艶夜噺

夜の魔女

第一夜:刻まれる紅

ふ、と意識が浮上した。がぼ、いつの間にか口に入り込んでいた水を吐き出す。苦い。紅い、赤い水だ。あれ。ええと。瞬間、私は自分が何処に居て何をしていたかを忘却してしまっていた。揺れる浴槽の赤い水面に、自分の情けない顔が映っていた。

ぴり、と小さく痛んだ左腕を見ると、古傷に混じって新しい疵がじわじわと紅い体液を吐き出している。

…………嗚呼、そうか。また、私はやってしまったのか。

疵を抑えるように右手でぎゅぅ、と握りしめる。じくり、と疵が痛んだが、それもいずれ消えてしまう。消えてしまう、そのことがひどく哀しく思えて、口唇をきつく噛み締めた。


どのくらいそうしていたのか。がちゃりという音に顔を上げると、そこには予想通りの人物の、これまた予想通りの渋い表情が見えた。


「いつまでそうしているつもりだ、」


呆れと蔑みを半分ずつ混ぜたような声音だったが、その声は天上に響くラッパよりも美しく私の鼓膜を揺るがした。低く、心地の良い声。白い肌に、月色の髪。肌理の細やかさはそこらの美姫も裸足で逃げ出すだろう。


「……ア、スラ?」


口唇が上手く動かない。身体が冷えているんだ。このまま冷えきって、固まってしまえばいいのに。中途半端な体温が煩わしく思えて、私は蛇口に手を伸ばした。水を浴槽に足そうと掴んだところで、私の手よりも大きな手がその動きを止めた。


「離せ、」

「断る」


瞬時に言葉を否定され、私はアスラをにらんだ。そもそも此処は私の家の、私の浴室だ。私のプライベート空間であるはずなのに、無遠慮に入り込んできて、私の行動を邪魔するのか。

目の前が赤く染まった気がした。身体の奥深くから衝動的な何かがこみあげてきて、止まらなくなった。


「お前は、私なんかどうでもいいんだろう……っ!」


握られた手を、感情のままに振り払う。浴槽のなかで膝立ちをしていた私はバランスを崩してまた水の中に身体を沈めてしまう。が、そんなことはどうでもいい。冷え切っていたはずの身体が、正確に言うならば目元がじんじんと熱を発していた。冷たい水が心地よく思えるほど。ぎゅぅ、と閉じた瞳から熱い何かが滲みだして気持ち悪い。冷え切った手で、その冷たさで押さえていても途切れることなく滲みだしてくるものだから、私はいっそ目玉をくりぬいてしまいたくなった。

指先を瞼に押し込もうとした瞬間、世界が反転した。と、思ったら、アスラが力業で私を浴槽から引き揚げて、肩に担ぎ上げた。


「な、」


風呂場に居たのだから当然私は全裸のままだ。羞恥と怒りで身体が震える。


「は、なせ、」


ようやくそれだけを口唇から吐き出すと、アスラの腕から逃げようと身をよじる。が、全ては徒労に終わる。竜の血が入ったアスラの膂力に、生粋の人間ごときが叶うわけない。解ってるけど、頭では解っているんだけれど、感情が言うことをきいてくれない。私の非力な手ではアスラに疵ひとつつけられないのに。

感情が迸るままに拳をアスラの背中に打ち付ける。でも、アスラの歩みは寸分の狂いもなく進んでいく。それが腹立たしい。……口惜しい。


ぽたりぽたりとフローリングに落ちていくのは私の身体についていた赤い水なのか、それとも両眼からまだ零れ落ちている雫なのか、もうわからない。

喉が震える。噛み締めた口唇も震える。ぐ、と飲み込み損ねた嗚咽が喉を鳴らした。私が。私が人間ではなかったなら。

叶いもしない仮定を思い浮かべて、私はまた死にたくなった。


無遠慮にドアが開けられ、ベッドに放り投げられる。咄嗟に受け身を取って、見上げたアスラはやっぱり見惚れてしまうほどきれいで。自分の貧相な身体が恨めしくなってシーツで隠そうとした。が、のしかかってきたアスラにそれを阻まれる。

本能的に危機を感じて逃げようとして、当然のように失敗する。両手をひとまとめに掴まれて頭の上のあたりに押し付けられる。


「はな、せ、」


冷え切った身体に、アスラの体温が燃えるように熱い。炎のようだ。身を捩らせると、それすらも許さないとでも言いたげにアスラがのしかかってくる。重い。つぶれる。動けない。なにより、近い。近い近い!顔も、手も、何もかもが近い!

