第4話 過去の自分へ

 


 剣はおじいの脇腹を刺し、刃先はみるみる血で染まっていく。



「ぐっ…」

 おじいはよろめき、そのまま雪の上に仰向けで倒れた。雪も血で赤黒く染まっていく。

 騎士は顔色一つ変えずにそれを見下ろしていた。まるで、そう、虫けらを殺すみたいに……


「そんな…。嫌よ…」


 これは夢…?本当に現実なのか混乱した。頭がぐらぐらして、現実味が感じられない。


「おじい……?」


 呼んでも返事がない。彼は目を閉ざしている。私は四つん這いで這って進み、おじいの側に寄る。

 ぐったりして動かないおじいを見て、現実なんだと思った。



 私は彼の血が溢れ出る脇腹を押さえた。しかし血は止まらない。


「どうして?どうして私はこんな目に……」

 その血のように、同時に自分の中に、怒りの炎がふつふつと燃え上がってきたのを感じた。

 すると彼はうっすらと目を開けた。私の怒りを感じ取ったかのように。



「ホープ……逃げ…ろ…」

 息も絶え絶えで、しゃべるのがやっとのようだった。その口からは血があふれでていた……

 私は怒りと憎しみと悲しみで、頬を涙が伝っていく。



 許せない…。怒りで目の前が真っ暗になる。頭がぐらぐらして、どうにかなりそうだ。


「あなたを許さないっ…!」

 おじいの脇腹から手を離して、スッと立ちあがる。私の手は血でベッタリと赤く染まっていた。


「殺してやるっっ!」

 生まれて初めて、本気で人を殺そうと思った。私もこの男のようにきっと人殺しの目をしているのだろう……。人を殺そうとするなんて…、私はなんと醜い人間だ…



「はぁっっっっ…!」

 自分より二回りも大きな相手に殴りかかる。


 しかし騎士はそれを軽くかわし、私はあっけなく返り討ちにあう。


「ゴッッ!!」

 鉄でできた小手でおもいっきり頬を殴られた。

 ズシャッと雪の上に吹き飛ばされる。口には血の味がいっぱいに広がった。


「痛っっ!」


 憎い。殺してやりたい。

 許さない、憎い、と頭の中で呪文のように何度も何度も繰り返す。


 再び立ち上がって殴りかかる。

 しかし今度は殴った左手をいとも容易く掴まれる。


「っっ!!!!」

 必死に離そうともがくが、相手の力が強く離せない。


「離してっ!離せっっ!!!!」


「力もないくせに、立ち向かうからだ」

 騎士は私の腕をきつく掴みながら、冷淡に言う。

 掴まれた私の小さな手にはべったりと、おじいの血がついていた。


 あぁ、なんて無力なのだろう……?私が大人で、もっと強ければ……。

 自分の無力さを呪った。弱さを呪った。そして目の端から一滴の涙がこぼれ落ち、地面を濡らす。



 今までこんなに頑張ってきたのに。私、ここで死ぬの………?




 ここで死ぬ?




 あぁ。もうそれでいいのかも知れない。全て終わってしまえばいいのかもしれない。

 こんな理不尽な世界も、私も終わればいい。

 そうすれば私はこんなに辛い思いをしなくてもいいんだから…。



「離せぇぇぇっっっ!!!」



 全て消えろっ!と思った。

 その瞬間、目がカアッと熱くなって、空気が震えたのを感じた。

 そして自分の手から、言葉で表すなら、空気でできた衝撃の波のようなものが放たれた。


「えっ………?」

 自分が一番驚いた。


 それは目に見えなかった。しかし確かに放たれた波は、まるで自分の体の一部のように、どこに放たれたのか、どのくらいの大きさなのかが、感覚的に分かった。


 そしてそれは騎士の首に強く当たり、見えない波は消えた。


「ガッ!?」

 騎士は小さく声をあげ、5、6メートルも後ろにふきとぶ。


 騎士はそのまま後ろにあった、葉が生い茂った木にゴキッという、嫌な鈍い音をさせてぶつかった。


 全身の力が抜けた。ヘタリとその場に座り込む。自分が何をしたのかしばらくの間、理解できなかった。



「……魔法?」


 私が放ったのは紛れもない魔法だった…。




「はぁはぁ…。」

 体がすごく重い。


(どうして私に?)


