攻撃態勢をとろうと、足をふんばった。こんどは、二段げりをきめる。とは、いかなかった。霊子の、ヒールがすべった。草が夜露にぬれていた。よろけた。そこをすかさず、首をしめられた。

「さからっても……むだだよ。オネエちゃん」男の吐く息がくさい。

(なんて、いやな臭いなの)くるしい。声が出ない。心臓が破裂しそうだ。意識がモウロウとなる。霊子は追尾してきた若者をイメージした。お茶だけでも、ゴイッショシタカッタ。声だけでもききたかったわ。意識を失うまえによびかけた。たすけてほしい。彼ならできる。わたしたちをこの危機からすくうことができる。                  

 たすけて。

 タ・ス・ケ・テ……。

 意識が遠のく。                  

 グエッ。獣のほえ声がした。呼吸ができる。新鮮な空気を肺いっぱいにすいこんだ。むせた。空気にむせた。霊子を締めおとそうとしていた暴漢がたおれている。憧れの超絶美男子の若者がいた。やわらかなウエーブしたヘアーが額にかかっている。彫りのふかい顔。真一文字にむすんだ唇。ひきしった体。唐突に実体化した。そんな、登場のしかただった。「やっと、現れたな」

 巨体の男が仁王立ちになった。暴漢にとっては、予期した男の登場だった。いや、真木も霊子も囮だったのだ。いままでのことは若者を召喚するための陽動作戦としれた。  

「麻生崇としっての狼藉なのだろうな」

 これまた古風な挨拶。シブイ声。おもっていたよりさらにさらに男らしい低音。 

 ラストサムライだぁ。霊子こころでさけんだ。

「蛇鬼(じゃき )、こい!」

「吸血鬼D、とよんでもらいたいな」巨体男が応じる。

 そぅか。こいつら、ヤッパ鬼ナンダ。吸血鬼(ばんぱいぁ)なんだ。            

 蛇鬼集団が崇をとりかこむ。

 衣服がさける。アロハのミッキーの顔が横にのび、ただの布切れとなって風に舞った。もりあがった筋肉が、あらわになった。元来、衣服を必要としないものたちであった。爬虫類のような鱗状の外皮。青白くて固そうだ。霊子はさとった。わたしたちの、抵抗など歯牙にもかけはいかった。この世にいきるのは、人間だけではない。日々みなれた街の風景の裏に暗黒界があった。人ではないものがその異界からせせりでてきたのだ。

 吸血鬼は楽しんでいたのだ。餌をいたぶり、絶対にとり逃がすことのない獲物にじゃれていたのだ。すべて、フエントだったのだ。崇を呼び出すための。

 吸血鬼の股間で肉筒がはねた。肉筒とみえたものは尻尾だった。有尾の鬼。ひときわ巨体の鬼の額で肉が瘤のように隆起した。犬歯がゾロっと尖って下唇まで伸びる。

「蛇鬼一族の『源鬼』か、話しにはきいている。見参するのははじめてだ」

 ひときわ体のおおきな男に声をかける。

 崇はひるむどころか、異体の群れ、蛇鬼にとりかこまれても平然としている。

「麻(ま)の者だな。鹿沼勅忍の武闘派」源鬼が崇によびかける。

「やはり、きさまらか。源鬼と蛇鬼一族」

「吸血鬼D、と呼んでもらいたいな」  

「手をひいてもらいたい」

「なんのことだ」

「しれたこと。伝説のマヤ城をさがしているのだろう」

 回転飛び蹴りでおそってきた。ヒューと、空気の裂ける音がする。源鬼の尾がびゅんとのびた。崇の目を狙った。狙った箇所には崇はいなかった。鋭利にとがった尾は崇の残像をないだ。目前を流れる尾。崇が肉の管をにぎった。ぐいとひく。いかなる技か。源鬼の体が宙で苦鳴を発する。中天になげあげられた。長い尾がさらにのびて、柿の枝にまきついた。源鬼はそこで一回転。枝が撓んだ。その反動でつぎの枝にとびうつった。

「かかれ」

 樹上からふたりの配下に源鬼が叫ぶ。二条の鞭が二匹の吸血鬼からくりだされる。危険な鋼の鞭のような尾がおそってくる。

 崇をなぐ。からみつく。突き刺す。崇は大地に仰臥した。瞬時大地に平たくへばりっいた。鞭が崇のいた場所を空しく打った。

 鞭はもっれる。からみあう。二本の鞭。吸血鬼の尾がからみあう。その結び目に崇が、同じく鞭をなげあげた。鞭とみえたものは縄であった。

 九節に折り畳んで携帯する暗器、九節鞭のようなものだ。

 崇のものは、野州麻をよりあわせたもの。その強靭さは伝説となっている。野州は鹿沼西大芦は草久の麻だ。弓弦に加工してもけっして切れることのない麻をよりあわせた。柔軟な鞭であった。不動明王の武器といわれる麻の綱。捕縄索が真っ直ぐに天空にのびていく。崇はその先にいた。巨樹の梢を流星となってとんだ。

 索がばちっと音をたてた。青白い炎をあげた。索がぴんと手繰られた。

 蛇鬼の尾がすぽっと、2本とも音をたててぬける。グワっと牙をむき無念の形相で痙攣する蛇鬼に、頭上から崇の蹴りがおそう。地上に音もなくおりたっと貫手で蛇鬼の喉笛をつきぬく。 

「吸血鬼は突き技によわかったな。こんどは杭でも心臓につきたてるぞ」

「吸血鬼とよびかけてくれたな。いたみいる挨拶だ。できればDもつけて、フルネイームでよんでくれ」

 源鬼は配下の消滅など眼中にない声で応じる。吸血鬼の、異界の生物の尾をひきちぎる技に、いかなる秘法がこめられているのか。蛇鬼の青い肌を突き破る貫手にいかなる鍛練がかさねられているのか。

