【時間とは過ぎゆくもの】 第三部
俺たちが今から向かう道端先生の研究所はバスで十五分程度と近い場所にある。
アンドロイドの対象者の大半がアンドロイドの点検として行くのが市役所であることが一般的である理由の一つは、家の周辺にアンドロイドの研究所が存在しないことがあげられる。研究所の数はおよそ、県に二つあるかないかくらいなのだ。だから、ほとんどの人が市役所で点検の手続きをする。しかし、研究所にそのままアンドロイドの点検を申し込むことも十分可能である。それに、そうすることで、市役所の手間を省け、なおかつ、研究所にそのまま行くと、当日に点検をすることができ、その日のうちに帰ることができる。市役所で点検を申し込むと、そこから、研究所の予定などと合わせて、点検などが行われる日を決めるため、最低でも三日ほどはアンドロイドは帰ってこない。
俺は運良く家から近いところに研究所があったため、そこを長年利用している。そのため、道端先生というとても信頼できる先生とも出会えることができ、今もお世話になっている。
道端先生は俺の細かなことにもしっかりと答えてくれ、なおかつ、俺と同じようにアンドロイドのことをしっかりと“人”として、考えている数少ない人なのである。道端先生には何事も気兼ねなく相談でき、話していて面白い人なのだ。だから、ユメのことも色々と相談している。
「叶汰、着きましたよ」
「あぁ」
バスが研究所の前にあるバス停に着いたので、俺たちは料金を払いバスを降りる。
「そういえば、叶汰」
「どうかした、ユメ?」
研究所の入り口に向かい歩いている時、ユメから声がかかる。
「私の点検って、これが最後になるんですね」
ユメの言葉で俺は、今日のこの毎年の恒例行事がそうではなくなるものだと悟る。当たり前のようにやっていたことが来年からはなくなるのだ。そう思うと急に悲しく、淋しい気持ちが押し寄せてくる。
「そう、だね……」
俺はユメの方を向けず、自分の歩く先の地面を見ながら研究所への歩みを進める。
俺がここに初めてきたのは、小学校に上がる前だっただろうか。その時は、今と違い俺とユメだけでなく、両親が二人ともいたがあの時の俺はどこか恐怖を感じていた。得体の知れないところに来て、すごくおおきな建物にユメを連れて行くと両親に言われた時は、ユメが何かされてしまうんじゃないかと、とても怖かった。
そして、今歩いているこの道を怯えながら歩いていると、ユメが俺の手を握ってくれた。その手は暖かくて、ユメの顔を見ると、「私はどこにも行きませんよ」と言ってくれたことを俺は今でもはっきりと覚えている。その言葉で俺は安心し、ユメの帰りをずっと研究所の椅子に座って待った。そして、ユメに手を握られた時、初めてユメの優しさ、温かさを知ったように思う。
「ねぇ、ユメ」
「なんですか?」
「初めて、俺とここに来たこと覚えてる?」
「はい、〜〜〜〜年、〜月〜〜日、叶汰とお父様とお母様と共にここに来ました」
ユメは俺よりも細かく、ここに初めて来た時のことを覚えてくれている。そのことに俺は今度は心が少し暖かくなる。
「あの時、ユメは俺の手を握ってくれたよね」
「はい。叶汰、とても緊張してたみたいだったので」
俺がユメのことを見ているように、ユメも俺のことをしっかりと見てくれている。アンドロイドと対象者の関係において当たり前のことがとても嬉しく思う。
「もしよかったら、手を繋いでもいいかな」
ユメは俺の顔を覗き込む。
「緊張してるんですか?」
「まぁ、そんな感じかな……」
「いいですよ」
ユメは俺の前に左手を差し出してくれる。
「ありがとう」
差し出してくれたユメの手を俺は右手でゆっくりと握る。
研究所の入り口まではもう数メートルしかない。でも、その数メートルでたしかに、ユメの暖かさ、そして、優しさを感じた。
そして、研究所に入ったことで、俺は自らユメから手を離した。その時、ユメに「もういいのですか?」と聞かれたので、「十分だよ」と答えて、研究所の受付のところへと向かった。
「こんにちは。今日はどのようなご用でしょうか?」
