第弐夜:残酷な天使が躍る

 夜。空には月と星がきらきらと輝いてその勢力を増している。それを視界の隅にとらえながら、ナナキは思考の隅っこで、嗚呼、ほっぺたが冷たくて気持ちいいな、と思った。

 自分の現状を把握はしているけれど、理解はしたくない。身体中に熱が渦巻いていて、それが主に下肢から這い上がってくることにも、気付きたくない。


「……何を考えている?」


 大きなその手で背中を撫でられる。耳元で囁かれた低く腹の底に響くような声と、さらりとした月色の髪が背中にこぼれてきて、ナナキは震えた。


「お、前のこと、だ、ぁ、ひぃ、あ、」


 荒れる呼吸の合間に告げるが、自分の口唇から漏れるのは言葉ではなくて最早悲鳴に近い。返答に気を良くした馬鹿、つまり、背後から襲いかかってきた性欲魔人のアスラがぐり、と奥を強く押したからだ。

 背中を撫でていた手が前面に回り、膝や肘をついていた態勢から上半身を起こされる。狭いベッドの上、お互い膝立ちのようになっているその姿勢に更に顔が熱くなった。


「や、だ、こん、な、あ!」


 腰を掴まれ、下から突き上げられる。ひと突きごとに当たるところがズレて、その刺激に震える。どうしてこうなったかなんてもうおぼえていない。たまたま作ったチキンのクリーム煮が美味しかったから、買ってしまったままだった発泡葡萄酒を開けて一緒に食卓に出した。

 いつもは感想など言わないアスラが、「これは良いな」とか言うものだから。ついつい自分も調子に乗ってしまった。発泡葡萄酒のグラスを持ったままアスラの隣に座り、指先でちょいちょいと招く。自分の口元に手を持っていって、まるで内緒話をするようにしてみせれば、不思議なことに反射として耳を寄せてくる。

 形の良い耳朶が見えて、悪戯な気持ちが沸き上がってしまったのだ。そして、その気持ちを抑えきれずに、アスラの形良い耳朶に口唇を寄せた。

 ちゅ、とリップ音を響かせて口付けてやれば、ぴきりと音がしそうなほどに固まる。その様子が思いのほか面白くて、してやったりとばかりに笑ってやった。そこまでは良かった。満足し立ち上がったその手をアスラが掴むまでは。


 あれよあれよと言う間に捕まり、気が付いたら抱え上げられそして危険を察知した時には既に遅く、ベッドの上にいた。流れるような動きで身に着けていた服を脱がされ、羞恥を覚える前に全裸に剥かれた。正気に戻った時にはまさしく後の祭り、自業自得。口づけられ、舐められ、触れられた時には自分の愚行を心から呪った。そして二度とアスラと酒は飲まないと心に決めた。もしも時を巻き戻せるなら、殴ってでも自分を止めたい。いや、でも止めたとしても結局はこうなる可能性が否定できない。アスラは性欲魔人だし。ああああああああ。


 自分の口唇から零れている悲鳴にも似た嬌声が耳について鬱陶しい。けれど止められない。きもちいい。ひと突きごとに理性も思考も溶かされてグズグズになっていくようだ。


「ナナキ、」


 耳元で囁かれる低い声に脳髄が震える。全身が粟立つような感覚がして、同時に昇り詰める。跳ねるように身体が痙攣するけれど、背中から強く抱きしめられているせいで衝撃を逃がせない。苦しい。けれど気持ちいい。

 思わずきゅぅきゅぅと中を締め付けてしまう。アスラの形を一層深く感じて、深い泥濘に落とされるような、何処か果てに放り出されるような心地になった。


「あ、あぁぁ、」


 吐息と共に身体中の熱を逃がそうとする。小さな波がまだ身体の中で暴れているのがわかる。


「イッたか」

「……っ、い、うな……ぁ……っ」


 耳朶から脳髄に走るその低い声も、痛くない程度に、けれど逃げ出させないほどに強く握りしめてくるその手も、肩や背中に落とされる形の良いその薄い口唇も、なにもかもが今は恨めしくなるほど気持ちいい。ぬるりと湿った感触がして、背中を舐められていると気付いた時にはもう何度目か解らない果てを味わった。


「いい眺めだ、もっとイけ」


 嘲笑うように愉悦を滲ませて奥を突いてくるアスラがおそろしいほどに綺麗で、なんでこいつの背中に羽根が生えてないんだとぼんやり思った。酸素が足りない。呼吸は荒く弾んでいて、息を吸おうとしても口唇から嬌声が零れる。


「も、や、だ、や、ぁ……」


 無様にすすり泣いて懇願するようなことしか言葉にならない。こんなにもみっともなく縋っているのにも関わらず、アスラは愉しそうに喉の奥で嗤った。


「煽ったお前が悪い」


 肉のぶつかるぬめった音が響く。つらい。それで気持ち良くなる自分もいやだ。つらい。もういっそ早く終わってくれと願うけれど、それが叶う可能性は極めて低いこともわかっている。ああああ。


 夜明け近くまで身体中を貪られ責められ幾度となく果て、次の日動けなくなったナナキはもう二度とアスラに酒を飲ませないし悪戯もしないと心に誓った。



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