 つきやぶられた喉もとは、栓をぬかれた樽のようだ。青い汚液をしたたらせて蛇鬼はとけていった。その実体が完全に消滅した。

「またくる。この恨み、わすれまいぞ」

 難をのがれた、首領源鬼、吸血鬼Dの声だけがした。呪咀が夜空にこだました。「この恨みワスレマイゾ」

 索が崇の手のなかにするするとたぐられて、消えた。



 永田町にある内閣調査局の末端機がブラックアウトした。画面は沈黙した。

「マザーに回線をつないでもだめか」

 局長の竹島がいらだつ。周囲に指示する。不機嫌をかくそうとはしない。

「なんどもアクセスしています」

「返事は……」

「質問の意味は理解しますが、インプットされた資料がありません」

「それだけか」

「申し訳ありません」

「亀田にあやまられても、はじまらん」

「局長。しかし、麻の者とは……?」

 蛇鬼集団を束ねる広域暴力組織清田組が、伊東代議士にもちこんだ超小型のボイスレコーダー。麻生崇と源鬼の会話が録音されていた。その中の意味不明の名詞だった。

「コンピューターにかわって、亀田にあやまられてもどうにもならん」

「ですが……」

 おもわせぶりに亀田がきりだす。

「わたし個人としては噂はきいています」

「それでこそ、わがシンクタンクだ」

 局長がほっとして、めずらしく声色を和らげる。

「……ただ、あくまでも、噂の域をでませれんので……お耳にいれるのは、どうかとおもいまして……」

 亀田が焦らす。

「このさいだ。噂でも伝説でもかまわない。きこうじゃないか」

「その伝説にちかいのですが」

 神武天皇東征のおりのことだから神話にちかい。

 熊野から大和への道を天皇の矛先にとまって道案内をしたとつたえられている八咫烏。寓話や神話の世界ではよくあることですが、人を獣や鳥類にたとえます。

 むろん神武東征記を寓話だと言うのではありません。はっきりと人名をだせないときによく使う手です。烏は黒衣の土着の民だったのでしょう。その功績にむくいるため子々孫々にいたるまで朝廷の守護をもうしつけた。

 東征偽書外伝に記されています。これが朝廷のみにつかえ、国益至上主義でうごく忍者集団があった……という伝説です。

「勅忍か……。それが、いまも連綿とづづいていたとなると……やっかいなあいてだな」竹島局長がさきをうなかす。

 ですから、国に変事があるときのみ、なんらかの形で歴史に関与しています。

 朝廷即国家なり。といった、思想の集団。攻撃より防御を旨とした、守護が技の集団だったときいています。宮使いで禄をはみ、報償をえることをいさぎよしとせず、自らの力で蓄財の才にたけていたともいわれています。江戸時代の不世出の相場師『本間宗久』もマヤ族だったと、本間は本麻との説もあります。

「麻屋か。まさかマヤからの移住の民だ、などといいいだすのではないだろうな」

 八咫烏のあともういちど、歴史のその片鱗をみせたことがあります。亀田が事務的につづける。

 仏教を布教するようにとの勅命をおびた空海を守り、全国を流浪したのち、野州、いまの栃木県鹿沼市引田大字手洗に住み着いた一団があったというのです。『麻』の栽培をする。麻を生む。麻生とか、麻の売買をする『あさや』すなわち麻屋となのったというのです。

 一族のなかでは珍しく武闘派です。江戸時代、日光街道を朝廷の……例幣使が通過するとき影の警護にあたっていたので、野州忍者の異名もあると……。

 あれほど頻繁に例幣使が街道をいききしていたのにいちども夜盗のたぐいにおそわれたことがなかった。かれらの影警護があったからだといわれています」

「どこでしこんだネタだ」

「M資金の謎をむかしトップ屋だったころおっていてました。兜町で、正体不明の仕手集団を調べていて……「アサ」が動くという噂をよく聞いたのです。麻布土地、麻布ビル、麻生建設、麻のつく企業はいくらでもあります。マヤかしめいていますが」



 ふたりの美少女、霊子と真木にともなわれて、崇は六本木にいた。

「崇。ねえ、崇」たいへんなもてようである。


 キリンシティで生ビールをたのしんでいた。カフェインには弱いがアルコールには強い。 ……時の流れが逆行している。時がぶれている。平成と昭和が同時に存在している。因果と結果が逆転したりしている世界に彼らはいる。

「昭和元禄とはよくいったものだ」

 若いのに、一昔前の流行語をつぶやく。

「崇、気んなってるんだけどー、都会はじめてなの?」

 オートドアを手であけようとしたのをみられていた。

「あたりー」

「え、え、えほんと。だからあんなおかしなとこに迷いこんだのね」

「そういうこと」

「あれって、幻よね」

「わたしたち夢みてたのよね」と真木。

「尻尾はえてる人間なんで、いるわけないものね」

 さすがアーバン・ギヤル。たちなおりがみごとだ。 

「人生そのものが夢のまた夢じゃないかな」

「また、もうーわかんないこといって、ごまかすんだから」

「ねえ、崇、デスコにいこう」

「キングコングがいいわ」

 と真木がまたはしゃぐ。

 崇と霊子、真木はつれだって,キリンシシティをでた。

 デスコ・キングコングにこれから踊りにいこうというのだ。

 ロア・ビルの角、鳥居坂のスロープがはじまるあたりに、琥珀色のロープとチュープライトで囲まれた一角があった。

 地下にむかって、ぼっかりと空洞がみえる。都の水道局の作業員があわただしくうごいている。ライトが点滅していた。

(探索の輪が縮められてきている)

 崇はぞくっとするものを感じた。

「いやあね。また水道管が破裂したのかしらー」

 霊子が真木をふりかえる。

「先週の青山のときはすごかったわ。水が路面にふきだして……交通は遮断。どうなっているのかしら、東京の水道管は」

 1987年から、水道管からの漏水が原因と都当局から発表される、舗道の陥没現象が続発た。漏水により水をたっぷり含んだ砂層の液状化。地震による揺れが大きくなると、地盤のなかのすき間の水圧が急激に高まり、地盤が液状のようになる。シトル層と呼ばれる微細で含水量の多い土から成り立っている東京湾区域で液化現象がクローズアップされたのは、千葉県東方沖地震があってからのとだった。

