地下鉄の階段

春嵐

地下鉄の階段

 後ろ姿。

 なんとなく、見たような気がする。

 地下鉄の階段。立ち止まって、振り返る。空。晴れている。人の姿。無い。

「見間違いか」

 地下鉄に乗る。

 長めのスカート。

 いちど手繰ってから、座る。

 むかし、誰かに会うのが楽しみだった。それは、地下鉄に乗ればどこからか現れてきて、私に話しかける。

 仕事の話。

 日常の話。

 この前見た映画の話。

 だいたいは、聞く側だった。相手が楽しげに話しているのを、ただ頷きながら見ているだけ。ときどき相槌。

 そして、目的の駅に着くと、それは消える。

 同時に、その姿も、私の記憶から消える。話したことも、仕草も、声も覚えているのに、姿が思い出せなくなる。あれは、誰だったのか。

「いや、声も忘れてるかな」

 思い出すことができなくなる。

 しかし、その存在と、楽しかった時間は覚えている。

 いちど、気になって事故が起こったかどうか調べたことがある。事故は起こっていなかった。あんしん安全が売りの地下鉄。

 また、会えるのだろうか。

 無意識に、その存在を求める私がいる。

 地下鉄。

 乗った。

 長めのスカート。

 手繰ってから、座る。

「なんでいつも、長めのスカートなの?」

「ひらひら揺れるのが好きなのよ」

 会えた。

 今日も。

「あなた、成仏とか眠りとか、できてないの?」

「ん?」

「いやほら、仏教とキリスト教的に」

「ああえっと、私がしんでるとおもってるのね」

「うん」

「生きてるし、存在してるよ。ここにいる」

 手が伸びてくる。

 私の手に触れる。

 あたたかい。

「ね?」

 言葉が出てこない。

「でもね、なんか、他の人に私が見えないみたいで」

「みえない」

「そう。認識されてないというか、よくわかんないんだけど、光度とか輝度がなんとかって」

「なにそれ」

「とにかく、地下鉄の、このちょっと明るいけど暗い感じのところだと、あなたにときどき会えるから、たのしみにしているの」

「そうなんだ」

 手を、ちょっと握り返した。

「また、会いましょ」

「ええ。ぜひ」

 また、地下鉄を出れば、忘れるのだろう。

 まあいい。

 存在していることが分かったのだから。

 夢でもないし、幻想でもない。

 それなら、大丈夫。

「どうしたの?」

「ううん、ちょっとね」

 そうだ。

 ノートにでもメモしておこう。

「こんど、連絡手段とか考えようか」

「いいね。あ、でも」

「うん?」

「地下鉄でしか会えないっていうのが、なんかこう、ミステリアスな感じでたのしいから、それがなくなるのはちょっとせつないかな」

「じゃあ、地下鉄に入ったときしか繋がらないようにすればどうかな」

「わあ」

 笑顔。

 これも、もうすぐ忘れる。


 地下鉄の階段。

 昇る。

 その存在に触れることができた。

 そして、いま、その存在を忘れず、覚えたままの自分。

「そっか」

 遂に私も、しんでしまったのだろう。

 世界から人が絶滅して、十数年が経った。

 唯一生き残った私は、各所に残る遺跡の霊を鎮魂して回っていた。

 そして、ここで、私の仕事も、終わり。

 声。

「ねえ、なんで長いスカートなの。ほんとのことをおしえて」

 後ろに、彼女がいた。

「足がね、あざだらけなの」

 風。

 揺れるスカート。

「いろんなところ歩いて、いろんな魂をなだめた。そのときに、色々ぶつけちゃって」

 足。

 ちょっとだけ、はだける。

「おつかれさま」

 後ろ姿。

 長いスカート。

「あ」

 いまのいままで、気付かなかった。

 彼女は、自分だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

地下鉄の階段 春嵐 @aiot3110

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る