第5話 機上
死にたい。
「湿気た面すんなや。ほれ、こっちに顔向けな」
彼女……瀬切さんの前で裸に剥かれたばかりか、嘔吐するなんて。
「確かに、ヘドが出るよな、こんな話」
そう言いながら、ガチムチなおじさんは、サーボスーツの胸元を拭いてくれた。続けて、足下の台車にかかった分も。
僕のゲロをまともに浴びた小林先生は、「後は任せる」と言ってキャビンから出ていった。着替えるのだろう。
「さて、こんなもんだな」
ガチムチさんはそう言うと、汚れたタオルをエチケット袋……長距離バスの座席についてるような奴の中に入れ、口を閉じた。
台車の下の高そうなカーペットにシミができたのが気になるけど、どうしようもない。
ずっと黙っていたからわからなかったけど、いかつい外見にも関わらず、以外と面倒見がよくて気さくな人だった。
先生が「任せる」なんて言うくらいだから、それなりの地位なのだろう。
その時、僕らが入ってきた格納庫側のハッチが開き、僕にあの注射をした金髪の女医が入ってきた。
「司令、キャバリエの搭載が……」
そこでキャビンを見回し、ガチさんに目を止めた。
「旦那なら、バスルームで着替え中だ」
ガチさんにうなずくと、女医さんはキャビン横手のドアをノックした。
「司令、クリスティです。キャバリエの搭載が完了しました。すぐに離陸となります」
返事の声は聞こえなかったけど、女医……クリスティさんはうなずくと手近なシートに座り、手早くシートベルトを閉めた。
「お嬢ちゃんもベルトを閉めて。手伝おうか?」
ガチさんが瀬切さんのところへ移動した。
「スカートだと大変だな」
股の間も通す、五点式とか言うシートベルトなので、どうして良いかわからなかったらしい。
「あの……僕は?」
背後から、エンジンの轟音がしてきた。
離陸するのだろうに、相変わらず台車の上に立ちっぱなしだ。
まさかこのままじゃないよね?
「ああ、お前さんはそのままだ」
え?
「でもそうだな、流石にむち打ちが怖いな」
ガチさんがそばによって来て、台車から何か拾い上げた。そして、首の後ろ辺りでガチャガチャやったかと思うと、ヘルメットを被らせられた。
「ついでだ、いいもん見せてやるよ」
ヘルメットに付属のゴーグルで両目を覆われた。
「なにも見えないです」
そう訴えると、少し離れたところでガチさんの返事があった。
「ちょっと待ってくれ。俺もシートベルトしねぇと……よし、これでどうだ?」
突然、目の前が明るくなった。コンクリートの路面が、後ろに流れていく。
これは……滑走路?
顔をあげると、周囲の風景が見えた。どうやら、機首の下に付けられたカメラに繋がっているらしい。斜め後ろを振り替えると、キャバリエを積み込んだ格納庫が見えた。
ここは、横田基地か。
その格納庫の向こうに、見覚えのある建物が見えた。僕らが入学した高校の時計台だ。
横田基地か三年前に東側の土地を返還して、そこに作られた学校。設備が新しいと評判だから受験したのに、こんなことになるなんて。
巨大な輸送機ガルーダは、基地の南側まで来るとターンした。目の前に延びる滑走路。
……そう言えば、飛行機乗るの、はじめてだ。
まさか、首しか動かせない立ち乗りになるなんて。
背後のエンジン音がひときわ高くなった。そして、巨人輸送機は前進を始めた。速度がどんどん上がり、スーツの中で体が押さえつけられる。
そして、グン、と体が持ち上がり、路面がすっと遠ざかる。
そのまま、機体は空高く駈け上がる。雲を突き抜け、夕陽に照らされた雲海の上へ。
確かに、いいものを見せてもらった。だけど、雲の海原は変化が無さすぎて、だんだん飽きてきた。
すると、ポーンという時報みたいな音が響いた。
「This airplane has entered cruise flight. Please have a relaxing time.」
英語のアナウンスだ。
すると、雲海の景色が消えて、また真っ暗に。
「上半身を動かせるようにしてやる」
ガチさんの声と共に、腰から上が自由になった。ゴーグルをはずすと、さっきのキャビンだ。
小林先生は見当たらない。まさか、バスルームにこもったまま離陸したのか?
