第7話 戦力投入
サーボスーツの電源が入れられた。下半身も自由に動かせるようになり、
体が軽い。気持ちはこんなに重いのに。
サーボスーツの筋力アシストは凄いな。
「大丈夫そうだな。では、こっちだ」
小林先生……
「まあ、しっかり戦え」
平野平さんはそう言って僕の肩を叩いた。
「はい」
無理だけど。
振り返ると、瀬切さんがこっちを見ていた。泣きそうな顔だ。
心配してくれてるんだ。
「行ってきます」
そう言うと、うなずいてくれた。
何とかして、戻ってきたい。
ハッチをくぐると、貨物室いっぱいにキャバリエの巨体がうつ伏せに横たわっていた。両肩と両膝のところで支えている四つの台車が、小さく見える。
「搭乗口はこっちだ」
機体の下をくぐり、下腹部のところにたどり着く。先生は装甲の隙間に手を突っ込むと、何かを捻った。バクン、と装甲がスライドして入口が開いた。
「ついて来い」
先生は先に中へ入って行った。
あとに続くと、中は意外に広かった。ほのかな照明に照らされたそこは、直径二メートル、長さ三メートルほどの繭のような形の空間だった。その真ん中あたりの天井……キャバリエの背中側から、頑丈そうなアームが下がっていた。
「このマークのところに両手と膝を着いて。そうだ」
床と言うか、キャバリエが直立すれば正面の壁となるところに、黄色と黒の「注意」を表す縞模様で掌と円が描かれていた。そこに手と膝を着いて四つん這いになると、右の親指のところにカバーのかかったボタンがあった。
「カバーを開けて、ボタンを押す。よし、それで良い」
背中の方で低いモーター音が響き、背中にガチャリと何かがはまった。あのアームだろう。
「あっ」
そのまま体が吊り上げられ、手も足も何にも触れることができなくなった。だらんと手足を垂らした、かなり情けない格好。
すると、今度は勝手に手足が延び、水平に横たわったまま金縛り状態になった。
「またこれですか?」
「すぐに地上に降ろすから、我慢しろ」
我慢ですめば良いんだけど……。
先生はヘルメットのゴーグルを引き下ろした。キャバリエのカメラを通して見えるのは、貨物室の床だけ。
「じゃ、しっかりやれよ」
バクン、と音がした。繭の出入り口が閉じたのか。
と、すぐ目の前を小さな人形が通りすぎた。身を屈めてる。
掌に載るくらいのサイズに見えたが、しばらくしてそれが先生だとわかった。大きさの感覚がおかしい。
やがて、アナウンスが流れた。先生の声で。
『戦力投入を開始。キャバリエ・ディエチ、投下準備』
投下? 降下だよね?
足下、つまり貨物室の後ろの方で機械音がする。あの大きなタラップが開いてるのだろう。誰かが捨て忘れた紙コップが、外に向かう風に流され、後方に飛ばされる。
……てことは、まだ上空?
『投下!』
「待って!」
叫んだけど遅かった。床がザッと頭上に流れ、僕は夕闇のなかに放り出された。
「わあぁぁぁ!」
身体が動くようになり、視界の中で武骨な金属製の腕が動いていた。必死に何かをつかもうとするが、そんなものはない。
すぐに雲に突入し、突き抜けると下界は真っ暗だった。
『瞬き三回だ。暗視モードになる』
「先生!」
『コマンダーだ。早くやれ!』
パチパチパチ。
視界がモノクロに切り替わって、明るくなった。
地面はもう、すぐそこだった。
「ダメ! ぶつかる!」
『止めろ。お前なら起こせる!』
何を?
先生の声が、脳に突き刺さり、かき回した。
『テンペストを、起こせ!』
頭の中で、何かがカチリとはまった。
なぜか知らないが、僕は何をどうすべきかわかっていた。
空間を手繰り寄せ、束ねて、引き上げる。
大気が渦を巻き、吹き上げ、キャバリエの機体が静止した。
見た目は一・五メートルほどの高さ。そこから飛び降りるが、変にゆっくりと落ちていく。脚への衝撃を膝を曲げて受け止める。撥ね飛ばされた小石がスローモーションで地面に落ち、灌木をなぎ倒した。
これが、身長が十倍になった感覚なのか。身体が重いのか軽いのか、良くわからない。
手足を動かそうとすると、妙に重い。そのくせ、上げた腕や脚を自然に任せて下ろすときは、生身より時間がかかる。
試しに、足下の小石……多分、何トンもある岩を拾い上げて、目の高さから落としてみる。まるで水中のようにゆっくりと落ちて、地面に衝突すると砂塵が舞い上がった。
『こちらコマンダー。ファーディナンド、状況を報告せよ』
ファーディナンドって誰だっけ?
……ああ、僕のことだった。
「えっと、こちらファー……ディナンド」
外人の名前なんて、違和感バリバリだ。
「何だかわからないけど、地上にいます」
本当にわからない。さっきは全部わかって、何かやったはずなのに。
あれだ、すごく良い夢を見たのに、目が覚めたらさっぱり覚えていない。そんな感じだ。
『了解だ、ファーディナンド。もうじき月が昇るから、視界も十分だろう』
その言葉が終わらないうちに、あたりが明るくなった。山々の稜線から、満月が昇ってきた。
「月って、こんなに明るかったんだ」
そして、色彩が戻ってきた。モノクロの世界が、赤茶けた岩肌と、くすんだ緑の灌木に。
……あまり、潤いがないな。
『ファーディナンド、そのまま前方へ進め。そこは谷間たが、五キロ先で開けたところにキャリバンがいる』
気が進まない待ち合わせだな。出来ればすっぽかしたい。
「わかりました」
全然、納得なんて出来ないのに。それでも従ってしまう。そして、後から悔やむんだ。
何より。
キャリバンをなんとかして倒さないと、みんな死んじゃう。母さんも父さんも妹も。
そして、瀬切さんも。
先生が言った通りなら。
キャリバンの目的は、人類全てを喰らい尽くすことだと言う。あの動画の最後で、兵士を頭から丸かじりしたように。
嫌だ。香澄はまだ二歳なのに。母さんも父さんも、やっと生まれた二人目の子だから、あんなに喜んでたのに。
嫌だ。瀬切さんがあんな姿にされてしまうなんて。
逃げちゃだめだ。
僕が生まれるよりずっと前のテレビアニメの主人公は、そう何度も自分に言い聞かせて、巨大ロボに乗って戦ったらしい。アニオタの友人が見せてくれた。
僕より、よっぽど立派だ。
僕がここにいるのは、僕の意志だろうか?
嫌なことから逃げ続けただけじゃないのか。
こんなこと、誰にも聞けない。
先生なら、「自分で考えろ」と言うだろう。平野平さんなら、もう少し柔らかい表現だろうけど。
そして、瀬切さんは。どうにも答えようがなくて、また泣かせてしまいそうだ。
だから、余計なことを考えずに両脚を動かし、前に進む。
膝がガクガクする。あたりの光景は、あまりにも幻想的で、恐ろしかった。
月明かりに照らされた所は明るくて色彩もあって。そして、満点の星はギラギラと輝いている。
なのに、影になった所は完全な闇。
今にも、その闇からアイツが飛び掛かって来そうな気がした。
普段のままなら、きっと何度も失禁してる。まさか、カテーテルに感謝する事になるとは。
五キロなんて、生身で歩けば一時間以上かかるのに。キャバリエ・ディエチのコンパスでは、ほんの数分だった。
そして、目覚めたキャリバンを目の当たりにして、僕は悲鳴をあげて逃げ出したんだ。
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