受付のお姉さんが俺たちに話しかけてくる。
「森本叶汰と言います。今日、アンドロイドの点検で道端先生にお世話になる者なのですが」
受付のお姉さんは手元のパソコンで少し操作をすると、案内してくれる。
「森本さまですね。では、エレベーターで上がっていただいて、七階の待合室でお持ちください」
「分かりました」
俺とユメは受付のお姉さんに軽くお辞儀をして、エレベーターのところに行き、まもなく来たエレベーターに乗り込み、七階のボタンを押して、七階へと向かう。
七階に着いて、エレベーターのドアが開くとそこには見慣れた待合室がある。
座り心地の良い、ソファがいくつもあり、部屋の端の方には雑誌や、テレビなどが置かれている。そして、待合室に着いてすぐに道端先生の助手の人に呼ばれて、そちらへと向かう。
「叶汰君、それに、ユメちゃん久しぶり」
「お久しぶりです。理絵さん」
ユメも、俺の言葉に合わせ軽くお辞儀する。
「一年ぶりだね。叶汰くんは少し身長が伸びたかな?」
「よく分かりましたね。去年より三センチほど伸びてます」
「やっぱり〜。ユメちゃんは去年よりも可愛くなってる!」
「理絵さん、私はアンドロイドなので身体の変化はありませんよ」
「そんなことないよ。絶対去年より可愛くなってるよ」
理絵さんがユメにこの発言をするのは、もはや毎年の恒例だった。ユメの言うようにたしかに変化は少しとしてないのだが、俺も理絵さん同様去年のユメよりも可愛いと思えるから、理絵さんに反論することができない。
「叶汰くんもそう思うよね?」
「えっ!?」
理絵さんがユメに向けていた視線を俺に向けてくる。
「おい、理絵。その辺にしときなさい」
「はい、すみません……」
「叶汰君。久しぶり」
「お久しぶりです、道端先生」
理絵さんを一言で黙らせた声の主は道端先生だった。
「いつも悪いね」
「いえ、ユメのことをしっかりと見てくれて自分としては嬉しいです」
道端先生だけでなく、その助手である理絵さんとも長年お世話になっている。理絵さんもユメのことをしっかりと見てくれて、今みたいなスキンシップまでしてくれる。
「それで、今日はユメちゃんの点検だったね」
「はい、そうです」
「じゃあ、いつものくれるかな?」
「今出しますね」
俺はカバンの中から昨日のうちにまとめておいた資料を取り出し、先生に手渡す。
「どうぞ」
「はい、ありがとう」
道端先生は俺の渡した資料に軽く目を通していく。そのスピードは素人の俺からすると本当に理解できているスピードには思えない。
「だいたいはいつも通りだね。それじゃあ、これをもとに点検をするね」
「お願いします」
「じゃあ、理絵。ユメちゃんを部屋に移動させてあげて」
「分かりました。ユメちゃんついて来て」
「はい」
先生の助手である理絵さんとユメは部屋から出て行き、部屋には俺と道端先生だけが残る。
「叶汰君。ひとつ質問いいかな?」
「なんですか?」
道端先生は資料に落としていた視線を俺の方へと向ける。
「この日付の書かれた記憶っていうのはなにかな?」
「それは……」
先生が指し示したところは俺がユメに告白した日の記憶だった。
「いやぁね。今までの感じから日付で記憶のことを指定するなんて珍しいなぁって思って」
「日付の指定では記憶の保存は難しいですか?」
「いや。そういうわけじゃないよ。ただの私の興味だ」
道端先生は何気ない感じで話しかけてくれる。俺も道端先生のことを信頼しているから、別に嫌ではない。むしろ、何かを感じ取り、俺に話しやすい空気を作ってくれているとさえ思う。俺はその先生の優しさに感謝しながら、思っていたことを打ち明ける。
「道端先生。実は相談したいことがあるんです」
「何かな。私に答えられることならなんでも答えるよ」
道端先生はこうは話すものの、アンドロイドの研究者としてかなりの人物である。実際、アンドロイド研究者のすごい人を出していくならばトップ五には入るほどの有名人であり、知識人なのだ。道端先生に答えられないようなアンドロイドのことは、他の誰に聞いてもおそらく明確な答えは出ないだろう。