鋭い月色の瞳と、それを縁取る長い睫毛、さらさらと流れる銀糸、白磁よりもなおなめらかな肌、薄紅の口唇は苦々し気に歪んでいる。そのどれもが、私よりもはるかに美しくて、自分の醜さや醜悪さが際立っているようにも思えて、それがなんとも哀しいやら口惜しいやら。

せめてもの情けない抵抗として、ぎゅ、と目を瞑る。見たくない。アスラが美しいものだけで出来ていて、誰もに羨望の眼差しを向けられていて、誰からも愛されるってこと。その瞳に映るのは私じゃないということも、全部。ぜんぶ、見たくない。


不意に、口唇に何かが触れた。やわらかくて、あたたかい何か。

それが何かを頭の冷静な部分で分析して、該当するものをはじき出した瞬間私はつい目を開いてしまった。

伏せた瞳のけぶるような長い睫毛、白い肌はうっすらと上気していて沸き立つような色香が眩暈を起こしそうになる。私が目を開いたことが気配でわかったのか、アスラがうっすらと伏せていた瞼を持ち上げた。ゆらゆら、月色の瞳が揺れている。見てはいけない、そうおもうのに。これ以上見つめられてしまえば絶対後悔する、わかっているのに。……それなのに、目を逸らせない。逃げられない。


イタズラっぽく、アスラの瞳が細められる。嫌な予感が瞬間にも満たない刹那はしって、それに身体が反応する前に口唇のなかに何かが侵入してくる。ぬるりとしたそれが噛み締めようとした歯列を割って、舌を絡めとる。こすり合わせて、強く吸われた辺りでなにも考えられなくなった。

両手を掴んでいた手の力が少しだけ緩んだけれど、振りほどけない。私はアスラが好きだ。どうしようもなく好きだ。いっそその美しい瞳に映るものすべてを壊してしまいたくなるほど。そのくらい、いいや、それ以上に好きだ。狂ってる。自覚はある。口惜しさからか、惨めさからか、また涙が滲む。


ちゅ、濡れた音がして口唇が離れる。それがさびしいような、かなしいような、切ないような、なんとも言えない気持ちになる。揺れる視界の中で、アスラが自分の口唇をぺろりと舐めた。その扇情的な光景にどきりとする。また視界いっぱいにアスラの顔が見えて、キスされるのかと目を瞑ると、眦に濡れる感触。

涙をなめとられたのだと気付いて、顔に熱が上がっていく。赤面していることを自覚することほど羞恥を煽るものはない。顔を隠したくて、けれどそれが叶わない。だって手はアスラに掴まれているから。

せめてもの自己保身として首をひねって枕に顔を寄せる。目を瞑ればもう何も見えない。欲情に揺れるアスラの瞳も、その熱も、なにもかも。



…………




は。吐き出す息が熱い。顔にも手にも胸にも熱がこもって、それでも下腹部の熱には届かない。しびれるほどに熱い口唇が、ちゅく、濡れた音を立てる。舐められて吸われ、注ぎ込まれて、頭のなかが蕩けそうになっていく。境目などないくらいに混じり合って、溢れる唾液を飲み込んで、冷静な思考など無駄だとナナキはそれを放棄した。


ベッドに押し付けられた手が、熱い。痛みはない。けれど体重をかけられているせいでぴくりとも動けない。ぞくぞくと背中を這う痛痒や寒気にも似た感覚が幾度となく身体を震わせても、それによってまたこもっていく熱に身を捩らせても、それでも逃げられない。



