第5話調査開始
「それで、何をどう調べる?」
「……犯罪データベースに、アクセスできる?」
考えながら、私はノアの後ろから画面を覗き込んだ。「事件について、検索してくれない?」
老眼鏡を軽くずらして、ノアは私を振り返った。「……と言うか。お前さんが調べれば良いじゃろ」
私はスマートフォンを取り出して見せる。「私世代は、キーボードに慣れてないのよ」
全く、とぶつぶつ言いながら、ノアはマウスだけでも私のスマートフォンと同じくらいの大きさがある、古いデカブツに向き直った。「時代は変わったのぅ」ノアはぼやく。
「昔は、年寄りにはパソコンを触らせなんだがな。今じゃあ、誰もペンを持っとらん」
「レトロ趣味は年寄りのものだと思うけど」
「……パソコンがレトロか……」
「日本人なら『ファミコンみたいなもの』とか言うでしょうね」
「ふむ……」
軽口に、ノアは深刻な表情を浮かべた。「あの特級調査員、あれは日本人か?」
「何で?」自分の声が固くなるのを自覚したが、止められなかった。
「あー、うん。お前さんの言うところの【あの男】が、確か日本びいきだとか言っとったからな」
飄々としたノアの口調は私の激情の種を、ため息に乗せて吐き出させる事に見事、成功した。
他人の地雷を踏んだときにタップダンスを踊れるのは、ノア・【
「……確かにそうだけれど。私は単に、日本好きの男に
「まあ、特級調査員ともなれば、故郷を誤魔化すことくらいしてるじゃろうがな」
「機会があれば聞いてみるわ。それより、指を動かしてもらえる?」
「構わんが、何と打ち込めば良いんじゃ?」
「決まってるわ」
レンの挑発を思い出す。
解って当然、というのは詰まり、既に提示された条件だけでも結論が導き出せるということに他ならない。
現在の手札としては、『特級調査員が絡んできた』、『最優先で調査したがっている』、そして『奇妙な自殺』。
顛末としては奇妙だが、自殺という点では危険性の少ない事件。
それを危険視する理由は、多分一つしかない。
「事件の概要から、似たような事件が起きてないかを調べてくれる?」
「範囲は?」
「アメリカ全土」
見た目の割りに器用に素早く動くノアの指を眺めながら、私は宣言する。
答えは決まってる。
一見重要でない事件を彼らが重要視する理由は、ずばり――連続性。
これは、連続変死事件だ。
「私の予想が正しければ、事件は、今回だけじゃないわ」
「……ニューヨークで二人、ボストンで三人。それに……」
見慣れた町の名前に、私は眉を寄せる。「あそこでも、起きてるの……?」
「……ハーパー」
「……別に、大したことじゃないわ」
被害者の名前は、登録されていない。
登録されていたとして、その名前を覚えているわけでもないが。
記憶の中、私が過ごした故郷の町の住人たちは皆、私と母さんを嘲笑っている。いつだって、彼らの行動には怒りを覚えていたし、思い出して行き場の無い激憤をもて余すこともしばしばだった。
だが、だからこそ。
彼らの個性はまるで記憶に残っていない。
奴等はいつだって、同じような表情を浮かべていた――にやにやと、必死に生きる母さんを馬鹿にしていた。その三日月みたいな口だけ、顔の無い集団の中で鮮明に覚えている。
それだけ。
そんな連中の内、誰かがもしかしたら死んだのだとしても、私には何の痛痒もない……その筈、だ。
じゃあ、この思いは何だ。
「……順番は?」
瞬きと共に深呼吸。要らない、吐き出す。こんな感傷は、私の
「ニューヨークじゃな。そこからボストン、そしてクラムボン市まで、徐々に動いとるようじゃな」
「だとするとレンのヤツ、ここで起きるって予想してたのかしら」
「可能性は高い。感覚と距離、方向を考慮すれば、大方の予想は立てられただろうな」
「死因は、全部溺死か……川や海の水を一気飲み」
私は眉を寄せる。「これは、成る程。最悪ね」
現在のところ、明るみに出ているのは六件。
だが問題は、死因が溺死だということ。
「死因そのものは、別に目立つものじゃない。今回みたいに川とかで、飲んでるところを目にされれば事件として認識されるでしょうけど、例えばただ海で溺死しただけなら。それは単なる事故として処理されてしまう」
「潜在的な被害者は、相当数じゃな」
私の言葉に、ノアは唸り声を上げた。「特級調査員が動く訳じゃ、気付いたら、何人死んでるか解ったものじゃない」
「原因は何なの? 被害者の間に、共通点は?」
言いながらも、私は気付いていた。「アイツは、それを調べに来たってことか」
だとしたら。
私への宿題は。
「……今回の被害者の身元は解る?」
「ちょっと待て、確か持ち物の中に身分証があった筈じゃが…………おお、これじゃ、この財布の中に……」
ノアが、使い込まれた財布を覗き込み、そして――沈黙した。「……ノア? どうかしたの?」
「…………」
黙ったまま、ノアは財布を引っくり返した。
数度上下に振る――そこからは、小銭数枚と、スーパーマーケットのポイントカードが転がり出てきただけだ。身分証の影も出てこない。
不意に、私の脳裏に映像が閃いた。医者の話を聞く間、死体ではなく傍らの台を眺めていたレンの姿。それから、何かを端末で検索していたレンの姿。
「やられた……!」
そろそろ彼女は、気がついた頃だろうか。
警察署から出て、少し肌寒いクラムボン市内をのんびりと歩く。
トム・チュンバース氏の身分証を弄びながら、ツキ巡査の反応を想像して、僕は思わず笑ってしまった。
さぞかし怒っているだろう――様子を見てみたいような、その場にいなくて良かったような、中々複雑な気分だ。美人の怒り顔は嫌いじゃないが、彼女の場合、手が出そうで怖い。
「キャットファイトならともかく、当事者になるのは御免だね。さて……」
身分証、免許証、そして保険証を日にかざす。
彼が個人情報を収集するなら、この三品に限る。もう警察も気が付いているだろうが、重要なのはこの事件が、ある特定の個性を持つ人間にのみ発生しているのかどうかだ。
詰まり、世界中無差別に発生し得るのかどうかだ――もしそうでないのなら、限られた条件下でしか発生しないのなら、まあ僕たちが出る幕じゃない。輝かしい未来を夢見る心を両目に燃やす、野心溢れる若い巡査に手柄を差し上げるのも良いだろう。
もし、最悪の予想が当たったら。
「そうしたら――やれやれ。世界を救うしかないかもしれないね」
とにかく、情報だ。
知は力なり、というわけだ。どう動くにしろ、どうなっているのかを調べる必要がある。
「先ずは、ここからだな」
端末を取り出し、マップアプリを起動する。行き先は、病院だ。
この町に病院は一つしかない。
クラムボン市西、ラドス湖の畔にあるクレイドル総合病院。大水呑みのチュンバース氏が、何か病気をしていなかったか、まずはそこから調べるべきだろう。
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