第3話 魔法の力

 「ハァッ!ハァッ!ハァッ…!」

 パニックになっていた。呼吸がめちゃくちゃで、そんなに走っていないのに、息が苦しい…。

 息を整えないと!すぐにバテてしまう!


 憎たらしい花瓶で、やはり異変に気づいたようだ。屋敷にあかりが灯っていく。それは振り返らずとも分かった。走り抜ける夜の雪の地面に、その漏れた灯りが映っていたからだった。


(使用人達が起きた…!奴隷が逃げたことが分かれば、屋敷の騎士がきっとすぐに追ってくる!)


 皆は遠くの方を走っていた。どうやらオロオロはしていたけど、きちんと計画通り決められたそれぞれの方角へ走っている。

 ガレ、スウナ、ラガーナはどんどん遠くに離れていった。彼らは私たちとは別のルートから行くから…。


 そして私とおじいは森に入らなければならない。遠くの方に暗い漆黒の森が見える。――あぁ、あの森だ。

 私とおじいは川を渡るため橋のある方へ走る。橋はうっそうと繁ったあの森のなかにあるらしい。


 これで良かったのか?自分達は本当に間違っていないのか?

 大きな恐怖に私の小さな心が掻き乱され、世界にたった一人で自分だけが取り残されたように感じた。



 足の悪いおじいは、だんだん私と距離が離れていく…。



 私は少しペースを落とし、彼の手を取る。そして離れないよう、ぎゅっと強く握った。

(絶対二人で生き抜くっ!必ず二人でっっ!!)

 その手をおじいは強く握り返してくれた。小さくとも心を強く持とうとした。







 2、3分ほど一度も止まることなく走ったところで、うっそうとした森に入った。


「おじい!森だっ!着いたよっ!この森の中に川があるんだよねっ!?」

 そこで初めて立ち止まる。少しホッとしたところで、寒さで手と足が痛いことに初めて気づいた。一方で彼は早く荒い息を下を向いて整えていた。


「ハァハァ…、大丈夫?まだ動けそう?」

 私も息を整えて出来るだけゆっくりと言った。しかし彼の反応はない。

 どれ程走ったのか確認しようと、後ろを振り返る。走ってきた足跡は点々と続いていた。いくら吹雪といっても足跡はそうすぐには消えないのか……


「とにかくゆっくりでもいいからっ。歩こう!少しでも進もう!」

 その呼び掛けに、下を向きながらだが、彼は大きくうなずいた。



 半ば無理やりにおじいの手を引っ張っていく。そして、はや歩きで森の中を進んでいく。

 おじいの辛そうな荒い呼吸は聞こえなくなった。ようやく息が整ったようだ。

 先ほどは漆黒の森を見て恐ろしくて不安になったが、実際森の中に入るとなんだか木に見守られているようで少し安心した。


 注意してはいるが馬の足音は聞こえない。吹雪の音でかきけされているのか?夜の森では吹雪以外の音は聴こえない。ある意味静かだ。



「ねぇおじい。追っ手……騎士たち、来ないよね?見つからないよね?大丈夫だよねっ?」

 半ば願いのように尋ねる。返ってくる答えは良いものを期待して……


「なぁホープ。逃げきれたらわしの故郷に一緒に来ないか?」

 しかし返ってきた言葉は全く別のものだった。不意にそう言われて、びっくりする。


「え…。」

 目が点になる。今はそんな時ではないだろう、逃げなくては…。

 しかし彼の続く言葉を待つ自分がいた。その自分とは理性に勝り、感情に支配された自分だ。


「前にも一度言ったと思うが、故郷はギギラという西のほうにある国なんだ。わしはそこのターシという小さな町に住んでいたんだよ。海の見える美しく場所だ。そこならきっとおまえは伸び伸び暮らせると思うんだ。それにわしはお前を本当の…」


 何か考えているのか、少し間があったあと、

「………いや、なんでもない」


 何て言おうとしたんだろう…?

 いや、そんなことより、本当に彼の故郷に行ってもいいのだろうか?