まなじりに自然と涙が滲む。こういうことを望んでいなかったと言ったらうそだ。世界で一番綺麗だとおもうアスラに触れたいとずっと願っていた。けれど、穢しそうで怖くて、自分が触れていいものではないとあきらめなだめすかすことで見ないふりをした。自分のなかで燻る炎も、羨望にも近い感情も、何もかもを見ないふりをして諦めたつもりだった。


それがどこまでもつもりでしかなかったことに、ナナキは漸く気付いた。




「……ナナキ、」




少しだけ口唇を離して、名を呼ばれる。それだけでぞわぞわと全身を震わす波のような感覚が強く自分を攫いそうだったので、きゅ、と強く目を瞑る。視覚を閉ざせば身を焼くような羞恥が薄れると思っていたが、それは間違いだった。むしろ視覚を閉ざしたことで身に受ける感覚全てが鋭敏になる。熱い手が頬から首筋、肩へと降りて、胸のまろみをなぞった瞬間、声が漏れた。


「あ、」


接触をしたことがないわけではない。怪我人を運ぶ時、肩を貸す時、たしかに自分以外の存在に触れられることはあった。が、それらとは全く違う感覚。つぅ、と指先で曲線をなぞられ、その頂点に触れた時に身体が跳ねる。口唇を噛み締めて声を殺そうとしても、口付けられたままでは無理な話だ。息をするだけでようやくだというのに。


びくりびくりと自分の身体が跳ねる。初めての感覚に戸惑いながら、それでもそれが不快ではない。むしろ、されるたびにもっと、と渇望にも似た感情がもたげてくる。


口唇が離れる。濡れて熱いそれが離れるのが無性に寂しく思えて、そう思う自分に羞恥を覚える。ぺろりと口唇を舐められて、かみついてやろうかと思った瞬間、きゅ、と摘まれて息を飲む。痛い。身体が強張ったのがわかったのか、すぐに力は緩められる。慈しむように優しく、やわらかく撫でられてまた身体が震える。


「ア、……ラ……っ、」


名前を呼ぼうとして失敗。だめだ。気持ち良すぎる。触れられているだけなのに。抑えつけられていた手が解かれるが、自然とその手を口元に当ててなおも隠そうとしてしまう。


「隠すな、」


耳元で囁かれるけれど、その声すら身を震わせる要因の一つに過ぎない。隠した手を握られるがそれでも最後の抵抗とばかりに自分の顔に押し付ける。いやいやと頭を振ると仕方ないと言わんばかりの嘆息が聴こえた。口惜しい。口惜しいが、嫌ではない。アスラよりも自分の方が経験が乏しいのは事実だ。だが、それでもすぐにすべてを委ねられるほど、素直ではない。


少しだけ離れていたアスラの顔がまた降りてきて、口づけられるのかと思ったら違った。指先で弄ばれていた胸の尖りを口に含まれて舐められる。吸われ、甘噛みされ、そのたびに身体が跳ねた。どうしようもないくらいに身体が熱くて、じんじんとこもる熱がつらいような、心地よいような感覚。何度目かの跳ねに合わせて背中に手をまわされて身体を抱え込まれる。体勢を入れ替えられ、アスラと抱き合う形になる。膝立ちで跨る姿勢になったことを自覚した時には、遅かった。


誰も触れたことがない部分に指が触れる。ぐちゅりとぬめった音がして、なぞられる感触に震える。口唇から漏れる吐息にも似た嬌声がまるで自分のものとは思えないくらいに違和感があった。が、確かに甘ったるいほどのだらしない声は自分のものだ。


なぞられてその形を想起させられることが、こんなに恥ずかしいことだとは思っていなくて、知識は知識でしかないとナナキは思い知った。


つぷりとナカを押し広げていくように指が這入ってくる。鈍い痛みのような、むず痒いような初めての感覚に戸惑う。出来ることは、アスラの身体にしがみついて、嬌声を殺すことだけ。嫌ではない。嫌ではないから困る。


しなやかだが太い指が探るように動き、ナカを擦っていく。波のように襲ってくるその感覚に攫われてしまいそうで怖くなって、しがみつく。触れられているその場所から何かがくる感覚がして、息を飲む。一層力を込めてしがみつくと、背中に回された手が包み込んでくる。