「アンドロイドとの恋というのは可能なのでしょうか?」
俺の質問に道端先生はすぐには答えない。頭のいい人であり、回転の早い人だ。俺の質問からその質問のもっとも正しい答え、さらには俺の質問の意図を紐解いてゆく。時間にして三十秒ほどの時間が過ぎた時、先生の口が開かれる。
「つまり、この日付の記憶というのは叶汰君がユメちゃんに告白した日というわけかな」
「そうゆうことです」
「なるほど」
「先生。それで、アンドロイドとの恋は可能なのでしょうか」
自分の中だけで納得していく先生に対し、俺は言葉をかける。
「そもそも、叶汰君にとって恋というのは一体どういうものなのかな?」
「恋ですか?」
「そうだ」
先生は椅子の背もたれまで深く座っていた姿勢を今一度正し、俺の方に少し前傾姿勢になる形で椅子に座り直す。
「恋と言っても人によって違う。好きな人と結ばれる前の期間のことを恋とよんだり、好きな人を思っている時間のことを恋ともいう。そして、好きな人と一緒にいる時間もまた恋とよぶ。叶汰君にとって恋とはどんな時。もしくは、どんなことを指すのかな?」
急に哲学的な話となり、俺の脳は理解がうまく追いつかない。
「はっきりとは分かりません……。でも、ユメと一緒にいたいと考えます」
「でも、それだと今のままでもいいよね?」
「それは、ちょっと違う気がします……」
「じゃあ、それ以上がほしいわけだ」
「そ、それ以上って……」
「一緒に手を繋いで歩いたり、デートしたり、キスしたり、えっちなことしたり」
「ちょっと先生!?」
「嘘ではないだろう? でなければ、叶汰君のいう一緒にいるという恋はもう叶っているはずだよ?」
「そうですけど……」
俺は先生の言葉に思わず、固まってしまう。そして、思い出すのはあの日の出来事……
「たしかに先生の言うようなことを俺は求めているのかもしれません。でも、俺は一度、ユメに告白してフラれたんです。だから、俺はアンドロイドとは恋はできないのかと先生に質問したんです」
「叶汰君はなぜそう思うのかな?」
「だって、ユメにフラれた理由を考えたら、俺とユメは違うじゃないですか……」
「人間とアンドロイドということかい?」
「はい……」
アンドロイドのことをロボットとか物として考えるのは嫌いだ。しかし、アンドロイドのことを人間だと完全に考えることができるかと言われれば無理がある。そこには、明らかな違いがある。
それはまるで、自分の飼っているペットを家族のように考えるのと似ている。気持ちは本当の家族に対して思うくらいの強い愛情みたいなものがあっても、そこには血のつながりや、人間と動物という違いがある。家族という言葉の定義がどうあれ、そこに違いが生じるように俺とユメ。人間とアンドロイドという違いが生じる。それを無くすことなど、どうあがいても不可能なのだ。
「私はアンドロイドの専門家だ。だから、私の知り得ていることから話そう」
「はい」
先生が今から話す内容に俺はしっかりと耳を傾ける。
「まず、さきほど言ったように叶汰君がユメちゃんとどんな恋をしたいかによって答えは変わってくる。一つ言えるのは、肉体的な恋は絶対に無理だということ。そもそも、アンドロイドには人間のような子供を生むような能力はない。それは分かるね?」
「はい」
これは、学校でも習う知識。それは俺でも知っていることだ。そして、俺が本当に欲しい答えはこのあとの言葉。
「では逆に、精神的な意味での恋だが、これは可能だ」
「本当ですか?」
「あぁ、もちろんだ。そもそも、形はどうあれアンドロイドというのは対象者に尽くすことが基本的な行動の一つだ。ならば、恋もできるはずだ」
先生の言葉に俺は安堵する。しかし、その安堵と同時に押し寄せてくる不安がある。
「でも、先生。俺はユメにフラれてるんです。それはどうしてですか?」
「そうなんだ。問題はそこなんだ」
道端先生は俺に険しい顔を向けてくる。その顔に俺は少しばかり怖気付く。
「精神的な意味での恋は可能だと言ったが、アンドロイドに好きという感情はない。だから、“一方的”な恋なら出来るということだ」
「なんですかそれ……」
