【人生とは常に波乱の中にいる】 第三部
夏休みが始まってはや、二週間ほどがたった今日。以前に晴人達と約束していた海へと向かうため、俺とユメは家の玄関を出る。
「叶汰。忘れ物はないですか?」
「あぁ、バッチリだよ」
「じゃあ、鍵をかけますね」
ユメは玄関の鍵をかけて、先に出ていた俺の元まで駆け寄ってくる。
「よし、行くか」
「はい」
俺たちは少し遅めの夏休みの休暇へと入る。
夏休みに入ってすぐに俺は勉強詰めの毎日を送っていた。最初の週は学校で出されている宿題に手をつけていた。と言っても、学校の宿題自体はそこまで多くはなかった。その分、受験勉強に時間を注ぐ時間が多かった。朝、早く起きて数時間の勉強。その後、昼食を取った後、しばしの休憩をとり再び勉強。そんな日々を過ごして来た。受験生としては当たり前ではあるが、それは辛い日々だった。でも、そんな苦しい時にも側にはユメがいてくれたので、その日々は決して嫌なものではなかった。分からないことがあれば、ユメに聞けば教えてくれるので、勉強もしっかりとしたものができた。そして、なによりも今日のこの約束があったからこそ、そんな勉強も乗り切ることができた。
「外崎さんと園上さんとは現地集合でしたね」
「そうだよ」
晴人たちとは事前の連絡で現地に集合することとなっていた。
晴人たちと海に行くことを話していた日の夜には俺からユメにそのことを説明して、今から一週間ほど前に今日、海に行くことが決まった。そして、今は海に行くために電車に俺とユメは乗るところだった。
「こうやって、どこか遠出するのって久しぶりじゃなかったけ?」
「そうですね。今から約五ヶ月前に出かけて以来です」
「そんなにか。なんだかあっという間だね」
「えぇ。ほんとうに」
今から四ヶ月前、確か俺はユメとこの電車に乗って、買い物をしに遠出したと思う。春休みに入ったばかりで本などを買いに少し遠出したと思う。
「それって、たしか俺が本を買いに行った時だよね」
「いいえ、服を買いに行った時です」
「あれ、本は買ってないっけ?」
「はい。本を買いに行ったのは服を買いに行った時の前のことです。一番新しい遠出の記憶では春物の服を買ってくるようにお母様に言われ、私と一緒に服を買いに遠出しました」
「あぁ、言われてみればそんな気がする……」
ユメに言われ、じわじわと記憶が思い出されていく。
「たしか、ほとんどユメが選んでくれたよね」
「そうですね。叶汰まったくファッションのセンスなかったですから」
「かなりはっきりいうんだね……」
「隠しても仕方がないでしょう?」
「ごもっともです」
つり輪を握りながら俺は電車の揺れに体を任せる。小さい頃から電車の揺れが結構好きだった。車の揺れも好きだけど、電車が揺れているから心地がいい。俺の周りではこの揺れで酔うから苦手という人が圧倒的に多いが俺は酔ったことがないし、むしろ心地がいい分疲れている時などはうっかりと寝てしまう。
今も、その揺れを感じるために別に混んでもいない電車の中俺はつり輪を持って立ち、ユメは席に座っている。
「叶汰、その電車の揺れに体をまかせるの好きですね」
「まぁね。なんか心地いいからこれ」
ユメの前で少し揺れてみる。
「私は叶汰のこと知っているからいいですけど、知らない人からしたらおかしい人に思われますよ」
「確かに……」
電車のつり輪に捕まり、右に左に揺れている高校三年生。どう見てもおかしい人だ。これが女の子ならば、まだ可愛いと思われるかもしれないが生憎俺は男。その考えは皆無だ。
「もしかすると、こうやって叶汰の電車で揺れているところを見るのも最後になるかもしれませんね」
「そんなことないだろ?」
「えっ?」
「だって、帰る時も電車に乗るんだから、少なくともあと一回は見ることになる」
俺の言葉に呆れたように笑うユメ。
「叶汰の言う通りですね」
そんなたわいない話をしている間にも電車は俺たちの目的地へと着々と近づきつつあった。そして、残り三駅ほどを残すばかりになって、電車の中の人の数も増えてきた。
「人増えてきたね……」
「そうですね。今日は天気もいいですし、もしかすると私たち以外にも海に行かれる人がいるのかもしれませんね」
「そうだね……」
混み合う浜辺を少し想像するだけで、この夏の暑さがより一層増して感じられてしまい、すぐにその想像を頭の中から消す。