「は、あ、……っ、あ、……!……」


頭のなかで何かが弾けた。火花のような、何もかもが消え失せるような強烈な感覚。今まで以上に身体が跳ねて、びくりびくりと痙攣する。なにも考えられない。息が詰まって苦しい。けれどそれを塗りつぶすかのような快感の波。その波が去ったあと、気怠いような脱力感に襲われる。アスラの逞しい胸板にもたれかかるように身体を預け、乱れた呼吸を整えることで精いっぱいだ。


「ナナキ、」


耳元で囁かれる声に、ぞわりとした。思わず顔を上げてアスラを見て、そしてその瞬間に後悔した。劣情に揺れる月色のきれいな瞳に、だらしない顔をした自分が映っている。それがひどく汚く見えて劣等感と羞恥に駆られる。視線を逸らそうとして、けれどそれを許さないとばかりに顎を掴まれてまた口づけられる。


やわらかい口唇と、ぬるりとした蕩ける感触。このまま溶けあってしまえればいいのに。そう心から想った。

口づけられながら腰に手を回され、身体を浮かせられる。あ、と思った時には遅い。おとがいを掴んでいた手がいつの間にか離されていて、またアスラ以外触れたことのない場所に触れた。ぐちゅ、というぬめった音が羞恥を煽る。また奥を触れられるのかと身を強張らせると、腰を引き寄せられて何か熱いものが触れたのが解る。それがアスラ自身だということに気付いた時には遅かった。


「ひぁ、」


先端が入っただけで息が詰まる。思わず身体が反って、口付けが途切れる。使ったことのない場所を押し広げられ、割られていく感覚。痛い。けれどその痛みさえ愛おしい。背中を反らしていることで胸をアスラに突き出している姿勢になっていることに気付いたのは、その尖りを口に含まれた時だった。

汗をかいて冷えた肌に、アスラの体温が燃えるように熱い。


「ふ、……ぁ、」


柔らかく舐められ、吸われることで強張っていた身体から力が抜ける。と。ぐ、と腰から下に力を込められて、ずぶりと深く挿入はいる。


「あ、あ、」


悲鳴にも近い嬌声。それが自分の口唇から漏れていることがいまだに信じられない。いつの間にか痛みは消えていて、その代わりに身体の奥深くから燃えるような、這い上がってくるような感覚が押し寄せてくる。意識せずにそこがひくついているのが解る。


「ナナキ、」


アスラの声が自分の名前を呼ぶ。それだけでどうしようもなくなってしまって、自分の手に噛みついた。ぎり、音がするほど噛み締めて、その痛みで漸く自分をつなぎ留める。犬歯が皮膚に食い込んで、確かに貫いた。じわり、口の中に錆びた鉄の味がして、少しだけナナキは冷静さを取り戻した。幾度となく味わってきた苦い味。

ふ、と。

腰を掴んでいたアスラの手が離れる。疑問に感じるよりも早く、手を掴まれる。血液混じりの唾液が糸を引いて、口唇を濡らす。歯型がついた手に、アスラの白い顔が寄せられる。あ、と思った時には遅かった。

ちゅ、口づけられ、舐められる。自分の頬に朱が走るのを実感し、不意に力が抜ける。かろうじて膝立ちになっていた姿勢が崩れ、その勢いで根元まで深く深く突き刺さる。


「っ、あ、」


は、息を吐いてびくびくと震える自分の身体をどうにか落ち着かせようとする。けれど下腹部から広がっていく感覚に思考が鈍る。ぐ、と奥に押し付けられるだけでどうしようもなく寒気にも似た快感が身を走っていく。

きゅ、と締めるとナカにあるアスラ自身の形がはっきりと解るような気がして、それが気持ちよいのか恥ずかしいのか、或いはそのどちらもなのか。思わず、腰を引くとずるりと抜ける。蕩けている。そこがであることを自覚して、なおも羞恥に駆られる。じゅく、と濡れた音が響いて、また少し身体が跳ねる。その動きに同期するようにアスラ自身が自分のナカを擦っていく。