その時、機首側のハッチが開いて、制服を着た女性がトレイを持ってはいってきた。トレイの飲み物をキャビンの全員に配り、またハッチの向こうに戻った。
吸い口のある蓋がされた紙コップった。コーヒーの香り。米軍なら、アメリカンかな。
猫舌なので、冷めるのを待っていると、ガチさんがやって来た。
「そう言や、まだ名乗ってなかったな。俺は平野平。お前さんの格闘術指南役だ」
「……格闘術?」
いきなり妙な単語が出た。
「お前さんは、あのロボットに乗って怪物と取っ組み合いするんだ。格闘術は必要だろ?」
「そうみたいですけど……」
「まぁ、安心しろ。流石に徒手空拳じゃねぇから」
ガチさん……いや、平野平さんは、そう言って作業着の懐から拳銃を取り出した。
「ほらよ」
「え? こ、これ、本物?」
「な訳あるかい。モデルガンだ」
言うなり、傍らのシートのクッションに向けて引き金を引いた。
パスッと音がして、クッションが少しへこみ、鮮やかなオレンジの小さい弾が転がった。
「見ての通りだが、人には向けるなよ。目に当たれば失明だ」
手にしてたカップと引き換えに、銃を渡された。ずっしりとした重みを感じる。一キロくらいあるか?
平野平さんの真似をして、クッションに向けて引き金を引く。
スライドが動くときのショックが、やけにリアルに感じた。
そして、足下に落ちる金色の薬莢。台車にあたってカツンと鳴った。
やけにリアルだ。
「サバゲーに使うようなのは、薬莢までは出ねえけどな。お前さんには実銃の扱いに慣れてもらわんと」
「薬莢にも?」
「もちろん」
銃を左手に持ち替えさせられた。
「これで、肘を曲げて右上の方を狙ってみろ」
パスッ。
発射された弾が天井に当たるより早く、薬莢が顔めがけて飛んできた。
「わっ!?」
それを、ひょいと手を伸ばして摘まんだ平野平さん。どんな目をしてるんだ?
「ロボットでも、目というかカメラは弱点だからな。取っ組み合いしてれば、なおさらだ」
「あの……銃持って格闘なんてするんですか?」
疑問を口にすると、平野平さんはクルーカットの頭をガリガリ掻いた。
「『ガン=カタ』って、知らんか?」
「『リベリオン』とか『ウルトラバイオレット』とか、観たことない?」
「それ、映画か何か?」
「ああ」
「聞いたこともないんですけど、いつ頃のですか?」
「日本公開はたしか、二〇〇二年か三年か?」
「僕が生まれる十年くらい前ですよ」
「ああ、平成は遠くなりにけり」
遠くを見る平野平さん。
何か突っ込んでくれないかと瀬切さんの方を見ると、クリスティとか言った女医さんと何か話し込んでいた。うつむいて、顔色も良くなさそうなので気になる。
と、バスルームのドアが開いて、小林先生が出てきた。作業着に着替えていた。
「早速、武術指導か」
「司令。最近の若いのは、映画も見ねえんすよ」
「まあ、そう言うな。ついこの前までは受験生だったしな」
受験でなくても、そんな古いのは見ないだろうけど。
「で、その映画が何か?」
「『ガン=カタ』ってのは、その映画で描かれた架空の格闘術だったんだ」
「だった?」
「あまりに格好良かったから、俺が実現したのよ」
「え?」
「つまり、世界でただ一人の『ガン=カタ』マスターってわけ」
それって凄いの?
「じゃあ、ちょっとやって見せようか」
平野平さんは、ニヤリと笑った。
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