 本当に??こんな私を…?


「いいの?私なんかでいいの?だって私は性格も悪いし、きっと可愛いげもないし、それに私は親に……、家族に……」


「ホープ、わしはお前の気持ちを聞いてるんだ。お前がどういう子かはわしが一番良く知っている……。お前の気持ちを教えてくれ」


「私は……迷惑じゃないなら…。おじいがいいなら私……。一緒に行ってもいい?家族になってもいい?」

 嬉しい気持ちを抑え、控えめにそう言いながら顔色を見る。


「そうか!あたりまえだ。いい場所がたくさんあるんだ。きっとホープも気に入る」

 二カッと笑ってくれた…。


 それだけで安心できた。



 それから彼のペースに合わせ、ゆっくりと歩いていると川が見えてきた。


(川だ!!えっと……私たちは橋を渡って川向こうから川上に登る…。あれ?橋はどこだろ)

 もう少し上流のほうにあるのだろうか。


 彼に声をかけようと息を吸ったとき、ハッと気づいた。




 馬の蹄の音がした。




「おじいっ!」

 私が全て言わなくても理解したようだった。彼の目に恐怖の色が見えた。


「ホープっ走れっ!」

 どなり声に近い声色で、吐き捨てるように言われる。そして二人とも本能的に走り出した。


「橋はどこっ?どこにあるのっ?」

 ぜぇぜぇ言いながら叫ぶように言う。おじいは走るのが辛いのか、だんだんと走る速度が遅くなっていく…。私は手を強く握って引っ張っていく。


(見つからないっ!橋は本当にあるのっ?)

 不安と恐怖で息が上がってくる。暗くて遠くの方への視界は悪く、追っ手の足音と加えてさらに神経がすり減る。

 しかし無情にも恐怖の足音は近づいてくる。

 ドドドッ、ドドドッ、ドドドッ…


 足音はかなり近いが振り返っても暗いため、正確な位置や方角はわからない。しかしきっとすぐに見つかってしまうだろう。


 彼は走り続けてきたせいで疲労困憊しているようだ。顔に疲れが色濃く見える。まさに絶体絶命だ。しかし私には走ることしかできない…



 走りはじめて1、2分たった頃、走りながらおじいが口を開いた。

「ホープっ!!いいか、よく聞け!この足音だと馬は2、3頭だろう。なんとかできるかもしれん」


「えっ!!どうするつもりなの!?つまり騎士も2、3人いるってことなんだよ!?」

 後ろを振り返り、追っ手を確認しながら言う。まるで命の時間が削られているようだ。


「そんなことは分かってる。わしには考えがあるんだ。信じてくれ。おまえを守らせてくれ」

 私の目をしっかりと見ながら言う。彼も必死なのだろう。自分に余裕が無くなっているのが分かる。


「……分かった。でも一人で行くのは絶対に嫌だよ。」

 それに半ば根負けした形で強く言った。私たちは走るのを止めた。走っていてもいずれは見つかる。時間の問題だ。だったらもう彼を信じて命を預けよう。どんな結果に転ぼうとも、きっと二人一緒なら大丈夫…。



