追いつけない

そら

第1話

風、どころか竜巻のように地面を蹴って力強く走り抜ける怜を、1度だけ見たことがある。

怜が、初めて試合でトラックを駆け抜けた時のことだ。表彰台に上っている徳哉に祝福を贈りたい気持ちは確かなのに、ずっと近くにいたはずの怜が、のらりくらりと人生を浪費している自分とは違う世界に行ってしまったような寂しさを覚え、それからはなんとなく怜の部活を見に行っていない。

「怜。怜はどうしてそんなに頑張れるの」

ある日の放課後、一向に埋まる気配のない志望調査の紙をシャーペンの先でコンコンと叩いて黒い跡をつけながら、僕の前で本を読んでいる怜に問うてみたことがある。

数秒の沈黙の後、好きだから、と怜は言った。

「誰も、追いつけないくらい走りたいんだ」とも。

そこには僕には踏み込むことの出来ないような怜の確固な意志が含まれいる気がして、自分から聞いた癖にふうん、と曖昧な返事を返し、黒い点と点をなぞった。ただの点はふにゃふにゃの線になって、自分の人生のようだと頭の片隅で思う。

「お前はさ、俺に追いつくなよ」

意味不明な、馬鹿にしているともとれる怜の発言に対して、怒ったのか、脱力したのか、もしくはもっと違う感情だったのか。僕の記憶ではもう曖昧だ。


じゃり、と石を踏みながら、墓に水をかける。夏の光を反射してきらきらと輝く墓にぴたりと手をあてた。

怜は、元々20歳前に死ぬ身体だったそうだ。

僕が知らなかっただけで、走る意味を聞いたあの日、怜はとっくに走ることをやめていたらしい。

水は完全に蒸発して、乾いた墓からは太陽の熱が直に伝わりじゅっと手を焼く。

「僕、まだまだ怜に追いつけてないみたい」

独り言、というより自分に言い聞かせるように墓に話しかけた。

手から伝わる暑さは、僕が生きている証拠だ。

「もっと一生懸命走らなきゃね」

誰にも追いつかれないように、遠くへ。

びゅお、と巻き上げた風は、まるで怜が走りぬけたように思えた。

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追いつけない そら @hiyori408

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