最後の夏に30のことは
キジノメ
最後の夏に30のことは
「平和な時代で生まれた君は親に歓迎され「彰」の名前が付けられた。明確な信念を持つ子に育てと願われ。覚えているかい? 19年前を」
「成り出でて4年、君の最古の記憶は夜空に咲く大輪の花、花火だった。あまりの音の大きさに泣いていたのを覚えてるかい?」
「最初の激情も4歳の時。風船を奪った従兄弟に、君は泣きじゃくり語ったね。それは僕の物で、勝手に奪うのはいけないのだと。結局は無視されたけど、立派な正義だと父に褒められた」
「後ろに誰もいないことを怖がりながら、おつかいした日は覚えているかい? 結局カラスに突かれ、泣きながら家に帰ったね。それを母は優しく撫でてくれた」
「ののしる声に眉を寄せ1ヶ月、ある日君は教室で滔々と喋りだしたね。いじめの何がいけないか。何が不当か。許されないことは何か。後ろで少女が涙目で君を見ていた」
「夏休み突入前でクラスの雰囲気を変えた君は、一躍大スターだ。クラスからいじめは消え、少女に沢山のお礼を言われたね」
「にしへ行こう、ひがしへ行こう、と君は少女と遊び回ったね。周りは誰もからかわない。君が少女を救ったのを知っているから」
「30度超えた日は、プールでその子と遊んだね。日焼けも気にせず、髪が痛むなんてどうでもよく、流れるプールではしゃぎながら」
「0時に待ち合わせをして夜空を見上げた日もあったね。流星群を見に行った」
「のいちごを摘みに行ったときもあったっけ。帰りは迷子になってしまったね」
「この前行ったお花畑に彰と行きたい! という女の子の誘いに乗ってラベンダー畑に行ったね。正直君はつまらないと思ったろう」
「とやま中学への進学が決まった君は、奇しくも女の子と同じ学校だ。卒業式の日、クラスメイトと泣きながら肩を組んだ」
「はじめまして、と緊張の言葉が飛び交う中で作る友達、友達。どうやら君は恵まれたようで、たくさんの人と友達になった」
「紡績工場に行ったり、国会議事堂に行ったり、スキー教室もあったっけ。1年で小学校では想像もしなかった世界に触れたね」
「ぎりぎり会場に駆け込めた花火大会。そう、君の美しい記憶は花火に始まり花火に終わる。せっかくあんなに女の子と仲が良かったのに。せっかく綺麗な花火だったのに」
「祝われたことを話そうか、聞きたくないというのなら。うーん、確か数学のテストで、満点を取ったことが一度だけあったね。父親に褒められたっけ」
「お願い、と言い笑っている母に調理実習で作った、焦げたクッキーをあげたことがあったね。母は美味しいと食べていた」
「うん、あとはバスケだっけ? 部活でシュートを決めて女の子に褒められてたね」
「2億円という大金、その前に死んだ父親。君の人生の分岐点はここだろう? 父は己の死に多額の保険金をかけていたようだった」
「0120、と父の会社に電話して君は、どうやら父親がヤミ金に触れていたことを知った。愕然して君はどう思った?」
「歳月過ぎて、と言うほどでもないか。君はあっという間に死んだ父親を憎み、ひとつ心に決めた。自分が正義を語らなければならない」
「大袈裟に正義を語ろう。君に近寄ったそいつは言った。そして始めたね。正義という大義名分の中」
「人間じゃねえよって罵倒して、君が初めて暴力を振るった日。不幸にもそれを君がいじめから救った少女が見ていたね。少女は怒った」
「にぶい音を立てて世界が壊れたようだったね、あの時は。君は分からなくなった。何が正しいかも、どこから間違ってしまったのかも」
「なあ。正義を語った君は結局、悪と一緒だ。君の正義ってなんだったんだい? ここで語ってみれば?」
「るんるんと皆が高校へ進学したのに、君は勉強する気がなくなり1年ただ休む。それでも勉強出来ず最底辺の高校へ行った」
「誕生日も誰にも知られずそれどころか誰とも遊ばず。寝て、授業も聞かず、ただぼんやりと、自責にかられて卒業した高校3年間、君は何をしていたの?」
「生きているのか曖昧な高校3年生、母が死んだね。父もとうに死に、親戚の付き合いもない。君は天涯孤独になった」
「日付が変わっても朝日が昇っても、君は寝続け逃げ続けた。分からなくなった正義から。あまりにやりすぎた過去の行いから。それから立ち直ろうとしない自分から」
「だいぶ話したが君の人生はなんと惰性なことか! それでも君は寝続けるんだろ? そしてどうすれば良いのかすら、何も考えない!」
日付が変わる、と悪魔が笑う。
「ここまで聞いて、君は何をすべきだと思う?」
「死ねばいいと思うよ」
結んだ縄をカーテンレールに引っ掛ける。だって正義全部に裏切られて、何年経っても立ち直ることが出来なくて、こんなに惨めでどうしようもないなら!
