第8話 それぞれの戦い
あの見えない斬激が、背後から僕を袈裟懸けに切り裂いた。そう感じた。
右の首筋から左の脇腹まで、バッサリと。
一瞬、時間が止まった。その直後、背中を蹴飛ばされて前へつんのめった。
……あれ、斬れてない?
体を起こしてみる。手足は動く。振り返ると、キャリバンはあの異様な姿勢で立ち尽くしていて、その手前で箱のようなものが激しく燃えていた。
あれは……バックパック?
『外部電源喪失、内蔵電源に切り替えました。残り活動時間千八百秒』
耳元に女性の合成音声が響く。
「何? いったい何が?」
思わずつぶやくと、先生の声にどやされた。
『いいから立て! 奴が来るぞ!』
怒鳴られて反射的に立ち上がると、燃えさかるバックパックを飛び越え、キャリバンが腕を振り下ろした。
「わあっ!」
とっさに両手のハンドガンをクロスさせてガード。
ガキン!
金属音と共に、キャリバンの腕が弾かれた。
もしかして、斬れない?
あの動画では、戦車も装甲車も一刀両断されていた。まるで紙細工をカッターで切るように。
でも、僕は斬られない。
キャリバンは燃えるバックパックの向こうへと飛びすさった。
わずかでも余裕が生まれたからか、凍りついていた指が引き金を引けた。
ガガン! ガガン! ガガン!
両手のハンドガンが三連射で火を噴く。だけど、その弾丸は見えない壁に弾かれ、波紋のような揺らぎが拡がった。
『相手の懐に飛び込め!』
先生が怒鳴る。
でも、動けない。頭の上半分を失った異形の姿を見て、体がすくんでいた。
来る!
再び、奴が飛びかかってきた、その時。
足下で燃え盛るバックパックが爆発した。
こちらに伸ばしていたキャリバンの胴体が突き上げられ、片方の足があり得ないほど背中の側に跳ね上げられた。それでも勢いは止まらず、突き出された手は鋭く尖っていて――
僕の下腹部を貫いた!
言葉にならない叫びと共に、キャリバンに押し倒される。屋上から投げ落とされたような衝撃で、肺が押し潰された。息ができない。
起き上がろうともがくが、気がつくと下半身の動きに手応えがない。脚を動かす仕組みがやられたんだ。
合成音声が何か言ってるが、聞き取れない。そんなのより、目の前に、上半分がないキャリバンの顔がドアップになっている!
腹に突き立てた腕が抜けないのか、もう片方の腕で殴られた。
何度も。何度も。
その度に視界にノイズが走る。
もし見えなくなったら、このままなぶり殺し。背筋が凍った。
耳元で先生がなにか叫んでる。でも、なにも聞き取れない。
怖い! 死にたくない!
でたらめに腕を振り回す。視界にそれが見えた。
右手がまだ動く?
それに、ハンドガンをまだ握ってた!
殴ろうとしてキャリバンの腕が引いた瞬間、銃口を首の付け根にねじ込み、引き金を引く!
何度も、何度も。
ビクン、と痙攣を起こし、奴の動きが止まった。
「……がはっ」
息を吸おうとしたが、入ってきたのは水……鉄臭い水……血だ。倒れたときのショックで、口の中が切れた?
それでも、無理矢理息を吸う。酸欠で意識が薄れていく。ひゅうひゅうと音が鳴って、ようやく少し吸い込み、激しく咳き込む。
喉の奥から、ドロリとしたものが出てきて、わずかに息が吸いやすくなる。また咳き込む。
目を開くと、キャリバンの顔があった。もう動かない、上半分のない顔。その首元に、まだハンドガンは突き刺さっていた。
手が握ったまま開かない。指がつりそうになりながら、グリップから引き剥がす。
そして、空いた右腕でキャリバンの身体を押し退ける。銃弾が貫通して、その胸の辺りは亀裂が入っていた。
そこに、僕は見てはいけないものを見てしまった。
「手が」
そういえば、耳元で誰かの声がする。相変わらず、何を言ってるのか聞き取れないまま。
「動き出したばかりで、まだ誰も食べられていないのに」
聞き覚えのある声だが、遠すぎて聞き取れない。
「何で……血まみれの手が?」
キャバリエの下半身は反応がない。腕の力だけで身体を起こし、横向きになってキャリバンの胸の裂け目に手をかけ、バリバリとこじ開ける。
その中に収まっていたものは、予想通りのものだった。
嘔吐した。胃の中は空っぽのはずなのに、酸っぱい胃液を吐いて、むせて、気を失った。
気がつくと、僕は寝かせられていた。目は覚めたが、体が動かない。金縛り?