 水道局の作業員が地下の漏水探知機と称するメカで、夜の麻布、青山、六本木の舗道をまるで大地に聴診器をあてるような格好で探索しているのがテレビで放映されたのが昨夜のことだった。崇は草久の生まれ育った麻葺き屋根の家でそれをみていた。

 草として久しく生きよ。と麻生家の祖先が空海をつうじて勅命されたことに起因するという地名だ。祖先が土着した引田よりさらに日光よりの山間にある部落だ。

 鄙びたあばら屋にそぐわない50インチテレビが、べつの映像をうつしだした。

 室長のエビス顔があらわれた。

「みたか」

「いかにも。非常事態ですな」

 崇の父、幻無斉がこたえた。

「崇の初陣じゃな」

「御意。いつお召しがあってもいいように、鍛えてあります」

 それで、映像はもとの番組にもどった。最近離婚した美人のニュースキャスターが解説していた。中村麻衣子だ。室長に聞いて、崇が知ったばかりの名だ。  

「漏水調査とは欺瞞。マヤ城のありかをさぐっている。古来より麻布には怪異がつきまとっている。巨大な糞がとぐろをまいていたなどという伝承もあるくらいだ。ひとびとを夜、よせつけぬためのわれらが工作だった。いまは夜も昼のように明るすぎる」


「なにさ。しんみりしちゃって」

 真木が崇の背をおした。

 キングコングの模像が店頭にある。それを見上げていた。

 強烈なデスコサウンドが耳をろうする。踊りだしてみると、崇のブレイクダンスはひとびとの目をみはらせた。軽やかな動きだった。瞬間、平面になったのかと驚きをさそう。仰向けにたおれる。

 軸がない。それなのに、尾底骨を中心にプロペラよろしく回転する。動きが加速されていく。空気の飛沫が辺りにとびちる。むろん、サウンドにのっている。

 浮上していく。拍手がわく。崇のからだは、すでに宙に浮いている。おどろくべし。崇をささえているのは、細い索である。光りと音と崇の動きに幻惑され、だれの目にもとまらない。幻の索術。



 崇が得意になってブレイクダンスに興じている頃。……神楽坂。

「六本木にキングコングが現れました」

「なんだ、それは」

「すみません、親分」

「親分でない、社長だ。なんどいったらおぼえられるんだ」

「六本木のキングコングに麻の者があらわれました」

 平身低頭しているのは、源鬼だ。

 青山一丁目の荒廃した都有地で崇との闘いに破れ逃げ帰った蛇鬼の首領だ。

 広域暴力団清田組、表向きは株式二部に上場されててる中堅どころのゼネコン会社だ。神楽坂にあるその社長宅。

「六本木なら川村のシマだな」

「へい」

「連絡はつけておく。またドジるなよ」


 伊東代議士の私邸。目白台。

 その三階の部屋からは『椿山荘』や早稲田の街の明りがみおろせた。

「どう考えても、東京製麻を手掛けて成功した仕手集団の正体がわかりません」

 秘書の木島が悔しそうにいう。神経質だ。メタルフレイムになんども手をやっている。「明電工。日本土地。コスモポリタン。の仕手集団とはちがい、その本尊の実体が掴めないとすれば、やはり麻の者、ロープの手だろうな」

「兜町はじまっていらい、幻の仕手株といわれてきた東京製麻を短期間に四倍にもハネさせて仕上げるなんぞ、ただ者の仕業じゃないからな」

「マヤ城はあるのですか。黄金でできているという城が……この東京の地下に……」

「ある。かならずある。木島、地中深くに建築されていて腐食しない材質はなんだ」

「金です。金だけが永遠に腐蝕を免れています」

「それだ。だから……地下街や地下鉄工事にかこつけて、黄金の城を探し続けてきたのだ」

「それが、六本木界隈ですか」

「うかつだった。ちゃんと麻布、麻府、麻の都ともいうべき地名があったではないか。清田のとこの蛇鬼が麻の者と闘った。青山の麻布よりだ。つきとめたな」

 麻の者もあわてている。

 追い詰めたぞ。油断するな。

 いかなる反撃をくうか、わからん。なにせ、相手は正体不明の麻(マ )だ。麻を伊東は〈マ〉と呼んだ。

           


 

 崇は昭和も終わろうとしている時代にいた。

 時空の裂け目で昭和と平成が通底している。


 崇は空中で体ををスピンさせて決めた。

「うそー。五回みたい」

 崇はトイレにむかった。清潔すぎる白いタイルに崇の影のみがあった。

「またせたようだな」

 侍言葉のノリだ。崇がタイル壁に声をかけた。応えは縞蛇状の鞭だ。崇が立っていた場所を鋭利な刃物のように薙いだ。衛生無害であるべき光沢ある壁から源鬼が出現した。

「性懲りもなく、招かざる客だな」

「そちらで招いてくれなくとも、こっちであんたに聞きたいことがある」

 ケケケケケッと源鬼が陰気に笑う。

「なにを聞きたい。吸血鬼D」

 そう呼びかけられて、Dはそれしそうにニタニタする。

「しれたこと、マヤ城の在処よ」

「それを確かめてどうする」

「古来より、黄金宮殿であると伝わるマヤ城をそっくりいただく」

「水道管の破裂などと見え透いた嘘をマスコミに流してまで探ったのだ。大方の見当はついているのだろう」

 フロアの方角で悲鳴が上がった。

「しまった」

 崇は走りだしていた。

 やっらの目的は女だった。

 霊子と真木が暴走族に担がれていた。

『略奪婚』をテーマとした一大パフォーマンスとおもい、拍手で眺めていた観客に衝撃がはしる。鞭に肉片をそがれた。ボーイの頸動脈から鮮血がほどばしるのを視認して遊びでないことを知った。悪鬼は血のしぶきを喜々としてあび、ボーイの喉もとにすいついた。「ナイフをもってるぞ」

