蒼い制服

@rpKIRIN

第1話渡辺 武


《非常に強い台風21号が、関西に爪痕を残し----》


テレビの中で、糊の効いたシャツを着こなした壮年の女性アナウンサーが、原稿を読み上げている。

昨日関西を縦断した台風21号は、甚大な被害を残していった。強い風で屋根が飛ばされ、電線がショートし、停電。電柱や木はなぎ倒され、断水、車の横転や事故が絶えなかった。結果、生活インフラが麻痺。死亡者まででた。


「…疲れたなぁ」


テレビを見ながらカップ麺をつつき、ぼそりと呟いたのは、渡辺 武(ワタナベ タケル)、42歳。既婚。窪んだ目に鷲鼻、いつもは綺麗に剃られている髭は、今朝は少し伸びていた。

彼の職業は大阪府警地域課の巡査部長で、パトカー乗務員である。昨日の台風でヘトヘトになっていた。つけている無線機にひっきりなしに入る被害情報。事故や避難誘導に追われ、食事など考えてる暇も無い状況で、しかも大雨。白い雨合羽など外に出て数分で意味の無いものに変わった。

台風が過ぎても対応に追われ、食事にありつけたのが今朝の4時。現在である。豚骨醤油味のカップ麺を啜っていると、隣に部下が座った。


「いやー、昨日大変でしたね」


佐藤守(サトウ マモル)32歳。巡査で、渡辺の部下。手には愛妻弁当。


「まだ食べられると思って…へへ」


警察官というのは、毎日勤務と呼ばれる平日勤務と、交代制がある。ここ大阪の地域課は三交代制で、朝出勤、次の日の朝に次の職員と交代し退勤。次の日は非番。その次の日はまた出勤…と、基本的にそんなサイクルである。愛妻弁当は、昨日の昼に食べる予定のものだったのだろう。いくら冷蔵庫に入れてたとはいえ、24時間以上経っている。


「腹壊すなよ」


渡辺はニヤッと笑ってカップ麺のスープを飲んだ。朝の4時。丸一日食べてない腹には、最高にキク時間だ。

渡辺が麺を食べ終わり、佐藤がおかずの半分を食べたところで、耳にノイズが入った。


《こちら大阪本部、本町通りで、女性が奇声をあげながら刃物を振り回しているとの通報。繰り返す。本町通りで、女性が---》


渡辺は、愕然としている佐藤を横目で見ながら、席を立った。


「………だとよ。弁当は諦めろ」


テレビを消して、一度大きく伸びをする。パキボキッと軽く背骨が鳴った。




ーーーーー





佐藤と一緒に急いでパトカーに乗り込み、エンジンをかける。ギアを入れ、交番の駐車場から出た。佐藤は素早くサイレンのスイッチを入れ、マイクで周りの車に協力を求めた。


「パトカーが出ます。パトカーが右に曲がります。車の方は止まってください。右に曲がります」


交番から出たパトカーは辺りに注意しながら現場へと向かう。その間にも続報が入り続ける。女は1人、長髪の茶髪で、どうやら1人の男性を追いかけ回しているようで、通報者もこの男性らしい。


