5.ばさばさ
「じゃね、ひばり。つきあってくれてありがとう。あたしこれからバイトだからもう行くね」
「うん、気をつけてね」
あれから私たちは相変わらずかくれんぼをつづけたまま、破局同盟なんていうものとはおよそ関係のない他愛のない話ばかりを繰り返した。もう太陽も私たちのそばから離れつつあって、芝生の上のまだら模様が目にまぶしいぐらいの黄緑色からべっこう飴みたいに透き通った橙色に変わってきている。彼は、来なかった。
「あ、そうだ」
もうほとんどお菓子を食べつくした水樹がその残骸たちを詰め込んだビニール袋を右手に提げ、何か伝えようと小走りで私に近寄ってくる。
「どうしたの?水樹」
私の目の前まで来た水樹は、ふふんと鼻を鳴らしながらにかりと得意そうに笑って
「ねえ、ランチの彼、絶対ひばりに惚れてるよ。あたし、お似合いだと思うけどなあ。なんかあったらあたしがその彼に言ったげるからさ。ひばりを傷つけんじゃねえ!って」
ぐっとこぶしを握り締め、ファイティングポーズをとった彼女はそれで満足したのかまた小走りでバイト先に向かってしまった。やっぱり水樹はさっぱりしている。そして、私もこのままではいられないなと思った。
はやく自分でこの涙の意味を見つけ出して、たったひとり命に祈りをささげる彼に会いに行かなければならない。涙を散らしながら会いに行って、この世界は自分勝手ですねと、伝えなければならない。いや、伝えたかった。みなとさんは独りじゃないですよと、どうしようもなく伝えたくなった。そのためには、はやく思い出さなければならない。私はいつからこうして涙を流すようになったのか、なぜ、何があって涙を流すようになったのかを。
そんな風な想いを抱えながら、あれから私はなんとなく家に帰る気にもなれず、とりあえず大学内をぶらぶらとあてどなく歩いていた。ベンチの脚も風で揺れる木々も私の短い黒髪も池の水面も全てがべっこう飴色に輝いて、この世界の残酷さや不条理さをどうにかして隠そうと必死だった。美しいものは残酷で残酷なものはただ残酷だ、というどこかの誰かの言葉をふと思い出す。
そんな風に人気のない構内をぼーっと歩いていると、視界の端でうごうごとべっこう飴色の何かが蠢いた。何かと思って視線を向けると、池から上がってきた親ガモが、わが子の数をしっかりと念入りに確認している最中だった。六羽ほどいる子ガモはまだほんの小さく、雪玉みたいにふわふわとしている。ぽてぽてと列をなして歩く姿がとても可愛い。
彼らのおぼつかない足取りを微笑ましく眺めていると、唐突に、なにかがヒュッとカモの親子に突っ込んだ。ぐぁとどの子かがうめき声をあげ、親ガモがばさばさと羽をなにかに叩きつける。なにかはまた素早くカモの親子から離れ、私の後ろの方へ走っていった。
何が起きたのか、分からなかった。あまりに速く、白と茶色とべっこう飴色の線のように見えたそれの跡を追って後ろを振り返ると、線の正体は最近この大学に住み着くようになったでぶの三毛猫だった。赤色に染まった子ガモを口にくわえている。
でぶの三毛猫は私が振り返ったことに驚いたのかじいっと警戒して私のことを見つめ、じりじりと少しずつ後退し始めた。けれどしばらくすると飽きてしまったのか、今までの警戒心をすっかり解いて私に丸々としたお尻を向け、口にくわえた子ガモの血をアスファルトに数滴散らしながら、猛然としたスピードでどこかへと走り去っていった。
ああ、と思った。こういう大事なことは本当に唐突に、古い友だちのように何気ない感じでやってくるんだなあ、とも思った。今になってようやく、ようやく思い出した。いや、もしかしたら、本当はずっと覚えていたのかもしれない。ただ心の奥の奥の隅っこの方にうっかり思い出してしまわないよう仕舞っていただけで、本当はずっと覚えていた。仕舞っていた箱が長い時間の間に錆びてボロボロになって、さっきの出来事がきっかけとなってついにほろりと崩れ去った。そんな感じだった。
私はずっと昔、今のと同じような光景をみたことがある。
そしてそれをきっかけに、私は涙を流すようになったんだ。
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