恋した彼に真紅の薔薇を

夕闇蒼馬

恋した彼に真紅の薔薇を

 誰だ、この鏡に映っている美しい女性は。


 燃えるような真紅の髪はフワリと背中あたりで揺れ、藍色の双眸は見た者が思わずひれ伏したくなるくらい鋭利に輝いている。しかしそんな顔の女性がニコリと笑えば、後光が差しているように美しい。

 その美しい女性が舞踏会に姿を現せば、社交界が騒ぎ立てるのも仕方がないことだろう。これほどまでに美しい人間がいれば、それはもうお祭り騒ぎになってしまう。


 まぁ実際、その女性は何の考えもなしに舞踏会に参加してしまったせいで『社交界に咲き誇る真紅の薔薇』という素晴らしい異名を頂き、更には家に一目惚れしたという旨の恋文ラブレターがひっきりなしに届くようになった。それに加え、『社交界に咲き誇る(以下略)』を誰がめとるか、という争いが怒っているらしい。

 一体それほどまでに社交界を騒がせる超絶美人って誰なんだ……あ、わたくしのことか。



「……はぁ、黙って聞いてれば何ですか、随分御自身を過大評価なさっているのですね」


 わたくしの言葉に横やりを入れたのは誰であろう、わたくしの侍従のルディだった。

「謙遜は美徳ですよ。少しは謙遜なさったらいかがでしょうか。そうすれば今より更に美しくなれますよ、多分」

「何よ!さっきから黙って聞いてあげてたのに、わたくしの悪口ばかりじゃない!」

「えぇ、そりゃ悪くも言いたくなりますよ。毎日毎日こんな姿を見せられれば流石にウザ……いえ、少々精神が削られるものがありますので。小さい頃から変わりませんね、姫様は」

「今『ウザい』って言いかけたわよね!?このわたくしのことを!」

「空耳ではないですか?遂に姫様に幻覚だけでなく幻聴まで……姫様をもっと早くに医者に見せるべきでしたね。そうすれば姫様はもっとまともな人間になっていたのに……」

「不敬よ!即刻クビにしてやるわ!」

「……何はともあれ、姫様。本日のご用意はできておりますか?」

 無理やり話を逸らされた感は否めないが、しかし彼の話に乗ってあげよう。何せわたくしは優しいから!


「えぇ、バッチリよ!だって今日はハレの舞台だもの!婚約よ婚約!遂にわたくしにも春が来たのよ!」

「……そうですね」

 途端に表情を曇らせたルディ。

「……な、何よ。自分から話を振っておいてその態度は酷くないかしら」

「いえ、ただ……もうこうやって姫様のことをイジ……いえ、仲良く話せることはないのだろうと思うと感慨深くて……」

「そもそも侍従があるじと仲良く話すなんて不敬罪に問われてクビになってもおかしくないのだけれど……まぁいいわ。どうせあなたのことだから、せいせいしたとしか思っていないのでしょう?」


 どうせコイツのことだから本心では「やっと面倒な女から離れられるぜ」程度にしか思っていないのだろう。


「……どうしてそう、姫様は卑屈ひくつになるのです。いつものように堂々となさっていればいいではないですか。幼い時のように、上からものを頼めばいいのですよ。アレをしろ、これをしろ……とね」

「誰のせいだと思ってるのよ!……え、何でわたくしの幼少期を知ってるのかしら?」

「さぁ、オレにはなんのことかサッパリ」


 パチリとウインクを飛ばしながら舌をペロっとした彼は、悪戯っ子というより確信犯な青年(イケメン)というイメージだ。なまじ顔が良いので見栄えがする。なんだか悔しい。


「……あ、そういえばわたくし、この話をあなたにしていないかもしれないわ」

「え?なんの話ですか?」

「わたくしが婚約する人の話。何故このわたくしが婚約に乗り気なのか、その理由よ」


 そう前置いて、わたくしは追憶する。

 そう、それはわたくしがまだ幼かった頃の話――。


◇◆◇


「わたくしは幼い頃、とても活発な子でね、城下町の公園にまで出向いて遊んでいたのよ。勿論、身分は隠してね。

「ある日わたくしは、友人にお使いを頼まれたの。これをどこそこまで届けてっていう話だったわ。

「わたくしは無事、その荷物を届けることができたわ。でもね、ひとつだけ問題があったのよ。


「ネックレス――そう、ルビーがはめ込まれてるこれよ。わたくしは、このネックレスをどこかに落としてしまったことがあったの。今も昔も、わたくしがとても気に入っているネックレスよ。……お祖母様に貰った大切なものなのよ、これって。