 崇や霊子、真木に見える吸血鬼の尾、凶器の肉の鞭が踊り狂うヤングには存在しない。鞭は透明なのだ。ナフなんかじゃない。尾をはやした、凶悪な人間? がいる。吸血鬼がいる。血をすっている。みえないの。悪鬼がいるのに。人間でないものがまじっているのに。目を開けてよ。吸血鬼の背中で霊子は声にならない声で叫んでいた。

「崇」声がでた。かならず助けにきてくれる。「崇。はやくきて。はやくたすけて」

 崇は吸血鬼のヒトリを手刀で倒した。エントランス・ホールの階段に殺到する群衆の頭上でなにか、きらめいた。霊子の高く上げた腕だ!ブレスレットが光った。虚空でなにかにすがろうとする。手の動きが、指の動きがみえる。「崇!」という悲鳴が頭にひびく。からみつくDの鞭を、中空にスピンしながら振りほどいた。「待っていろ。いまいく」

 崇の全身からブルー・フレアが沸きでた。ヒトビトの頭上を滑走する青い炎の中の崇を目撃したのは、Dだけであった。霊子の腕に崇の麻索が巻きつく。

 尾を隠し、吸血鬼が霊子を横抱きして、まさにバイクに跨がろうとしてる。ぐいとひくとひく。霊子が崇の腕の中にとびこんできた。拿捕した真木を抱えた吸血鬼のバイクはTKYタワーの方角に逃走する。

 追跡しなければ。崇はキックスターターを蹴る。崇の四本貫手で喉をつかれ、霊子をかかえていた吸血鬼は歩道に転がっていた。



 霊子が留守番電話をプッシュした。崇は真木の追走をあきらめた。霊子のワンルーム・マンションに戻ってきた。代官山だった。

「女はあずかった。女の命がほしかったら、マヤ城の在処と侵入経路のわかる地図をもってこい。場所と時間はあとで連絡する」

 ステロタイプの脅迫。Dの陰惨な声が響いてきた。

「真木をたすけて」

 受話器をおいてふりかえる。崇は絨毯の上に、結跏趺座していた。精神を統一している。

「もういちどいまの声を……」

 青白い炎が崇の背筋で揺らめいた。

「もういちど……」

 額に汗が沸いた。極度の精神統一をはたしている。上半身が揺らぐ。

「そんな……こと」

 あるわけがない。霊子が絶句した。崇が霊子に囁いたのだ。

「電話はこのマンションからだ。それも、真木の部屋」

「この、真上、6階よ」

 部屋には真木が転がされていた。凌辱された気配は? ある。スカートの乱れを直してやった。

「歩けるだろう」

 真木は無視した。崇のスカートの裾にある手をとると秘所に導いた。崇が当惑していると、かさねた手を淫猥にうごめかせた。秘裂をさすりだした。崇の指がぬめぬめとした割れ目に愛撫を加える。

「すき。最初に会ったときからもえてたの」

 崇の男根に唇を寄せてきた。崇は全裸になっていた。鍛え上げられ、だがほっそりとしたからだに猛々しい男根が天を仰いでいた。真木の口腔に収まりきるしろものではなかった。先端から粘液を滴らせていた。真木の下肢をおおきくひらくといっきにそれを挿入した。絶叫が女の喉からもれた。

「なによ。遅いと心配してきたのに」

 崇の背後で声がした。崇は霊子を無視する。崇の腰の波動はたかまっていく。この時、真木の顔に怪異が現れた。青銅色の鱗が顔を覆った。その顔が快楽にゆがんでいる。不意に崇が男根を抜いた。

「トイレは?」

 崇が霊子に声をかける。霊子の目は、男根にいった。恥ずかしくて、かすんでみえた。真木の女陰から抜き出したばかりのそれは、湯気をたてている。巨大なナメクジのようなものがまきついている。

「トイレまでもたない。よくみろ、これが吸血鬼のこわさだ」    

 トイレにむかってはしりながら、崇は男根に手を置いた。

 ゆつくりとしごいた。ナメクジが剥がれた。両手を合わせ真言を唱えた。合わせた手から粉末がやっとたどりついた便坐におちた。ゲボっという絶叫を粉があげた。響きには恨みがこめられていた。レバーをまわす。水が奔流して粉末となったナメクジはあとかたもなく流されてしまった。

 トイレのドアは開け放たれたままだ。

「なにょ。いまの、なに? 説明して」

 霊子はトイレの扉によりかかってきく。照れ隠しもあって、詰問する。

「いまのも……見えたのか」

 崇がほっと息を漏らした。快楽にひたっているとおもえたのはあやまりであった。崇は吸血鬼と闘っていたのだ。

 苦行から解き離されたために洩れた吐息だった。

「ねえ、なんなの」

「大変なことにまきこんじゃったな」

「だから、なんなのよ」

「いまのは、吸血鬼の残留思念が込められたあいつの精子だ」

「なんだか、わかんない」

「あれを植え込まれた女は吸血鬼のいうがままに動く。吸血鬼にリモートコントロールされるのだ」

「怖いわ」と霊子。ベットにぐったりとしたままの真木を寝せた。吸血鬼化現象はきえていた。昏睡状態だ。さきほどまでの媚態がうそみたいだ。「どうなるの」

「おれもはじめてのことだから。おそらくあすになればケロッとしおきるだろう」

「なにも覚えていないの」

「ここにいるのは危険だ」

「吸血鬼がくるの?」

「くる。かならずまた襲ってくる。真木をマインドコントロールできない。埋めこんだナメクジは、気づかれ、除去されたことをいずれは知るはずだ」

「真木もつれていって」

「いちどは、蛇精を植え込まれたからだだ。これからいくところには入れないだろう」



 代官山の高台にあるマンションのエントランスを出た。渋谷の夜景が眼下にある。崇がこれから、女の子を伴ってひきあげるとリストウオッチに囁く。    「どこへいくの」

「東麻布」

 おりよくタクシーをひろえた。渋谷を通過し青山通りを麻布方面にタクシーは走っていた。車のウインドグラスが震えた。数十台のバイクに囲まれていた。

「どうなってるんだ。なにやってるんだ」運転手が叫んだ。

 バイクの群れ。ぶっきったマフラーに鉄パイプを立てて騒音を増幅させながらタクシーを取り囲んで走行する。

「美女が乗ってるからな、妬いてるんだろうよ」

 崇が惚けた。だがそれではすまなかった。パイプで窓を叩き割られた。車はスリップしながら青山劇場前の広場に乗り入れた。道路の縁石に乗り上げ、不吉なブレイキ音を響かせながら急停車した。