「痴情のもつれですかね」


「どうだろうな。たまにあるんだよな。こういうの」


ここは繁華街から近いため、男女のもつれから来るいざこざが絶えない。刃物を振り回すのも度々あることで、大抵は「自分と付き合わなければ死んでやる」というものだった。

とはいえ、今回もそうとは限らないので、身を引き締める二人。

サイレンを鳴らし、路肩に停車している車を次々と抜かし、現場へと向かった。

現場にはもう周辺のパトカーが5台来ていた。二人は車から降り、現場の警察官から状況を聞く。その瞬間、本町通りの商店街の方から、女性の声で何か喚く声が聞こえた。


「いくぞ!」


渡辺は声のする方へと走る。

応援の警察官も、走りながら辺りを捜索する。すると、後ろから佐藤の声が聞こえた。


「うわ!」


渡辺は後ろを振り替えると、尻餅を1日佐藤と、それにかぶさるホスト風な男がいた。横道から飛び出してきたらしい。


「良かった!助けてくれよ!殺される!!」


男が佐藤に言う。どうやら通報者らしい。渡辺は男に近づき、話しかける。


「通報者?」


「そうだよ!刃物持った女に追いかけられてよ!なんだアイツ…」


そういう男の腕が、少し切れていた。佐藤が立ち上がり、無線で報告する。


「佐藤から各局。通報者発見。えー、腕に切り傷有り。場所は本町通り商店街、八百屋前」


報告を受けた警察官が、応援に駆けつける。


「その女性は知り合い?」


「いや、知らねぇ奴。仕事終わって歩いて帰ってたらいきなり襲ってきた」


「君、職業は?」


「ホスト」


渡辺は眉間にシワを寄せた。


「本当に知らないの?君のお客さんとかさ…」


「知らねぇよ!」


男が声を張り上げた時、男が来た道から奇声が聞こえた。


「さとるくーーーーん!!」


甲高い声が響く。渡辺達警察官が振り向くと、茶色い髪を振り乱し、派手な服に身を包んだ女がニヤニヤして立っていた。手にはカッターナイフが握られている。応援にきた警察官が女を見つけたと報告する。


「名前、さとるっていうのか」


他の警察官が男に問うと、男の表情は恐怖に変わった。


「……俺の、本名。何で知ってんだ…」


「君、彼の何かな。彼女?お客さん?」


渡辺は女に聞くと、女は答えた。


「お嫁さん!」


その答えにさとるという男は首を横に振る。様子からして本当に違うだろう。


「そのお嫁さんがカッター振り回してたら危ないよ。捨てたらどうかな」


渡辺は女に言うが、女はカッターを捨てようとしない。佐藤は男に小声で言う。


「君が言えばカッターを捨てるかもしれない。言えるか?」


男からの返事はなかった。腰が抜けているようだ。


「さとるくん。早く帰ろう。ご両親、待ってるよ」


「は…?」


「おばさん、足折っちゃって杖ついてるの。私、約束してきたんだ。さとるくんと結婚して、お義母さんを支えていきますって。早く、放出はなてに帰ろう」


「お、お前誰だよ…」


「さとるくんヒドイ。花だよ。小学校の頃一緒だったでしょ」


ニヤニヤ顔を歪めながら答える女。こりゃ取り調べ大変だぞ…。と渡辺は内心ため息をついた。

その時、女の後ろの道から静かに近づく警察官に気がついた。無線で報告が入る。挟み撃ちだ。渡辺達ができることは1つ。女の気を引くことだった。


「…そうか、君はさとるくんと結婚しに迎えにきたんだね」


渡辺は少し笑う。女は、ウンッ、と語尾に音符がつきそうな返事をした。その瞬間、後ろの警察官が女に体当たりをした。その瞬間、女に数人の警察官が飛びかかる。地面に打ち付けられた衝撃でカッターは飛び、佐藤が確保。渡辺も女の確保に向かった。


「大人しくしろやァ!」


「確保、5時53分!」


警察官の怒号が飛び交う。女も奇声をあげながら、抵抗するが、あっけなくご用となった。

その後の取り調べで女の身元が判明。女は男の小学校の同級生で、中学で別の学校に進学後から直接の面識は無し。小学生からの頃から男に好意を寄せていたらしい。男の母親とは面識が無く、自分の中で妄想が現実となり今回の凶行となった。結果、女は精神鑑定にまわされ、結果待ちとなった。あとは検察が判断するだろう。


「雪ちゃーん!今から帰るよ!」


出勤から52時間。台風に事件と、やっと帰宅できる二人は、警察署のロッカー室にいた。佐藤は妻である雪に電話している。渡辺も自分の妻に、帰る、とだけメールを打ち、送った。

制服からスーツに着替える。雨に濡れ、軽くシャワーを浴びただけですぐに現場へ向かった。…きっと凄い体臭だろう。早く家に帰り風呂に入りたい、とぼんやりと渡辺は思った。


「渡辺さん、行きますよー?」


いつの間にか電話を終えた佐藤がロッカー室の扉の前で待っていた。


「おう、帰るか」


そう答えて、渡辺はロッカーの扉を閉めたのだった。











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