拙いその動きに焦れたのか、それともそれすら一興だとでも思ったのか、アスラはナナキの腕を自分の背に回し、ぎゅぅと抱きしめる。触れる肌の熱さが心地よい。その熱に溶かされ、何もかもが甘く蕩けていくような錯覚に陥る。深く深く差し込まれ、奥を抉られる。口唇が震えて悲鳴にも似た嬌声が上がる。

それすらも慈しむようにまた口唇を奪われる。軽く噛まれ、舐められ、吸われる。何もかもを喰らい尽くされるようだ。


言葉を用いないその口唇が、熱い吐息を漏らすその口唇が、何よりもと錯覚させる。思考のなかの妙に冷静な部分が囁く。

『ただの気まぐれ』だと。でなければこんなことが起こるはずがないのだ。たまたまアスラがそういう気分になっただけで、本気で欲しがっているわけじゃない。たまたま、欲望をぶつけるのにタイミング良く自分が居ただけだと。……そう思わなければ、哀しすぎる。


きつく瞑った眼から涙が滲む。熱い。熱い雫だ。頬を伝うその熱が、アスラに吸い込まれていくようだ。アスラは自分を求めてはいない。その奇妙な確信が涙をあふれさせる。気まぐれに欲しがられるくらいの価値しかない自分が。気まぐれだと解っているのに悦んでしまう自分が。

吐き気を催すほど気持ち悪い。


アスラの手が持ち上がったことにナナキは気付かなかった。身体の内側から来る刺激と、自分の内側に乱れる感情にどうしようもなくかき乱される。頬を包み込まれ、あふれ出た涙を指先で拭われる。大きな手が顔を包み込んで、不意に聴こえたちゅく、という音に驚く。頭蓋のなかで音が反響している。舌や口唇を舐めとられ、吸われ、注ぎ込まれる。

音と触感に翻弄され、そちらに意識が向いていた隙をついてまた体勢が入れ替わる。押し倒され、足と腰を抱え込まれる。自由になった両手でシーツを掴み、そのまま顔に押し付けて隠す。抜き差しをされるたびに口からこぼれていく嬌声が自分のものとは到底思えない。跳ねて震える身体も、身体中を這いまわるような快感も、何もかもが現実味を帯びていない。


「ひぃ、あ、」


抑え込めなかった悲鳴にも似た嬌声が、口唇からこぼれる。じゅく、ぐちゅ、と濡れた音が耳に届いて、それが自分とアスラが繋がっている場所から聴こえるのだと気付いた時に思わずぎゅぅ、と力を込めてしまった。

ナカで尚もアスラが膨れ上がった気がした。一番奥を抉られ、押し付けられ、その熱が吐き出される。


「っ、あ、」


頭のなかで何かが爆ぜた気がした。一番大きな波が自分を攫っていくような、何もかもが消えてしまうような、気持ちよいけれど少しだけ怖くなるような、そんな感覚。


「は、ひぃぅ、」


詰めた吐息が口唇からこぼれる。噛み締めていたのに、抑えきれなかった。鼓動にも似たどくり、どくりというテンポに合わせてびくびくと身体が震えた。その波が治まった頃合いで、アスラの体躯がのしかかってくる。ずるりとナカから抜けて、注ぎ込まれたものが溢れるのが実感できる。あ、と思う隙にぎゅぅぎゅぅと抱きしめられる。重い、苦しい、と言おうとして、けれどそれほど体重がかけられていないことに気付いた。つぶさないように体重を分散させている。その不器用なやさしさに止まったはずの涙が出そうになった。


「ナナキ、」


耳元で囁かれる低い声。艶っぽいその声が、どうしようもなく胸を疼かせる。


「…………アスラ…………」


手を伸ばし、その手をアスラの背中に回す。しがみつくように抱き着いて、その肌の熱さに焦がれる。アスラが焔なら、その焔に飛び込む羽虫でもいい、そう思った。いずれはその熱に灼けると解っていても。



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