「降りてくださいよ。巻添えはごめんだ」

 運転手がドアを開けた。ガラスの破片が街灯にきらめきながら散らばった。  「子供もいるんだ。うらまんでな」

 捨て台詞を残して逃げ去った。霧がでていた。族の連中が崇と霊子を取り囲むようにバイクを止めた。ライトはそのままだ。

「霊子の名字は?」

 恐怖にたいする感度が鈍いのか。崇があくびまじりの声が尋ねる。

「浅田よ」

「浅田霊子か」

「なによ」

「恋人のフルネイムだ。覚えておくよ」

「なによ。縁起でもない」

 恋人と呼び掛けられて色白の顔に紅がさすが、声は泣き声だ。

「ジョークだ。こいつらは、蹴散らす。なんてことないさ」

「なにいちゃついてる」

「しょうこりもなく、また吸血鬼か」

 霧がさらに濃くなった。湿気のない、煙りのような霧だった。

「浅田か。それはいい。いままでに護身術は……?」

「習ったことないョ」

「でも、自分の身くらいは……守れた」

 青山での活躍を言われているのだ。自然と体が動いたのだ。

「霊子もアサの者の血が流れているのだ。浅は麻だろうよ」 

 パイプが風を切った。パイプが横に薙いだ地点に崇はいない。

 男は利き腕を逆に取られていた。パイプは崇の手に渡っていた。

「あんたは吸血鬼の仲間ではないな」

「六本木の川村組のものよ」

「源鬼の身内にしては多すぎるはずだ」

「霊子。人間からつぶしていく。テイクイットイイジイ」 

 霊子と真木は気楽になどなれない。

「なめやがって」

 声はヒトか吸血鬼か。崇は声にむかって蹴りをいれた。

「なにぃ。これ。SFXの撮影なの?」

 遊び帰りの青短、女子大生の声か? 視界0。霧には声が含まれていた。崇にだけ可聽な。霧には形があった。崇にだけ視認できる。輪郭はおぼろではあるが、人型の姿からはっきりとした声がささやきかけてきた。

 崇よ。……霊子はわしらが守ろうぞ。……霊子はばばたちに任せよ。しばらくぶりのシャバ(娑婆)だ。ばばたちにもたたかわせてくれや。誰か、暗視カメラで撮影してる。と、……崇はめまぐるしく動きながら声にならないで老婆たちに囁く。

「先刻、承知」 

 頼もしい応えがひびく。霊子にとびかかろうとした革ジャンの男が目に見えぬ障壁にはねかえされたようにふっとんだ。

「すごい。血がはねた」

 間近で声がする。霧がややうすれている。霧が動きだしたのだ。崇には見える、人の姿の霧が移動して吸血鬼と川村組のチンピラをおそっている。

 女たちの喚声があがる。

 これが撮影などでなく、とびちっているのも本物の血としったら彼女たちは白眼をだして失神すだろう。だが……。なぜだ。なぜ、ここにテレビのカメラがとびだししてきているのだ。街頭撮影の現場だったとでもいいうのか。

 めまぐるしく手刀を相手にたたきこんでおいて、崇はその場を去ることにきめた。



 東麻布。瀬里奈のグリンーハイツの向かい側の麻暖簾を崇と霊子がくぐった。とうに0時をすぎている。終夜営業のソバ屋だった。店の名は『麻縄』。

「彼女たちをさきに、休ませて下さい」

「承知」

 霊子はすがるような顔でふりかえつた。真木はけろっとして女将のあとについていった。

「あとからすぐいく」

「はやくきて」

 女将に案内されて奥に消えた。

「気丈な子だ。おれと出会ったばっかりに、怖いものをみた」

「でも、本部から連絡がはいったときおどろきましたよ」

「そうかい」

 茫洋とした声でこたえながらつがれた冷酒をのみほす。

「麻縄という店名の由来は死んだ父からきいていましたが。今時、麻をよりあげた縄を武器とする麻一族の武闘派がいるなんて」

「夢にもおもわなかった?」

「はい」

 そろそろ髪に白いものが混じってもおかしくはない主人の寛二が肴を並べながら感嘆している。

 崇にはおかしかった。肴に箸をつけようとした崇が振り返った。

 ちょっと間を置いて麻暖簾を潜る人影がさした。主人が軽い舌打ちをして対応にでた。女だった。それもすこぶるつきの別嬪。

 ニュースキャスターの中村麻衣子だった。それで寛二が慇懃にことわっている。壁にはめこまれた鏡を、横目で睨みながら「どうやら、おれの客らしい。どうぞ」と崇がとりなした。麻衣子に相席をうながす。

