第4話力試し

「遺体の死因は、溺死でした」

「まあ、そうだろうね」

 検死医の言葉に、レンは深く頷いた。「あれだけ飲んでたら、肺まで水浸しになっていただろうさ」

「……何か外傷は?」


 市警の検死室にさも当たり前だという顔をして、失礼、態度で頷くレンの仮面を睨んでから、私は青年医師に尋ねた。

 SDS会というネームバリューにすっかり心奪われているらしい医師は、私の方をちらりと見てから、再び狐面に向き直って口を開いた。


「特筆すべきものはありません、縛られたりした跡もありませんし、どうも自発的に水を飲んだようですね」

「死ぬまで飲んだっていうの?」

 私は、自分の存在を主張するため、眉を吊り上げた。「よっぽど喉が乾いてたってわけ?」

「君が言いたいのは、薬物ドラッグのことかな?」

「まあね。そんな馬鹿げた自殺をやらかす奴は、カルトかドラッグをやってる奴よ」

「それに関しては、血液を採取してますし、分析待ちですねぇ」

「どのくらい掛かるの?」

「どのくらい本気でやるかに依りますね、巡査さん。こう言っちゃあ何ですけど、優先するべき事件なんですか?」


 確かに、と私は腕を組んだ。

 今回の事件は言ってしまえば、頭のおかしい男が変わった方法で死んだだけだ。

 クラムボン市は、マサチューセッツ州の中ではそれなりに治安が良い地域だとはいえ、犯罪とは無縁というわけでもない。盗難や強盗、殺人だって起きている。

 それらを差し置いて、この調査を最優先にするのは正しい判断とは言えない。


「……じゃあ、この事件は――」

「は?」

「了っ解しましたぁ、特級調査員様!」


 私は唖然としながら、レンの方に視線を向けた。

 検査台に置かれた荷物を検分していた彼は、医師の答えを聞いて頷くと、さっさと部屋を出ていった。

 その背中も仮面も、何の理由も語ろうとしない。


「……あぁもう、くそ! ちょっと待ちなさいよ!」









 特に逃げるつもりもなかったのだろう。ドアを出た先で、レンは壁にもたれかかっていた。

 片手には携帯端末、そしてもう片方の手にはペットボトルを握っている。見覚えのないキャリアーの端末を右手で操作しながら、器用に左手でボトルのキャップを外し、中身を口に運んでいる。

 …………


「……仮面は?」

 ん、とレンは顔を私に向けると、端末をポケットに仕舞って。「特注品でね、口だけ外せるんだよ、これは」


 見ると確かに、狐の口が無くなっていた。

 思った通り色白な肌に、思ったよりも細い唇が、三日月のように歪んでいる。

 その唇の唐突な朱が、やけに生々しく、強烈に私の目に焼き付いた。


「こちらの方がもちろん喋りやすいが、僕は喉を痛めやすくてね」

 レンが右手を口に当てると、仮面は元に戻った。「若者らしく、繊細なのさ」

 仮面に覆われたことに、何故か私はホッとしていた。「どう考えても、病弱というより傍若無人だわ、アンタは」


 それよりも。

 仮面をつけ直して、用意ができたと判断した私は本題に入ることにした。


「さっきのは、どういうこと?」

「どうとは、どういうことかな?」

「惚けないで。あんなイカれ野郎の自殺なんかに、なんでアンタたちが出張るわけ?」

 仮面の奥から、レンのくぐもった笑いが聞こえてくる。「ふむ、その理由に見当がついているような口振りだね」

「……まあ、少しはね」


 SDSとかFBIとか、そういう連中が他人の庭に首を突っ込むのは珍しくないが、どっぷり両足を突っ込むのは珍しい。しかもこんな、奇妙ではあっても危険ではない事件で。

 そういう場合、事件に緊急性があるか、或いは――。


「では、

「はあ?」

 眉を寄せる私に、レンは肩を竦める。「僕は少々忙しいから、勿論協力者は欲しいところだけどね。

「私を、試そうっての?」

「試されるのが、好きなくせに。八時でいいかな、行きつけの店で逢おう」

 睨む私に、仮面は動じない。「君の力を、見せてもらおう」


 仮面の奥から覗く瞳が、挑発的な輝きを宿す。

 闘牛を誘う赤いマントのような、ひらひらと揺れる漆黒の光。

 良いじゃない、と私の中で、心が狂暴に舌舐めずりをした。


 私を試そうとする全ての敵を。

 ニヤリと笑い、格好つけて殴りに行こう。「遅れたら、許さないわよ?」

「……ふふ、その意気だ」


 相変わらず顔色は見えなかったが。

 レンが笑ったように、私には見えた。









「それで? お前さんの予想はなんじゃい、ハーパー」

「……事件そのものに、緊急性は今のところ見受けられない。少なくとも、超国家機関が横槍を入れるほどとは思えないわ」

「まあ、特級調査員が出てくるほどじゃからなぁ。よっぽどのことだぞこりゃあ」


 ノアの口振りに、私は首をかしげた。


「そんなに大層な肩書きなわけ、あの仮面男は?」

「知らんのか?」


 傾げた首を、横に振る。

 こう見えて私は新人なのだ。

 そんな、世間の裏常識に精通しているわけがない。SDS会の出鱈目ぶりだって、話し半分といったところだ。ネットの陰謀特集サイトの方が、よほど詳しく書かれているだろう。

 ああいうのを鵜呑みにはしたくないけど。


「いやいや。中々どうして、あそこには真実の欠片が眠っとるもんだぞ?」

「はあ? 暇なティーンエイジャーが動画サイトと比べるようないんちきサイトよ?」

「だからこそ、隠し事にはピッタリってのぅ。あそこで何を書かれても、だぁれもマトモにゃあ取り合わん」

「定年間近の暇な老刑事以外にはね」

「実際、こんなことが書かれとる。『SDS会のオカルト担当は、世界に散らばり、超常現象を調査している』」

「あら、FBIにも似たようなセクションがあるらしいわよ?」

「フィクションを持ち出すな、ハーパー。Xファイルなど実在せんよ」

「だって……」

「こうも書いている。『その担当者はそれぞれ特異な力を持っていて、個人を特定されないために、』。どうじゃ? 覚えのある記述じゃろ?」


 渋々、私は頷く。

 確かにレンは仮面を着けている。スーツの上から着物を羽織ってもいるが、目立つのはやはり仮面だろう。


「けど、一部があってたって、全てが真実とは限らないわ。何よそのって」

「さあのぅ。それに関しちゃあ管理人もお手上げらしい」

 この返事には、流石に私も拍子抜けだった。「何よ、結局その程度ってわけ?」

「だからだ、ハーパー」

 ノアは笑いもせずに、重々しく頷いた。「解らんことを解らんと言う人間の、









「…………ふむ。


 警察署を出た僕は、端末の通知に目を通して呟いた。

 そこには、


 自分のことを調べたのか、或いはSDS会のことを探ったのか。


「いずれにしろ、釣糸を垂らす場所に間違いはない、が。少々危機感が足りないなぁ」


 ネットの監視は、あまり得意じゃない。

 それでも僕でも、こうして他愛なく彼女の足音を見付けられた、ということは。


「謎を追っているのは、?」

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