後ろ向きに前向く

薄荷あめ

第1話余白

 余白に生きたい。


 私は大学の退学届の必要な欄を記入しながら、ふと思った。

 

 いや、記入していたというのは正確ではない。

 この期に及んで、退学すべきかを悩み、机に向かって10分ほど経ったにも関わらず、いまだに一字も記入できないでいた。

 だから、退学届を眺めながら、というのが正しい。

 

 ただ、退学したいというその意志は確固たるものだ。

 

 

 私は印字されるように生きたくはないのだ。

 

 

 余白をふわりゆるりと漂いながら生きたいのだ。

 


 それならば、私はこの退学届を漏れなく記入し、大学を辞めるべきなのだ。

 

 しかし、頭の先までこの資本主義主体の現代的な生活にどっぷりと浸かった、平凡な私にとって、そのような生き方を貫くというのは容易いことではない。

 

 私のように優れた才のない者、あるいはそれを内に見出すことができなかった者は、会社に勤め、仕事に励み、ときには他人と付き合い、金を貯め、定年後は年金と貯蓄を貪りながら悠々と暮らし、老いて死んでゆくという紋切り型な人生を歩むべきだし、そうせざるを得ない。

 

 社会に属するということは、ある程度のしがらみを許容し、何かを諦めながら生きてゆくということだ。

 大した制約も無く好きなものごとだけに従事する生活というのは、ごくごく限られた人間にのみ開かれているものである。

 

 私は、芥川でもないし、山頭火でもない。

 

 それでも私は、その様々な何かを諦めきれずにいる。

 

 現実を直視できずにいる。

 


 一体、何度目のことだろう。

 いつからか私はこの思考を辿ってばかりいる。

 

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後ろ向きに前向く 薄荷あめ @mintpepper

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