「あれ、どういうことよ」

「まあ、駆けつけ一杯」

「古いこというのね」

 白い喉をうねらせて麻衣子は飲み干す。

「こいつはすごいや。なんぼでも飲めそうだな」

「なにもうつつていなかったのよ」

 やっぱと、崇は現代っ子らしく、おもう。「青山劇場前の乱闘シーンが?」

「そうよ。説明してちょうだい」

「ほんとになにも写っていなかつたの」

「わたしが嘘いっても始まらないでしょう」

「やるもんだな。お婆たちの幻術だ。麻衣子さんですよね」

「わたしの聞いてることに応えて」

「だから、おれがこれからはなすことには、あなたの名前がかんけいしてくるんですよ」あっと寛二が驚いた。

「このひともじゃあ……麻の……」

「そういうこと。おれがうごいたので波動がみなさんにとどいてしまったのです」

「なんのことよ」

「おれが東京にでてきた。おれがいるせいなのだ。麻の波動が一門のもの共鳴現象を呼びおこした。みなさんのわすれていた記憶を覚醒させてしまったのですよ」

 酒がすぐにまわった。目の縁をあからめている。声が仇っぽい。

「一族再会ってとこです」

「だから……なんのことなのよ。まさか、前世ではわたしたち……親戚だったなんて……」

「カメラにはなにも写っていなかった。なぜですか」

「それが、わからないから、きいてるのよ」

「麻衣子さんは、どうしておれたちを待ちかまえていたのですか?蛇鬼の指示で動く族の群れにおれたちがおそわれるのを予期できたのかな? ぐうぜんではないでしょう」

「邪気」

「ほら……なにもしらされていないんだ」

「電話があったのよ。青山劇場のまえでおもしろいことが起こるって……」

「利用されてるだけなんだなぁ」

 外から殺気がただだよってくる。

 崇は麻衣子をのこしたまま、霊子のきえた奥に向かう。

「あとで、れんらくしますよ」

 心配そうな顔の寛二のかみさんに声をかけて、裏口からでた。ソバ屋の前にはテレビ局の車が止まっている。その周囲に怪しげな男たちがたむろしていた。

 プレスの人間ではない。崇は彼らを避けるふりをして、裏口からでたか、ほんとうはその逆だった。深夜の街にかれらを誘いだして、一人でもおおく倒しておきたかった。地下から崇にだけ体感できる微動がつたわってきた。

 今宵も地下鉄工事が徹夜でおこなわれているのだ。

 辻公園にいた。かれらもそのころになって、尾行しているのではなく、そこにさそいこまれたことに気づいた。族の若者だけで五人。蛇鬼が一匹まぎれこんでいた。

「もう、このへんでいいだろう」

「なに?]

[血のめぐりのわるいやっらだな。あんたたちがついてきたのではない。おれが誘った。そういってるんだよ」

「なんだと?」

 こういうことよ。崇の声が掌底突きともにとんだ。大仏のように構えた手の平が交互にくりだされた。相手の体には触れていない。衝撃波となって気の固まりが彼らを襲った。吸血鬼だけがのこった。

「じぶんだけ、波動をさけられたとおもうなよ。あんたにはボスの源鬼のいどころをききたいのですよ」

 あらたまった言葉には自信と皮肉がこめられている。

「できるかな」

 吸血鬼の返事がそれだった。あいても吸血鬼だ。捕獲されるとはおもってもいない。



 千駄ヶ谷。ガード下。橋柱の壁面。

 傷を負わせた蛇鬼を尾行してきた。蛇鬼がよろける。スプレーで落書きされたコンクリートの壁によりかかった。

 妖霧がただよっている。あの奥になにかある。

 蛇鬼が、霧にとけこむ。消えた。

 崇は壁に接近した。蛍光スプレーの文字は、『真道教』と読めた。文字には、悪意が渦をまいている。

 感性の劣化した通行人には、暴走族の落書き文字くらいにしか映らない。髭文字の箇所を強く押した。見よ、壁が一瞬泥濘のごとく軟弱化したではないか。

 崇にためらいはない。壁の内側へ飛び込んだ。足元を光る鮮苔類が照らしている。ほのかな青い光りだ。どくどくしい赤い花をつけていた。妖気がその花ばなにもたゆたゆとしていた。強烈な匂いがしていた。発狂しそうな悪臭だ。崇は、思念をめぐらす。悪意がおくのほうからただよってくる。   

 視野がひらけた。新宿御苑にでていた。

 この奥にはなにもないはずだ。それがある。木造だが、ビルのような方形の建造物だ。鬱蒼とした森の中、樹木にかこまれている。

 崇が来た方角からしか接近できないような所だった。ここは異界に生きるものにのみ体感できる空間なのだ。内部はドームのようになっていた。崇は梁の上にしのんだ。低いマントラが聞こえる。

 壁にはめこまれるように安置された巨大なシバ神の像にむかって、源鬼が結跏趺座して、マントラをとなえていた。白い頭巾つきのローブをきていた。源鬼は邪悪なオーラをはなっている。

 人の目には異形のものとはうつるまい。蛇鬼の声が低く高く波動している。

 祭壇には緑の香炉があった。淫惑の匂いをたちのぼらせている。信者は放心状態。淫夢の中。シバ神の両眼が赤色に光っている。

 光りは反対側の壁までとどいていた。二筋の光軸のしたで、被衣をきた蛇鬼の集団が足を組んだまま蛙のようにねている。信者もしだいにシンクロする。異様というよりは、コミックの世界だ。

 シバ神の口からピンクの煙りがはきだされていた。香炉からたちのぼる煙りとそのピンクの煙りが混ざり合う。煙りを吸ったものは、夢幻の境地にさそわれる。錯覚。跳躍は加速度をました。仰向けに倒れる。失神するものが続出する。

 源鬼のマントラがはたと止んだ。梁の上で崇は穏行している。源鬼は猫のように鼻をあげ空中にただよう気配をかぎとろうとしている。

 崇はさらに呼吸をとめる。またマントラがつづく。

 小部屋がいくつも隣接してならんでいる。貫頭衣ともみえる、なんともおかしな服の、影がよこたわっていた。

「たすけて……たすけて……」

 ドアには南京錠がかかっていた。崇が握っただけバチッと錠がはずれた。

「どうした」

「つれだしてください。このままでは、コロサレル」

 まだ若い。貧相だが、真面目な顔だ。

「なぜだ。なにをしたのだ」

「規律にしたがはなかった。だから……ころされる」

 マイクから流れていたマントラの読経がとだえた。

 ……いまやハルマゲドンは目前にせまっている。源鬼のものでない声がながれてきた。昭和の時代はまもなく終りをつげる。暗黒神シバの時代が蘇るだろう。生き残れるのはわれわれだけだ。これは断じて蛇鬼の声ではない。聴くものを夢幻にさそ声だ。

「だれなんだ。あの声は?」

「尊師です。ああもうだめだ。わたしの心が読まれている」

 崇はすばやく辺りをみまわした。部屋の隅、天井からさがった裸電球の傘の陰に隠しカメラがあった。おそらく特注品だ。掌のかくれてしまうほど精巧なものだった。レンズに崇の手からのびた綱が紙をはりつけた。

