第6話報告会はダイナ―で
「…………」
自分の人指し指が苛々とテーブルを叩くのを、私は他人事のような無関心さで眺めていた。
アダムスファミリーじゃあないけれど、こういうとき私は、本当にこれが他人のものじゃないかと妄想したりする。
だって、中を見た訳じゃない。
人の皮を被ったナニカが従順に、私の左手の振りをしている可能性だってある。
事実、肉体には人間の細胞とほぼ同数、そうではない細菌が住み着いているらしい。彼らは概ね私たちと共生しているが、牙を剥く可能性がないわけではない。
宿主を殺さず乗っ取ることが出来れば、彼らはより効率的な繁殖の機会を得ることになる。細菌たちが同居人に義理人情を感じるとは思えないから、チャンスがあれば飛び付くだろう。
勿論そのためには、何億という種類の細菌たちが協調することが必要になる。一つの目的の下、団結して肉体を運用するのだ。
――まるで人間の細胞のように。
「……馬鹿馬鹿しい」
私は人差し指を止める。
タップダンスの終演は私の意思に思えたが、それを証明する手段は何もない。
だが、私にとって必要な行為ではあった――左腕を目の前に持ってこないと、時計が読めない。
オメガのシーマスターは、私が唯一受け取った【あの男】からの贈り物だ。
深みのあるブルーの文字盤をゴールドのケースが彩るチタン製のデザインは、洗練された甲冑のような、優雅さと勇ましさを併せ持っているように思える。
それに、何より気に入っているのはレザーのベルトだ。
金属の冷たく堅い感触は、素肌に巻くと何となく寒々しい。肌触りで選ぶならやはり、革に限る。
認めるのは癪だったが、趣味の良い贈り物だった。だが今夜に限っては、その青は普段ほど私を癒してはくれない。
寧ろ、苛々の種だ。
「……遅い」
時刻は夜の七時。
まあ正確には、六時五十八分だ。約束の時間には、あと二分ある。
だが、二分しかない。
レンの態度からは、時間厳守、それどころか先に来ているぞとでも言いたげな雰囲気を感じられた。
誰かに待たれるのは、嫌いだ。だから私は、自信満々に指定された馴染みの店、【
それから、二十八分。
誰かに待たれるより、誰かを待つ方が私は嫌いだという事実に、私はようやく気がついた。
「……イライラしてるわねぇ、ツキ」
「リズ」
肉付きの良い肢体を制服に包んだウェイトレスのリズが、丈の短いスカートを揺らしながら近付いてくる。「……何で解るの?」
左手でトレイを抱えながら、リズは右手で私の左手を指差した。「それ。貴女って、イライラするとすぐテーブル撫でるもの」
ヴァンズダイナーの良く磨かれた艶のあるテーブルは、今時珍しい木製だ。
木目の部分が盛り上がったりへこんでいたり、でこぼことしている様を客の多くは気にしていない。精々、その上にコースターを置かないようにするくらいである。
自然的な暖かさを感じられる骨董品は、私にとっては幼い頃の懐かしさを、怒り以外の方法で感じられる数少ない代物なのだった。
「懐かしいのよ」
「リサイクルショップで半額で売られてるような、古くさいテーブルが?」
「母は、良くテーブルを磨く人だったから。どんな小汚ない場末の食堂で働いても、三日でそこは見違えるくらいピカピカになっていたわ」
私は、天板にうつ伏せた。頬を乗せ、目を閉じ、木と染み着いた煙草の臭いを息継ぎするみたいに深く吸い込む。「仕事が終わるのを待ちながら、私はいつもこうしてたの」
リズは、後ろで束ねたドレッドヘアーの先を軽く弄りながら、眉を寄せる。
「それで? どうするの、ツキ。思い出以外に何かご注文は?」
「……そうね」
時計を見る。午後六時五十九分四十秒、私はため息を吐いた。「スペアリブとサラダ。あと、エール」
「豪勢ね、給料前でしょ?」
「約束があるのよ」
目を閉じて、テーブルの冷たさに身を任せながら私はニヤリと笑った。「どうも、奢りみたいだからね」
「珍しいこと。貴女が男に奢らせるなんて」
リズは不機嫌そうに鼻を鳴らした。そして、言った。「……そちらは? ていうか、何、その仮面? 何かのパーティーなわけ?」
ガバッと、私は跳ね起きた。
驚いているリズを気にかける余裕も、無い。私の目は、意識は、目の前の席に座る男に釘付けとなった。
「僕もスペアリブを頼むよ。ソースはオリジナルで、そうだな、あとオニオンチップス。それとバーボンは? 結構、ソーダ割りで」
男は平然と注文し、それから、仮面越しに笑いながら肩を震わせた。「それで? 誰の奢りだって?」