 自分が魔法が使えるなんて知らなかった。それに呪文も知らないのに。

 もしかして命の危険を感じたから本能的に?でもこんなに疲れるなんて…。



 騎士の方を見たが、木の側に倒れたまま動かない。



 数十秒ぼうっとしたあと、重い体を引きすりながら騎士に近寄る。

 そして騎士に1、2メートル近づいたとき、ハッと気付いた。



 全身が震えてとまらない。

「……わ、わたし…」






「…人を………ころ………し…た…………?」





 騎士は目をカッと開き、そして首は異様な方向にねじれている。開けられたその目にはもう光が灯っていなかった……


 若い騎士は息絶えていたのだ…。


「死んでる…」






 私が殺したんだ。







 怖かった。震えが止まらない。とんでもない罪を犯してしまった。

 男に対する怒りや憎しみはどこかに消え、ただあるのは後悔と罪悪感と恐怖だけだった。

 ぼろぼろと涙が頬を濡らしていく。



「ホープ………来てくれ……」


 死んだ騎士を上から見下ろしていると、後ろから名前を呼ばれる。


「おじい…っ」


 私は泣きながら、よろよろと歩く。それから血だらけで横たわっているおじいの側に座り込んだ。


 もうどうすればいいのか分からなかった。おじいのことも、騎士を殺してしまったことも。


「…おじい……!」

 私は泣きながら名前を呼び、両手で血が出ている脇腹を強く押さえる。

 でも止まらない。どうにかしないと…。



「待ってて、すぐ助けを呼んでくるから」

 そう言って立ち上がる。


「いや…、いいん……だ…、ふっ……それにどこに…助けがあるって言うんだ……?ホープ、側に……、いてくれ………」

 途切れ途切れに言葉をつなぐ。


「でも…、でもっ!」

 言葉を飲み込んだ。そして再び座った。


「嫌だよ…。おじいこそ、ずっと私の側にいて…」


 涙で視界が霞み、おじいの顔がよく見えない。袖で涙を拭うが、どんどん涙は溢れてくる。


「……ホー…プ…、わし……は…おまえ…を………孫のように……思っていた……。家族のように…」


「わかってるよ。私もだよ…。………大好きだよ」


「……ホープ……」


 そう小さく私を呼ぶと、おじいは右手で私の頭を2回優しく撫でた。

 そのままおじいは胸の上に、私の頭を抱き寄せた。


 私はおじいの胸に静かに顔をうずめる。血が胸にも流れていたけれど、そんなの気にならなかった。おじいの胸は温かくて、とても安心できる。


「おじい」


 私が彼の胸の中で名前を呼ぶと、彼は大きく息を吸って言った。


「おまえと…一緒……にいれて……、幸せだった………。」


「うん…。知ってるよ。私もそうだもん」

 私は目をつむり、彼の小さな言葉に耳を傾ける。


「ふふっ………そうか。ありがとう……ホープ…」

 彼は優しく笑う。



 そして少し間があったあと、ゆっくりと、でもしっかりと言葉を続けた。

「ホープ……、幸せに……なりなさい…。生きて……幸せになりなさい……」


 そう言い終わると、おじいは静かに息を吐いた。そして私の頭を手で、優しく優しく撫でる。




 その手に力が無くなった。




「…………だよ………、嫌だよ……っ!」


 私はおじいの胸にすがり付く。


「私を一人にしないでっっ!!置いてかないでぇぇぇぇっっ!!!!」


 何度も何度も何度も名前を呼んだ。でももう返事は返ってこない。

 私の大好きだった人はもう二度と、私を抱きしめることはない。私の名を呼ぶこともない。


 彼の魂は天へと還ってしまった。私を残して…………


「……一人に……しないで………、…私の側にいてよ………」


 私の声だけが、暗い森に響いていた。


 