 ……わたしたちの敵は、麻の者とよばれてきているマヤ族の末裔、だが彼らこそ麻族、すなわち魔ぞくなのだ。われわれ鬼族。尊い貴族をほろぼそうとする敵だ。

 まるで語呂合わせのたわごとだ。だがマイクからは大広間では、蛇鬼の群れや信者がしずまりかえって聴いているのがつたわってくる。崇は尊師の顔を見たい。どんなことがあっても見たい。だがこの男の命を救うことが先だ。抱え上げる。暗い回廊をあるきだした。声だけが頭上からふってくる。

 ……伝説のマヤ城は麻布界隈にある。麻の武闘派が現れて、わが源鬼に撃退された。南青山一丁目の都有地の地下かも知れない。地名からすれば、麻布。ともかくあのあたりをくまなくさがしなさい。膨大な宝がかくされているのです。わが『真道教』のみなさん、ハルマゲドンを闘い抜くのにはぜひ巨額の金が必要なのです。

「だめだ、追いかけてきている」

男がギャと叫んだ。背から火花がちった。なにか埋めこまこまれていた。それが、レザー光線に反応したのか。

「見つかった。殺される」どこかで、警報がなっている。

「まかせとけ。逃げて見せる」


10


「よく逃げ切れましたね」

 崇の早稲田鶴巻町のアジトだった。

『蛇鬼団』の者がその大半の構成メンバーである宗教法人『真道教』の隠れ本堂から救出してきた和田澄夫が嘆息した。澄夫そのものも、友人の家族を教団から助けるために、いちどは脱会したのに、忍び込み拿捕されていたのだった。

 それよりも、崇が驚いたのは、澄夫たちには蛇鬼が異形のものとして認知できないことだった。

 鱗状の尾も見えていないということだった。崇のひきぬいた尾が地上におちて溶ける。それがみえないのだ。追尾してきたものを崇がたおしても、尾を引き抜いてもそれが目にはいらない。

「ほんとになにも見えないのか」

「有尾人がいるなんていくら説明されても信じられませんよ。ただ崇さんが……」

「崇でいいよ。ぼくのほうが年下だ」

「崇が尾底骨のあたりを攻撃するとやつらが倒れるのが不思議でした」

「急所なんだ。尾をぬかれると蛇鬼は栓をぬかれたように消滅する。蛇鬼との戦いかたは、われらマヤ族に連綿とつたえられている。ながいこと、おそらく日本の歴史がはじまっていらい戦いつづけているから」

 電話がなる。

「真木はあずかった。和田と交換しよう」

 崇は逃げ切ったわけではなかった。追いせまる鉤爪をさけ、緑の鱗状の尾を攻め、ヤツラを消滅させた。思い上がりだった。

 真木をアパートにおいておくべきてはなかった。看護師をしている彼女は明日も出勤したいというのでつれだすことをしなかった。

 真木にはまだ異界をみてしまったものがいかに危険にさらされているかわからなかったのだ、むりにでも霊子とともにつれだすべきだった。

 だから、やつらのこわさを知らないのは、このおれのほうだ。もっと親身になればよかった。真木を説得してつれだすべきだったのだ。

「どうしてここがわかった」

「トレーサをつけておいたのだ。その脱会者には……。バァカー」

「場所と時間をいえ」

「おれは『真道教』の暗殺省長官高原弦だ。覚悟してこいよ」

 ふいに、道化ていた声が、尊大な声になる。二重人格なのだろう。

 こうなるとうかつに青山の地下本部には連絡はできない。監視がついているはずだ。


11


 夜が明けた。広域暴力団清田組。池袋の象徴ともいえるサンシャインシテイ。テナント表示版にものっていない部屋。

「網にかかったな」

 高原から人質交換の報告がはいる。清田は精悍な顔に笑みをうかべた。

「マヤの武闘派はなんにんくらいいるのだ」

 上機嫌の清田に伊東代議士秘書の木島が問い質す。

「青山の都有地でフアストコンタクトしてから、六本木。渋谷の真木のマンション。青山劇場前。御苑の『真道教』本部。ハデにうごいてるがまず同一人物とみていいだろう」

「それで、このざまか」

 遠慮のない言葉に清田の顔が歪む。


 黄昏時の薄闇のなかを闇に生きるものたちが集結していた。

 鶴巻南公園。崇のアジトにすぐそばだ。

 公園の四隅にはなんぼんかヒマラヤシダ。

 桜。

 銀杏。

 沈丁花。

 落葉の季節に百日紅が色褪せたとはいえ、まだ赤い花が咲いている。踏み込んで脱会者を奪いかえすのはさしてむずかしいことではない。だが、付近の住民とトラブルのはさけるべきだ。さわぎをおこし、マスコミの話題になるることはさけたかった。

 真木をベンチにかけさせる。ベンチの背後は砂場。狭い砂場のまわりにはヒマラヤ杉が枝をひろげている。この公園は痴漢がおおい。樹木はまばらだ。ふいに、麻生崇におそわれることはあるまい。

 清田組の精鋭と『真道教』の暗殺省長官高原の命をうけたエージェントの倉本。もちろん、そのなかには有尾の蛇鬼もまじっていた。

「時間どうりにくるだろうな」

 清田組の原口が倉本にいう。人質の交換などには手慣れた原口が指揮をまかされていた。

「指定した時間にはまだ、5分もありますから」

 倉本がこたえた。

 采配を任された立場を誇示するかのようだ。原口は真木の隣にすわる。

「なにもしなかったなんて、もったいないことをしたな。おれをよんでくれればよ……」 

 いやらしく語尾をのばした。手は真木の胸をもてあそんでいる。

「崇がきたら、あんたらみなごろしだから。崇がきたら、あんたらたすからないからね」

「いせいのいいねえちゃんだ。おっぱいもいい。どれこっちのほうはぬれてるかな」

 真木の言葉を無視して、原口の指が太腿の奥にすべりこむ。さらに奥へ……。

「あちっ」

 原口が真木からとびのく。指が湯気をたててはれあがる。

「そういうことなんですよ」

 倉本がわらって原口にいう。

「きさま、知っておれをからかったな」

 蛇鬼の巣窟だ。連れ込まれた真木が乱暴もされず無事だったのは、これだった。崇の念のこもっちた体だ。ちょつかいをだしたものは、体が火ぶくれになってしまう。だからこそ、念を注入してあるから、真木をマンションにのこしておいた。原口は気づくのがおそかった。火ぶくれの痛みは腕まではいのぼる。