……違う。手首と足首と胸の辺りに圧迫感がある。縛られてるんだ。痛みはないから、何か柔らかいもので。
遠くから人の声がする。あれは……
「素体は女性、二十歳前後と思われます」
金髪の女医さんだ。たしか、名前はクリスティ。
「旦那。あの子に見られたのはマズイんじゃ?」
平野平さんだ。格闘術の。
「いずれは目にするはずだった。早いか遅いかだ」
小林先生だ。でも、疲れていそう。
「何にせよ、キャリバンは倒した。今回の危機は去った」
ため息。
「あの二人のケア、どうするんで? 特に、お嬢ちゃんは……」
お嬢ちゃん……瀬切さんがどうしたんだ? 戦いを見て、ショック受けたんだろうか。
声をあげようとしたけど、駄目だった。眠い。意識が遠のく……
次に目が覚めたのは医務室だった。
「知ってる天井だ……」
そう。あの変な白い液体を注射された場所だ。
そして、僕はまだベッドに縛り付けられたままだった。
「あの……すみません、誰か」
声を上げてみる。
すると足音がして、金髪の女医さん、クリスティさんが視界に入ってきて、ベッドの左側に立った。
「海野君。気分はどう?」
屈託ない笑顔だけど、親しみは全くわかない。次は何をされるかわからないし。
「具合は良くなりましたが、気分は最悪です」
ベッドに縛り付けられて気分がいい人なんて、危ない趣味に決まってる。
拘束されて動かせる限り、頭を起こしてみる。サーボスーツは脱がされてて、水色の割烹着みたいなものを着せられている。よくドラマで手術を受けるときに着せられるような。
そのみぞおちの辺りと両手首が、太いラバーのような帯でベッドの手すりに縛り付けられていた。
女医のクリスティさんは、僕の身体を乗り越えるようにして、ベッドの反対側を覗き込んだ。そこには管やポンプみたいなものが集まった複雑な装置があった。
「規定量の血液交換が終わったようね。なら、これは外しましょう」
機械の側の右腕から、針が抜かれる感触があった。
「……血液交換?」
「あなたの血液を彼女の身体に流して、不活性化させるためよ」
彼女って……瀬切さん?
右側、機械の向こうは、カーテンで囲われていた。
「うなされていたみたいだけど、今は寝てる見たいね」
手にしたタブレットを見ながら、そう言った。健康状態をモニターしてるんだろう。
「もう起きても平気よ。そうそう、これも抜いておきましょう」
これって……え?
ええええ!?
この手術後みたいな着物、本当にそれだった。脇腹の辺りで紐で結ばれてるだけで、ほどいてめくられたら、下は何も着てなかった。
「あっ……ダメです、そんなとこ!」
クリスティさんの手が僕の下腹部に伸びて、大事なものを摘まみあげた。
「やっぱり、先端が見えないとやりにくいわ」
「わ、わ、わ」
「大丈夫、心配無用よ。こういうの慣れてるから」
「僕は慣れてません!」
例によって、抗議の言葉は聞き入れられない。
「わりと清潔にしてるわね。あ。でも、このあたり、拭いておくわね」
「じ……自分でヌキます! ヌケますから!」
「ダメよ、初めてはプロの手で抜かないと。じゃ、イクわよ」
「あっ! あああっ!」
ガクガクと身体中が激しく痙攣した。
「ほら、痛くなんてなかったでしょ」
引き抜いたカテーテルをフリフリしないでください。
「汚された……汚されちゃったよ……」
「大丈夫よ、むしろ清潔になったくらいだから。じゃ、ちょっと待っててね」
そう言うと、クリスティさんはベッドの脇から黄色い液体の入ったパウチを回収し、歩み去った。
最悪な気分で、最低な扱いを受けた。
せめてもの救いは、瀬切さんに見られなくてすんだことだ。
このときはまだ、そう思っていられた。
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