第16話人魚

 井の中の蛙クラムボンの支配者の演説は、差し障りの無いものから始まった。


『本日は、我がBB社主催のパーティーにご来場ありがとう!』

「……案外、常識があるね」

 非常識な格好の仮面男が、耳打ちする。「自社に自分の名前を付けるようなヤツ、控えめに言って社会不適合確定だと思っていたんだけど」

「……アンタのとこの財閥の名前、言ってみなさいよ」

『皆さん!』

 良く通る低音が、私たちに注目を促した。『皆さんは、今、?』


 おおっと、と、私とレンは同時に似たような感想を抱いた。

 楽しく食事をしていたら、いきなり「ところで皆さんは鮫映画ではどれが一番素晴らしいと思いますか?」と聞かれたような気分だ。あまり盛り上がる話題でも、発展性のある議題でもないと思う。


 バースは大袈裟な身ぶりを交えて、嘆きを表現した。


『皆さんは、収入も人並み以上に得て、高い水準の生活を過ごしておられるかと思います――こうして今夜、高い酒と料理を食べながら、次の金儲けの算段を立てておられるでしょう』


 高い酒、という辺りでレンが鼻を鳴らした。


 他の多くの客たちは、マイルドなブラックジョークに苦笑をこぼしている。

 結果として、場の空気と大きく違わないリアクションなのが、何とも腹立たしい。

 きっとこいつは、こうしてずっと生きてきたのだろう――歪んだ自分の思う通りに行動していながら、社会規範の範疇にいるかのように振る舞ってきたのだ。


 まるでthe Facultyだ。


 人間社会とけして相容れないような価値観を持ちながら、そしてそれを殊更隠しているわけでもないのに、周囲からは気にされない。

 致命的に否定的な事態が起きるまで、けして認識されない侵略者。

 全く噛み合っていないのに、何故か動いてしまっている歯車が、こいつだ。接している歯車たちからは何とも思われていないだろうが、俯瞰して見る技術者からは『何だコイツ?』と思われるような、そんな異分子。


 自分が【ドワーフ野郎】になった気分を味わいながら、私は一先ず、話の続きを聞くことにした。


『皆さんの幸運は良く理解できました。しかし同時に、賢明な皆さんであれば、この事実も理解している筈です――

「掴みとしては、悪くない、かしら?」

「僕が編集者なら苦言を呈するね」

『科学の恩恵が世界を覆ってから、多くの問題が解決されましたが、しかし尚、世界には課題が溢れています! 人口密度、食料問題、エネルギーや資源不足。かつての人々が夢見た未来は、まだまだ遥か遠くと言わざるを得ません』

「少なくとも」

 レンは呟いた。「デロリアンは空を飛んでないね」

「しっ!!」


 私もそう、思ったけど。

 STAR WARSとは言わないが、スパイ大作戦くらいまで追い付いてから、科学は勝利の旗を立てて欲しい。


『しかしながら。我々は既に、解決の糸口をこの手に掴んでおります』


 選挙演説みたいな口調だ。

 そして同じように、愚者は熱狂する。


『世界の71.1%、およそ362822000平方キロメートルが、手付かずの未開の地となっているのです。もしそこの開発が可能となれば、ありとあらゆる問題が解決するでしょう!

 問題の原因、そのほとんどはです。それも、人口密度。地球の面積に対する人口が多すぎるということが、問題を生むのです。

 ……もし私が漫画カートゥーンに出てくる金持ちの悪役であれば、何か途方もなく馬鹿馬鹿しい手段で人口を半減させようとするでしょうが、生憎私はそうじゃない――悪人ではない、金持ちではありますが。ついこの間100000ドル寄付したばかりだ』

 場に、笑い。『では、どうするか』


 アンタならどうするの、と聞きかけて、私は口をつぐんだ。

 私自身が、求める答えを見出だせていない。何と答えてほしいのか、解ってないのに聞いたって、不幸しか生み出さない。


『私は考えた――解決の手段は一つだけ。。地表の3分の2を超える未開の地を開拓することができれば、それでありとあらゆる問題を解決できるのです! その、希望に満ちた開拓地フロンティアは、

「……うーん」

 レンが、首を傾げる。「何だろう、嫌な予感しかしないな」

「世界を救おうなんてヤツの理論は、大体ろくでもないものよ」

『えぇ、えぇ』

 偶然だろうが、バースは数回頷いた。『仰りたいことは解ります。海の開発、多くの壁が立ちはだかります。政治的、経済的な壁は勿論ですが、何よりも水中では――


 ちらり、と私はレンの様子を横目で窺った。

 詰まりバース氏の望むところは、もしかしてもしかすると。

 もしか、しなくても。

 。その他の、全ての人々を犠牲にして。


 レンの仮面は無表情だ。

 その内側で何を考えているのか、傍目にはまるで解らない。

 もし。

 人魚に関わることならば。

 こいつは――


『その壁を超えるために。私は常々足掻いてきました。アルプスに挑む登山家も、同じような心境だったでしょう――望む景色を見るためには、常に、自分の限界より一歩先のゴールを目指さなくてはならないと。

 そして、登山家と同じ処置を私は選びました。

 私の望む未来のために! ご紹介しましょう、リー博士です!』


 バース氏が大きく手を広げると、感化された人々が激しく両手を打ち鳴らす。

 床を揺らすほどの拍手の中、合図と共に


「っ!?」

「あれは……!」


 壇上で胸を張る、バースの背後。

 赤い幕が剥がれ落ちて。

 が、姿を現した。


 大きな、透明なガラスの水槽。

 その中で優雅に漂う、

 全身を水中に沈めながら、彼女は数度、生存を証明するように瞬きする。

 その瞳が、私を見たような気がして。

 彼女が、微笑んだ気がして。


 私は、ぐらり。

 意識が遠退いた。


 そこには――

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