レン・ウスイ特級調査員が、そこに忽然と現れていた。
「…………いつの間に……?」
私が選んだ席は、壁際の一番奥。
右手には通りを見渡せる大きな窓があるし、正面には店のドア。店そのもののように年老いたドアは開ける度に軋み、歓迎の声をあげる筈だ。
待ち人を待つ間、そのどれもから私は意識を外さなかった。目を離しているときは耳が、耳をリズに傾けている時は目が、来店する者を探していたのだ。
断言しても良い。
そこにはこんな、派手な
「『正確は王者の法である』」
注文を書き留め下がるリズの後ろ姿の方へ顔を向けながら、レンは寛ぐように背もたれに身を預けた。「モンテ・クリスト伯は演出のために遅刻したがね、僕はそういうの、気にするタイプなんだ」
「……どうやったの」
「僕は魔術師でね、指を鳴らせば何でも出来る」
「ふざけないで」
「では、他に説明は?」
幾つかの可能性が私の脳裏に浮かび、有り得ないと否決されていく。「……リズとアンタがぐるで、裏から入れてもらったとか?」
「私がなに?」トレイに水をのせて、タイミング悪くリズがやって来た。
私は思わず慌てた。
どれだけ仲が良いとしても、彼女はあくまでも一般人だ。秘密結社との話し合いを、欠片でも聞かせたくはない。
情報は、時として黄金の価値を持つ。詰まりは、泥棒に狙われる可能性があるということだ。
知っているかもしれないだけで、狙われる恐れがあるのである。
どうにか誤魔化さなくては。
「あ、え、ええと……別に大した話じゃないわ」
「僕と君がパートナーじゃないかと彼女は疑ってるんだ」
水を受け取りながら、レンがあっさりと密告した。この野郎。「君のような魅力的なプロポーションの女性なら、大歓迎だがね」
「それはどうも、是非ご贔屓にね、仮面のお兄さん」
リズは業務的に微笑みかけると、続いて私を睨み付けた。「貴女に水は無しよ、ツキ」
「……余計な口を利かないで」
「それはしょうがないな、あれだけの美人なら誰だって声をかけるだろう?」
私はまぶたを揉みながらため息を吐いた。「残念だけど、あの子は、その……専属のパートナーが、もう居るの」
「それは残念」
レンは仮面の口元を外して、氷水を喉を鳴らしながら飲む。あっという間に、グラスは半分空になった。「良くフラれる日だ、今日は」
「そんなことより、答え合わせよ」
素知らぬ振りで、私は話を切り替えた。リズについて、得体の知れない仮面にそれほど詳しく知られたくない。「裏方がいないとしたら、どうやったの?」
急な話題の転換に疑問を持たれたのかどうか……仮面から覗く瞳と、微笑みの形に固まった薄い口元からは判断がつかない。
気付いていないようにも、気付いていて泳がされているような気にも、なる。
仮面って、得なのかも。いや、着けたいわけじゃないけど。
いずれにしろ、レンは話に乗ることにしたようだった。「さっきも言っただろう? 僕は魔術師だから、何でも出来るのさ」
「……オーケー、解った。アンタが魔術師なら聞かせて。杖はどこ?」
「
「アンタを見て解るのは、日本びいきなんだろうなっていう程度の話よ。大体、指鳴らしたらって、それこそ西洋風でしょ」
レンは大袈裟に驚いて見せた。「それは偏見だよ。僕のイメージはディズニー、アラジンのジーニーだからさ」
「作ったのアメリカ人じゃない……」
「証拠が見たいかい?」
ゆったりと、レンが右手を掲げる。
羽織の袖が風をはらみ、ふわり、ふわりと膨らんで、萎んだ。
「な、にを……?」
「僕が指を鳴らす」
レンの親指と、中指が軽く触れ合う。「すると、君の前にビールが現れる」
馬鹿なと、言えなかった。
何故だろうか。
レンの自信満々な態度に。
うっすらと非情に微笑む唇に。
私は見入られて、いた。
指に力が込められ、そして優雅な仕草で、レンは指を弾いた。
パチンと、乾いた音が簡素に響く。
「っ、なに?」
ちょうどビールを持ってきていたリズが目を見開きながら、ジョッキを私の前に置いた。
「ほら、ね」
自分のグラスを受け取りながら、レンはクスクスと笑った。「現れた。だろう?」
「……ふふ、なによ、それ」
レンは微笑み、私も、思わず笑ってしまった。
一度笑い始めると、衝動は波のように続いた。あぁ、まったく。
男の冗談で笑ったのは、何年ぶりだろう。
結局、笑いの衝動は料理が来るまで続いた。
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