「叶汰君も知っているのだろう。アンドロイドには感情はない。好きも嫌いも得意も苦手も楽しいもつまらないもそんなものはないのだ。そこにあるのは対象者のよりより未来だ」
知っているはずの知識だが、先生の口から改めて聞かされることで、先生のその言葉に対して、俺はおもわず言葉を失ってしまう。
「ユメちゃんが叶汰君の告白に対してノーと答えたのはおそらく、それにあたるだろう。ユメちゃんも、恋というものがどういうものかをそれなりに認識しているはずだ。となれば、ここで自分がイエスと言えば、叶汰君の未来が壊れると思ったのだろう」
何も言えない俺に先生は事実という名の凶器を突きつけてくる。
「自分と一緒に入れる時間は残り一年もない。自分とでは子供を作ることはできない。自分はアンドロイドで叶汰君は人間」
「じゃあ、ユメにとって俺の告白はなんだったんでしょうか……」
俺は最後の力を振り絞り、先生に問いかける。
「幼い子のおねだりぐらいにすぎないだろうね……」
子供は時に、親にとんでもないおねだりをする。漫画の中の剣が欲しいとか、空を飛んでみたいとか。それに対し、親は無理だという。そして、子供はそれに対して不平不満を言う。でも、どうしようもない。無理なものは無理なのだ。そこにあるのは不可能という現実のみ。多少親の気持ちで心地のいい弁解の言葉があったりするが、俺の場合はアンドロイド。そこに感情はない。だからこその俺に対するユメのなりの返事だったのだ。
「先生……。ありがとうございます。ユメの点検をお願いします」
「もういいのかな?」
「はい」
「それじゃあ、私は行くよ」
先生は俺を置いて、部屋を出ようとする。
「なぁ、叶汰君」
部屋のドアの前まで行って、道端先生は俺に声をかけてくる。
「なんですか?」
「世の中の家庭で飼われているペットには好きという感情はあると思うかい?」
「あると思いますよ。だって、毎日のように餌をあげてたら、自分から寄ってくるじゃないですか」
「私はそうは思わないんだよ」
「えっ?」
俺は思わず、床に向けていた視線を先生の方へと向ける。先生は俺の方を向かず、ドアの方を向いて話していた。
「ペットと言ってもあくまで動物。私にはその行動は好きと言うよりかは餌をもらうための習性にしか思えないんだ」
「それじゃあ、あまりにも……」
「夢がないし、非情だよね。でも、そうとも言えるだろう?」
「まぁ……」
「でも、もしも動物の行動が習性だとしてもそれがなんだと言うのかな?」
「先生……?」
「私が思うに、大切なのは行動の答えより、その行動そのものだと思う」
「えっと、どういうことですか……?」
「つまり、考えるな動けということだよ。叶汰君」
先生はドアから離れ、俺の元へと近づいてくる。
「恋だの、フラれたとかこの際どうでもいい。一つだけ答えてくれ。叶汰君」
「は、はい」
俺の眼前まで距離を詰めてきた先生に少し引きながら俺は答える。
「ユメちゃんのこと、今でも好きかい?」
「もちろんです」
「ならばよろしい」
そう言うと、道端先生は今度こそ、ドアのところまで行って、ドアを開き部屋の外へと出る。
「思い続ける先に奇跡は起こる。私の信条だ」
先生が出て行った部屋は一気に静まり返る。そして、俺も気持ちを落ち着かせて改めて考える。
先生の言うように俺は考え過ぎていたのかもしれない。恋とか、アンドロイドと人間とか。そんなことよりも大切なものがあることを道端先生は気づかせてくれた。
「思い続ける先に奇跡は起こるか……」
ユメと一緒に居られる時間は残り一年もない。残りの時間、俺はユメを好きでいる気持ちを信じてみようと思う。そこに、恋もなければ、人間とアンドロイドという考えもない。そこにあるのは、
“ユメのことが好き”
たったそれにかぎる。
「なんだか、お腹減ってきたな」
今まで重くのしかかっていたものがなくなったような開放感に包まれた。俺は部屋をあとにして、ユメの点検が終わるまで待合室で待つことにした。
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