 すると彼はしっかりとうなずいた。



「おまえはわしから離れて騎士に見つからない所まで行ってくれ」


「逃げろっていうの?!嫌っ!絶対嫌っ!私はおじいと一緒にいるっ!!絶対離れないっ!」


「違う!隠れるだけだ!おまえがいたらうまくいかないかもしれないんだ。だがもしわしがうまくいかなかったら……。分かってるな?」

 力強い目で私を見る。


「どうするの?何をするつもりなのっ??」

 どうしようもなく怖い。恐怖で顔がひきつる。それになんだか嫌な予感がする…。


「分かってるな?」


「分からないよ……。わ、私……」

 私は力なく首を横に降る。


「ホープっっ…!!」

 怒鳴られて一瞬頭が真っ白になった。その空っぽになった頭に浮かんだのは、置いていくのは嫌だ……離れたくない………だった。

 しかしどうにかしようにも、結局私にできることは何もない。


「行けっ!早く行けっ!」


 この間にもどんどん足音は近づいてくる。私が考えれば考えるほど時間は無駄に過ぎていくだけなのかもしれない…。

 仕方なく逃げるように彼から離れていく。

 何度も振り返る。彼は私を見ながらじっと立っていた。




 気のせいだろうか。名前を呼ばれた気がした。






 私が彼から、30メートルくらい離れたとき、ついに騎士が見えるところまで追い付いてきた。騎士は2人だった。

 彼らはいかにも重そうな剣を腰に提げていた。


 騎士たちの姿が見えた瞬間、私は言われた通り、大きな木の後ろにパッと隠れて息を潜める。

 騎士たちは木の開けた場所にいるおじいには気づいているようで、まっすぐ向かっていく。


「見つけたぞ…」

騎士の一人が嬉しそうに言った。



 おじいは全く動かなかった。彼はいつの間にか私に背中を向けていたようで、顔は見えない。


(おじいっ!)

 手足が震える。決して寒さのせいではない。


 そして騎士たちはおじいから数メートル離れたところで馬を止めた。




「まずは一人目だな……。おい、貴様、よくも逃げたな。分かっているだろうな」

 年配の方の騎士は低い声で冷たく言い放つ。



「本来ならこの場で処罰するのが正しいが、投降したのを考慮してやろう。屋敷までは生かしておいてやる」

 続けて騎士見習いと思える若い男が、かなり荒っぽい口調で言った。おじいが一人で突っ立っていたため、投降したと勘違いしているようだ。


 それでもおじいは動かず何も言わない。彼は一体どんな顔をしているのだろうか。


「おい、聞いてるのか?屋敷へいくぞ」

 若い騎士が低い声で言った。しかしそれでも微動だにしない。


「おい、歩け!さっさと動け!これ以上手間をかけさせるな!」

 イライラしてそう言いながら、年配の騎士が馬から降りる。そして、立ったまま動かない彼の1、2メートル側にまで近づく。




「トリテグ、メーガリサルッ!!!」

 なんの前触れもなかった。突然おじいは大きな声でそう叫んだ。あまりに唐突でその上意味不明な言葉に、一瞬誰が叫んだのかも分からなかった。

 それは全く聞いたことのない言葉だった。



 その瞬間おじいはバッと両手を上げ、年配の騎士の顔に向けた。

 その両手から大きな火の塊が飛び出した…。


 


 おじいの手から突然放たれた炎は、年配の騎士の顔に直撃した。


「ぐわぁぁっ!」

 騎士は悲鳴を上げ、後ろによろめく。それはかなりの火力だった。

 ウゥと、うめき声をあげながら、膝を付く。そしておそらくひどく火傷したであろう顔をおさえ、次に雪を顔に目一杯擦り付ける。


(すごいっ!魔法の力!?これなら騎士を倒せるかもしれない!!)


 世界には魔法を使える人がいると聞いたことはあったが、初めて見る魔法には感動した。

 空気からあんなものを創れるなんて!一体どんな気分だろうか…。


 しかしそれと同時に疑問が渦巻いた。

(でもどうして?魔法が使えるなんて…。私知らなかった…)




「貴様ぁ!」

 若い方の騎士が怒り狂ったように怒鳴る。

 しかしその騎士は馬から降りようとしているけれども、炎に驚いて暴れ回る馬をなだめるのに精一杯のようだった。



 年配の騎士を倒すチャンスだ!



 おじいもそう思ったのか、若い方の騎士は無視して、近くに落ちていた太くて重そうな木の幹を持った。


 そして、大きく振りかぶって、膝をついている相手の頭を殴った。


 殴られた衝撃で、騎士は1メートルほど吹き飛ぶ。


「うぅっ!」

 と呻き声を上げ、騎士はもう動かなかった。おじいは手に持っていた木の幹を雪の上に捨てた。

 人が傷つくのは嫌だったけれど、自分たちの命がかかってる。

 そんなことは言っていられない。


「あともう一人だ…!!」

 隠れているのに、つい声が出る。騎士さえ倒せば私たちは自由だ…!