何度目かの駅に着き、駅のホームから数人の人が電車に乗ってくる。
その時、ユメが席を立とうとしているのに気づき、俺はユメの視線の先を見る。そこには一人の老婆がいた。
「もし良かったら、ここどうぞ」
「これはどうもありがとう」
「いえいえ」
電車に乗ってきた人の中におばあさんがいるのをユメはすぐに目視で確認して、自分の席をそのおばあさんに譲った。おばあさんはユメに譲られた席にゆっくりと腰を下ろす。ユメは俺の隣に立って、右手でつり革を持つ。
「お二人は、これから海に行くのかい?」
席を譲ったおばあさんが俺に対して、質問を飛ばしてくる。
「はい。今から海に行きますよ」
「そうかい。この時期は少しばかり人数が多いから気をつけてね」
「はい。ものは取られないようにしっかりと見張っておきます」
「あぁ、そうじゃなくてだね」
「はい?」
おばあさんは一度俺から視線を逸らし、俺の隣に立っているユメを見てから再び俺の方を向く。
「彼女さんが他の人に取られないように気をつけてねって言ったのだよ」
「お、おばあさん!?」
俺の反応におばあさんは笑いだす。
「おばあさま、私は彼のアンドロイドですので、彼女ではありませんよ」
「あら、そうだったの。てっきりそういうご関係とばかり、ごめんなさいね」
「いえ、いいですよ……」
目の前のおばあさんは謝っているが、俺は別に嫌な気分じゃなかった。むしろそう見えたことに嬉しささえ湧き上がってくる。
「少しおばあさんの話に付き合ってもらえるかしら?」
時間を確認すると、目的地の駅まで十分ほどあったので、俺はおばあさんに「いいですよ」と答える。それに対し、感謝の言葉を告げておばあさんは語り始める。
「私の時代にはあなたのような方はいなかったの。だから、この歳になってもあなたのことをロボットとかあんどろいど? とは到底思えないの」
「そうなんですか?」
「えぇ、ほらこうやって見てもそう分かるものではないでしょう?」
「確かにそうですね」
おばあさんの言う通り、アンドロイド、ロボットと言っても見た目は普通の人間と遜色ない。大抵、アンドロイド特有の立ち居振る舞いでその人物がアンドロイドかそうでないかを判断する。先ほどのユメの告白がそれの一つにあたる。
「もう数十年この電車を使っているとね、色んな人たちを見るの」
「色んな人たち?」
「そう。仲が良さそうな家族。険しい表情をしている受験生。無表情で携帯の画面とにらめっこしている人たち。そして、あなたたちのような男女」
おばあさんの言葉にはどこか温かみのようなものがあり、ゆったりとした口調は今のこの人で溢れている電車の中にいるという状況を忘れさすほどであった。
「そんな人模様を数十年見てきたけど、あなたたちはその中でも特にいいカップルだと思ったわ。こんな風に席を譲ってくださるし、私なんかの話も聞いてくださるのだから」
「そんなことないですよ」
「いいえ。そんなことありますよ」
「え?」
「時代が進むごとに、人の温かみというものを感じなくなって行く感じがするのよ。でも、あなたから、そしてあなたからも人の温かさを感じるのよ」
おばあさんは俺を見た後にユメを見る。
「私が入ってきた瞬間、あなたはすぐに席を譲ってくれたでしょ?」
「はい、でも当たり前のことです」
「たしかに一般常識としては年寄りには席をゆずるものとされているわね。でもね、そういう考えや風潮があろうが、実際にそれが行動に移せる人というのは少ないの。だからありがとう」
「いえ……」
おばあさんの話に集中していて気づかなかったが、ふと窓の外の風景を見るとそこには海が広がっていた。
「もうそろそろ時間かしらね」
おばあさんは時計も何も見ずに、俺達がもう少しで電車を降りることを予期する。
「今日はいい出会いをしたわ。ありがとうね」
「こちらこそ、ありがとうございます」
お互いに感謝を伝えていると、目的地の駅に着いたことをアナウンスが知らせる。
「二人ともお幸せにね」
ユメは席を立ち、俺と一緒におばあさんに一礼してから電車を後にした。
「なんかすごい人と出会ったね」
「そうですね。とても優しく、人生経験の豊かなおばあさまだったと私も思います」
俺たちは先ほどのことを話しながら駅のホームから外へと向かう。
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