「じゃあさよなら、君は成人前に死ぬんだ!」
そうだ、今日、9月8日は僕の誕生日で、今年で20歳だ。
20年、生きてしまった。
その事実に悲しくなった。半分近く、僕は何かをした記憶が無い。だって、父が死んで信じていたことを裏切られて、その後正しいと自分が信じたことは間違っていて、もうどうすればいいのか分からなかったから。
何も出来ず、ここまで来てしまった。
でももう、終わりだ。
悪魔の言葉が、走馬灯のように蘇る。あんなこともあった、こんなこともあった、楽しかった時もあったのに。ごめんなさい。何も変われなくてごめんなさい。あの時「制裁」なんて言っていじめてごめんなさい。考えなしのやつでごめんなさい。女の子、香里もごめんなさい。中学以来会ってないや。どうしているんだろう。
ごめんなさい、でももう、終わりだ。
首に縄をかける。どれくらいで意識を失えるだろう。横を向けば、悪魔がにやにやと笑っていた。ああ、なんだか見たことがあるこいつも、誰なんだろう。
いや、いいや。もう終わり。終わりなんだから。
足場にしていた椅子を蹴っ飛ばそうとした時だった。
ピンポーン
こんな0時夜中に、誰が来るというのだろ、
「彰! 開けて!」
思わず身体が固まった。
僕を「彰」って呼ぶ女の子なんて、人生でひとりしか、
「彰! いるんでしょ? いるって分かってんのよ明かり点いてんだから! いいから出なさい! 私は開ける術を持っていないのよ!」
どうしよう、死のうと思っていたのに。
でも、きっとドアの前にいる香里に、会いたいと思ってしまった。
こんな恥さらしな人生を送ってきたのに、今更会ってどうするのだろう。そう思う。縄を持つ手に思わず力がこもる。
でも、会いたいと思ってしまった、最後に。
縄を首から外し、椅子から降りる。悪魔は何も言わず、にやにやと僕を見ている。
玄関に行ってドアを、ゆっくりと開ける。しかし途中から手が差し込まれ、勢いよく扉が開かれた。
「彰!? うわ髪ぼっさぼさ! ひどい隈!」
「……いきなり、それ?」
面影なんて全然残ってる。少し荒く息を吐きながら、そこに香里が立っていた。面影が残っていると言っても、サラサラなポニーテールに薄いメイク、きれいな女の子がそこにいる。
「な、なんで来たの?」
「ちょっと怖かったからよ」
「怖い?」
「昨日、私のところに『悪魔』って名乗った奴が急に現れてね。一晩中、今までの人生の思い出話をされたのよ」
え、僕と同じじゃないか。
「それで私の誕生日、9月7日だけどさ、その日になった瞬間『これから紅葉彰の所へ行って同じことをするよ』って言いだして。『君は何をしたいかって聞いたら将来の夢を答えたけれど、果たして彰くんはなんて答えるかな?』って。それがすごい意地悪そうで、中学の途中からあなた、死んだようだったし、なんか、怖くて」
「……はは」
当たり。当たりだよ、香里。現に僕は、死のうとしていたんだから。
とは言えず、乾いた笑いだけする。
「で? あなたの元に悪魔は来た?」
「来たよ」
「だからこの奥に見えるレールに縄がかかってるわけ?」
「!!」
ここから見えるとは思っていなかった……。
恥ずかしさで俯く。けれど香里はただただため息をついた。
「よかった。来てよかった」
「……でも、香里。ご覧のとおり、僕は何も変われてないよ」
「変われてないってことは、小学生の時、私を救ってくれたあの気持ちも変わっていないってことね?」
即座にそう言われて、どもる。いや、だって、
「ちゅ、中学の時、あんなことしたんだよ」
「あんなことしても、小学生の時は助けてくれたわ」
「でも」
「小学生のあなたは嘘っぱちと言うの?」
香里が僕の肩を掴む。見つめる瞳が力強い。こんなに強い子だったっけ。小学生の時はあんなに泣いていたのに。
ああ、そんなのもう何年も前だよ。
「何年経とうがね、例えあなたが今、私のことを変わったなとか思っていてもね、そんな心の根本なんて変わらないのよ。中学生の時のあなたは、自暴自棄になっていただけ」