 もう一人の若い方の騎士を見ると、馬から降りてまさに剣を抜いていたところだった。


「キィィンッ」

 剣を鞘から抜くときの、金属同士のの擦れる音がした。


 騎士は怒っているのに、行動は冷静だった。おそらくよく訓練されていたのだろう。人としては最低だが騎士としてはよく出来た人間だったのだ。

 若い騎士はおじいの様子を見ながら距離をとっている。剣が重いのか、切っ先を地面すれすれの位置に留めている。


 おじいはというと、なぜか魔法を使わない。


(どうして?さっきの魔法で倒せばいいのにっ!!)


 騎士もおじいが魔法をつかってこないので、ジリジリと距離を詰めていく。それに合わせるように、おじいは騎士が詰めるのと同じ歩幅で、後ろに後退していく。



 ついに騎士の方が動いた。大きな剣を握りしめながら、何度も鍛練したのであろう、慣れた動きで掛け声と共に騎士は剣を振り上げる。その動きは軽やかで、美しく、一瞬見いってしまったほどだ。

「ハァッッ!!」


「おじいっっ!」

 その瞬間私はおじいの方に走り出した。


 服の袖の端を切ったが、おじいはなんとか後ろに下がって避ける。


 騎士は私に気づいたようで、こちらの方を向く。しかしすぐに、おじいの方に向き直し、

「死ねぇぇぇ!」

 と剣を振り回す。


「やめてっ!」

 私はおじいに向かって走りながら声を張り上げる。雪の地面に足をとられながらも全力で走る。走って初めて気がついたが、私は泣いていた。そして手足が変な感じだった。きっと震えているのだろう……


「ホープ来るなっ!テサ、バグトスッ!!当たれ!!」

 呪文を唱えた後におじいは、当たれ!とまるで願いのように叫ぶ。


 今度は炎ではなく、風のような魔法だった。

 ヒュッと空気を引き裂くような鋭い音がして、それは騎士の胸に見事に当たった。


「ぐっ…」

 けれど、少しよろめかせただけだった。しかし騎士は苦しそうな顔をしながら数歩後ろに下がる。


「くっ…!だめだ…。やはりもう魔力が…」

 おじいは苦しそうに息を吸う。そして苦し紛れに、先ほど年配の騎士を殴ったのと、同じくらいに太い枯れ木を拾って構える。




「くそっ、痛ってーな…」

 騎士は胸を左手で押さえ、さすりながら悪態をつく。


「おじい!!!」

 私はようやくおじいの側にたどり着いた。


「ホープ…。隠れてろと言ったろ」

 困った表情でそう言った後、私をぎゅっと抱き締めてくれる。すると不思議なことに涙は止まった。震えも止まった。

 おじいはゆっくりと私を放し、騎士の前に立ちはだかる。



「ちょうどいい。お前たち二人とも俺が処刑してやる…、死ね」

 無表情で男は冷たく言う。



 死ね、という冷たい言葉だけが強烈に頭に入ってきて、もうそれしか考えられなかった。

 そして人の心を持っているのかも分からないその男の顔を穴が開くほど見つめていた。

 その男の目を見て私は恐怖で足がすくんだ。本能的に悟った。人殺しの目だと……。

 この人は本気で私たちを殺そうとしてる……?



「ホープ下がれ!!」

 おじいは突然私を強く押し飛ばした。頭がいっぱいいっぱいだった私は簡単によろけて尻餅をつく。


 その瞬間、騎士は剣で横に切りつけた。おじいは手に持っていた木の幹で受け止めた。

 しかし受け止めれたのはたったの一瞬で、すぐに木は真っ二つに切り落とされた。


 そして再び騎士は剣を構えて、今度は剣を刺すように、切りつける。

「や!やめてぇぇぇぇぇぇっっ!!」

 そこからはスローモーションのようだった。



 剣が肉を引き裂く、嫌な鈍い音が静かな森に響きわたった…



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