 一体どれだけの時間が過ぎたのだろうか。





 おじいのことを考えていた。こんなことを教えてくれたとか、そういえば、あの時は…。なんて、思い出の中のおじいは笑っている。

 涙は止めどなく流れ落ち、その度に心が枯れていく……、渇いていく……



 そうしてついに胸の中がカラッポになった。風が吹くたびにその胸の穴にスースーと風が流れ込む。




 それからぼうっと、1時間くらい座っていたのだろうか?もしかしたら、もっと長かったのかもしれない。



(このままずっとここにいようか…)



 もう私には何もない。それにすごく疲れた。動く力もなく、ぐったりと、私はおじいの側で仰向けになる。



 いつの間にか吹雪は止み、雪に変わっていた。

 雪は優しく優しく降り積もっていく。空っぽの心に積もっていくようだ。吐く息は白く、体はすごく冷えている。


(あぁ、もう……わたしには……)


 なんだかすごく眠くなってきた…。もう眠ってしまおう……




 私はゆっくりと目を閉じた。




「ガサッ…」


 すぐ近くで何かの気配がした。追っ手の騎士だろうか?


(別にかまわない。もういい…)

 目を開ける気力もない。



 今度はザッザッと歩くような音がした。しかし、馬や人のような気配ではない。



(なんだろう…。)

 仕方なく目を開ける。




 それは木の影に隠れていた。毛は灰色で、その瞳は美しく光る紫だった。




「オオカミだ…」

 そう私が小さくつぶやくと、どんどん近づいてくる。



 そして私の3、4メートル側まで来て止まった。



「大きい……」


 大人が一人乗れそうなくらい大きく、がっしりしている。


 私を食べる気だろうか。でも恐怖は感じなかった。狼は優しい眼差しをしているような気がしたからだった。

 その紫の瞳でじっと見つめられる。


 私もその瞳をじっと見つめ返す。



 すると止まっていた狼は再び歩きだし、ついに私が手を伸ばせば届く位置までやって来た。



「私を食べるの…?」

 小さくそう言うと私の顔に鼻を近づけた。


 そして…。




「ペロッ……」

 私の顔を舐めた。涙や血の付いた顔を。


「えっ…」


 しばらくそうやって顔を舐めた後、私の身体にぴたっとくっついて、臥せった。不思議と獣くささはない。


「あたたかい……」

 自分の血液が循環していくのが分かった。じわじわと涙が溢れ、滴が落ちていく。


 顔を右を向ければ、もう動かなくなった大切な人がいる。右手でその顔を優しく触る。


 そして顔を左に向ければ狼がいる。左手で優しくその頭を撫でた。すると狼はゆっくりと目を閉じる。






 空はいつの間にか白みかけていた。


(あぁ、鐘が鳴るな…。でももう、働かなくていいんだ。)


 それなのに全然嬉しくない……。涙がポロポロと流れていく。…私は自由の代わりに大切な人を失った。



 ハァ…と息を吐くと同時に、カァーン、カァーンと鐘が鳴り響いた。




(……よし、じゃあ計画通り、二手に別れるぞ。川上にあるトムライ村の側の湖に、朝の鐘が鳴り終わるまでに集まるんだ。それまでに来なかった者は……。待たないし待つな)



 昨日の夜におじいの言った言葉が頭に響いた。たった数時間前なのに、もうずいぶん昔に感じられる。



(そうだ、約束の時間…)



 あぁ、でももう間に合わない。それにおじいは…。

「スウナさん、ラガーナさん、ガレさん、ごめんなさい。ごめんなさい…。」



 スウナさん達は、無事に湖にたどり着いただろうか?

 彼女たちだけは無事であってほしいと心から願う。



「…ねぇ私、死ぬのかな…?……でももう疲れたよ…。……休んでもいいよね………?」

 それはおじいに対して言ったのか、それともオオカミに対して言ったのか、自分でも分からなかった。



「みんな……ごめんなさい…」



 私は静かに目を閉じた。そしてそのまま闇の中に落ちていった。暗い闇の世界へ……



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

精霊の湖 @yuzusakuragi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