「でも、やったことは変わらない」
「変わらないけど、未来は変えられるでしょ? ずっとひとりで変えられないって悩んでいたなら私が手伝う。ふたりなら何か、変わるかもしれないわ!」
「……」
「私は泣き虫じゃ、なくなったわ。こうやって変わったわ。でもあなたは、元々優しい人なの、元から優しいの、変わらなくたってね。そんな人が死んでいいわけないでしょう!?」
「でも香里」
思わず涙が零れる。拭う気もなくて下を向く。
「僕はあの頃から立ち止まって、なにひとつ変われなくて、何も信じられなくて、それで今まで」
「たった数年が何よ! これから変わればいいでしょ? それに、あなた自分一人で変えようなんて無茶だわ! 私は、あなたと出会って、助けられて、たくさん遊んで、そうして変わっていったんだから!」
肩が痛い。肩が、すごく痛い。本気だ、香里は本気で、言ってくれてるんだ。
「ねえ久しぶりって、いっぱい話そうよ! 今からね。休ませなんてしないわ。その前に髪切ってあげる。何日も話して、話そうよ。全部聞くから。話すから。ひとりで抱え込んであまつさえそのまま死のうとするなんて許さないわよ!」
「……香里」
「言ってる意味が分からない? ああそうね、私だって分からないけど伝わらないの? 私はあなたにすごく感謝しているしこうやって久々でも駆けつけたいって思うくらいあなたのことを覚えてるしそれに」
「伝わった、伝わった、から……」
思わず泣き崩れてしまった。あんなにさっきまで死のうと思っていたのに。なんだ、あんまりに彼女との記憶が輝かしくて、僕もあんな人間であったって、生きてもいいんだって、思っちゃうじゃないか。
「ああもう、髪汚い! それじゃあ女の子にモテないわよ!」
「モテる気もない……」
「今度合コンに誘ってやる」
「嫌だよ、話すことないよ」
「そういえば大学は?」
「……行ってない」
「あ、そう。今年の試験間に合うかしらね」
「間に合わないと思う……」
「じゃあ来年、私の大学受ける?」
「どこ?」
「東大」
「東大!?」
「大丈夫、彰なら入れる」
「どんな自信!?」
部屋の中にいた悪魔は、いつのまにかいなくなっていた。
*
それから10年。僕は今、小説書きになっている。結局あの後大学に行って(東大は当たり前のように無理だった)、就職した後ネット上で小説を書いていたらそれが受けて、書くようになった。
今でも、20歳の誕生日の頃は鮮明に覚えている。あそこで、僕の人生はもう一度始まったのだから。
そういえば最近、やっと悪魔が誰か思い出せたのだ。あいつは確か、中学の時に「制裁」と言って僕とつるんでいた奴だった。名前は水無。けれど水無は中学卒業前に、病気か何かで急死したのだった。多分、「制裁」に関する記憶は僕の中で嫌なものとして、つるんでいた友人すらも思い出せなくなっていたのだろう。
だから、あれは水無が幽霊としてやってきて、僕を地獄に呼び込もうとしていたのかな、と初めは思った。振り返るとあの時話されたエピソードは、結構悪意に満ちていた。何かしら、僕に恨みがあったのかもしれない。
しかし、こうやって彼の言葉を思い出して書き出してみると、ちょっと違うのかもしれない。悪意はあったろう、自殺させようとも思っていたかもしれない。
けれど全体を読むと、決してそれだけではなかったと思うのだ。
30の思い出話を聞いた時に完成する、気の長いメッセージ。
ようやくあの頃を「思い出」に出来て、僕は生きている。今日は香里を会う予定だ。彼氏の愚痴を言わせろと言う。女友達で話せばいいものを。
20歳の僕に、今なら言える。
お誕生日、おめでとう。
生きてくれて、ありがとう。
20年大変だったし、それからも大変だよ。
けれどあの時、生きようと思ってくれてありがとう。
ハッピーバースデー、僕。
最後の夏に30のことは キジノメ @kizinome
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