「なんとかしろ。倉本」

「きたぞ」

 倉本が周囲のものに低く声をかけた。 

 和田澄夫。一人だ。公園の中にはいってくる。プラスチックの玩具に躓く。よろけてたおれる。

「麻生崇はどうした。おまえよりも、あいつにようがある」

 倉本がさけぶ。

 清田組のパシリ和島が和田にかけよる。

 全員の視線が二人に集中した。和田は酔っているのか。両手をばたばたさせながら和島によりかかる。酔った和田を和島がたすけおこしたようにみえた。

 和島がギャっと叫ぶ。獣の絶叫だ。なにが起きたのか。倉本はベンチをふりかえる。いない。真木が忽然ときえていた。空から雨が……とおもったのは誤りだった。

「ガソリンだ」

 和島が粘性の塊となった。尻尾をきられた。和田の手にバタフライ・ナイフがきらめいている。倉本の叫び。体がもえあがった。待機していたヤクザと蛇鬼が全身火につつまれて、死の舞踏だ。一瞬にして起きた。

 砂場の奥深く潜んでいた崇がベンチの真木を背後からひきぬくように助けた。

 樹木の高み、ガソリンをつめたゴミ袋に八方手剣をとばしたのだ。

 コンピュター時代の戦いにしてはあまりにも古典的な戦略だ。

 それに倉本たちがかかった。真木のいないのにも気づかずにいる。

「敵の尾が、はっきりわかってきたのです。見えるようになった。ぼれくにも、たたかわせてください。それで、傷つくのならそれでいい。ぼくは、そう思うようになりました。このまま、逃げたくはない、ぼくが傷ついてもも、ダレカガ、たすかればそれでいいのです」

「わたしも」

「傷つくくらいではすまされない。殺されますよ。もっと悪いことになるかも……。血をすわれて、レンフイルドにされますよ。ヤッらはヒトの命、ヒトを殺すことなんか、なんともおもっていない。夜の一族。いまふうにいえば、吸血鬼の一団なのです」

「それでも、闘わせてください」

 真木の携帯が着信音をならす。霊子からだ。

「すぐきて。崇、どこにいるの。ともかくたいへんなことになってるの」

 六本木の地下鉄駅をでる。救急車や白パトが青山一丁目の方角にむかっいた。

 大規模に陥没事故だ。大型電気店の街にむかってならべられたテレビがいっせいに同じ画像をうつしていた。

 ソバ屋の麻暖簾をくぐった。霊子がいた。ほかに客はいなかった。

「さすがね。アレだけの連絡でわかるんだ」 

 真木がうらやましそうに言う。

「アソコがさぐりあてられたのよ」

 高深度掘削機がマヤ城の外壁をつきやぶったのだ。

「わたしは地下道を逃げるようにいわれた。あとのことは……」

「地震だ」澄夫が低く叫んだ。

 ずしんと直下型のゆれがきた。

 マヤ城が攻撃されているのか。

 テレビの画面は大陥没の現場中継にもどった。高深度の地下鉄掘削坑がくずれたとほうじている。レポーターは興奮している。額に汗がふきだしている。

 このとき、真木が画面のなかに集まってきている群衆に反応した。

「いやぁ、こないで。こないで」

「どうしたの真木、なにがみえるの? なににおびえているのよ」

「後期催眠をかけられてるのかもしれません」 澄夫がおずおずという。

「あまりはっきとはいえませんが、こんなふうになった真道教の信者をみたことがあります。特定の人物をみると記憶がよみがえるのです」

 吸血鬼だ、崇は気づいた。

 吸血鬼をみるとうえつけられた恐怖とともに指令がよみがえるのだ。たしかに陥没を見に集まった群衆のなかにはそれらしい影がうつっている。

「たたかうのだよ。真木、あなたはわたしたちといるの。もうアイッらにはなにもさせないから。こわくなんかないのたから」

「いやぁ。たすけて霊子、わたしこわい。あいつらにたべられちゃう。あいつら、あんたを連れてこなければ、わたしをたべるって」「おちつつけ。おちつくんだ」

 真木に声をかけていた崇が霊子をかかえて店のそとにとびだした。澄夫もあとにつづく。暴炎が店のなかからふきだし。爆発音が瞬時に起こる。真木であったものの肉片がとびちった。

「見るな」

 崇が霊子の目をおおった。真木の細い首にはどことなくふつりあいだ。金色にひかるメタリックなネックレスをしていた。あれにボームがしかけられていたのだ。

 崇は霊子をかかえて時空をとんだ。


 麻布界隈がかわった。六本木はマヤビル。回転ドアを崇と霊子がでてくる。

「わたしたちは、年をとらないの」

「slowなだけだ。真木のかたきをうつまでは、闘いがつづくかぎり時の流れに逆らっても生きぬく覚悟はある。……?」

「真木のぶんも、幸せにならなければ……」

 マヤ城は攻撃にあった。堂々とその正体を具現化した。吸血鬼との闘いはこれからだ。その背後の尊師はだれか? 崇は昭和にいた。いまは平成の六本木にいる。Mビルの警備員だ。時間の軸がゆがんでいる。十年の歳月をかけて完成したMビル。闘いはまだつづいている。マヤ城を落とすことのできない吸血鬼の怨念がMビルの回転ドアにこめられている。ガードがかたくて、ここまでしか攻め込めない。真木をころされた。崇の悔しさがドアを防御している。ここからは吸血鬼はオフリミット。両者の怨念が軸にこめられている。二つの念のせめぎあいが……軸にぶれを……悲鳴があがった。

子どもが……。

                     完

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地下世界/マヤ城の出現 麻屋与志夫 @onime_001

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