「それをなくしてしまったと気付いた時にはもう、辺りは真っ暗だった。わたくしは公園に戻ることもできず、ただ泣きわめいていたわ。

「それから数日してから、わたくしは再び公園に向かったの。そしたらそこに、わたくしのネックレスを持った少年がいたの。確か髪も目も、ビックリするくらいあなたに似てた気がするわ。

「それで、その少年はわたくしのネックレスを見つけて、ずっと持っていてくれたみたいなの。きっと大事なものだろうからって。彼はわたくしの英雄ヒーローだったわ。だから、心の中で『英雄ひでお』と呼んでいたわ。……ちょっと、何よその目。

「……じゃなくて。とにかくわたくしは、彼の真っ直ぐな瞳に、彼に、恋をしたわ。

「わたくしは何度かその公園に通ってたら、いつの間にか彼と仲良くなってたわ。

「……でも、わたくしは王女。恋を実らせるわけにはいかないのよね。

「彼に別れを告げて、わたくしは王宮から外に出ないことにしたの。そうすれば、もうこの胸の苦しみは味わうことはないだろうからって。

「それから数年越しに、彼から婚約の話があがったのよ。彼もわたくしみたいに、幼い頃は下町の子たちと遊ぶのが好きだった貴族だったのよ。

「わたくしは、王女でも恋が実っていいってことを知ったわ。


「わたくしは今、幸せよ」


◇◆◇


「……」


 無言でその話を聞いていたルディ。彼の顔は、普段よりも暗い影を落としている。

「……ど、どうしたの?」

「いえ、何でも。姫様が幸せになれるなら、それがオレの幸せですから」


 そうは言っているがルディよ、顔が盛大に引きつっているぞ。……口には出せないが。口に出してしまったが最後、何を言われるか分からない。


「……あちこちにヒントを散らべても、やっぱり姫様には気付かれていませんでしたか」

「……何?」

「いえ、姫様はバカでいらっしゃるなと言っただけです。婚約相手が可哀想に思えてきますね」

「ほ、本当なんなのよ!いい加減になさい!」

「いいじゃないですか、最後くらい。無礼は承知しておりますが、どうしても姫様との会話が楽しいものですから、つい」


 そう言われてしまえば、わたくしには断れなくなってしまう。彼の切なげな顔が、私の良心をギチギチと締め上げる。痛い。


「……そうね」


 わたくしたちはそれから、迎えのメイドが来るまでずっと話し込んでいた。

 罵りあったり、馬鹿しあったり。それが出来るのが今日で最後なのかと思うと、とても胸が苦しくなった。この胸の痛みは、きっと――――。



「姫様」

 ノックの音とともに、メイドの声がする。

「……時間ね」

「えぇ」

 彼と別れる時が来た。

 わたくしは英雄ひでおに嫁ぐため、彼のいる国に行かなければいけない。しかし、侍従やメイドは連れてこないで欲しいと明言されたため、わたくしはルディを連れていくことが叶わなかった。気心知れた相手が一緒にいてくれるなら、それ以上に心強いことはないというのに。でも、わたくしはこれから想い人のところに嫁ぐのだ。異性であるルディを連れていくわけにはいかない。


「今までありがとう、ルディ」

「いいえ、こちらこそ楽しかったですよ、姫様」


 互いに微笑みあい、最後の別れの言葉を交わし合い、わたくしは彼に背を向けて扉に向かって歩きだし――――


「あぁ、ひとつ言い忘れていました。失礼を承知で言いますね。よくお聞きください」

「失礼だなんて、そんなのいつものことじゃない。なによ、急に改まって」


 普段から同じような調子のくせに……と内心毒づいていると、彼はわたくしと距離をグッと縮め、私のおとがいを掴んでクイッと上を向かせ、わたくしより少し高い自分と目線を交わらせて、言い放った。


「オレ、姫様のこと諦めないから。というかそもそも、ニセモノなんかに姫様を譲る気なんてさらさらないし。だから、オレが姫様を攫いに来るその時までどうぞお幸せに」



 それから1年と経たず、王女は婚約を破棄した。彼女曰く、「彼はニセモノだったから婚約は破棄した」とのこと。

 そして婚約破棄してから数日後、王女は再び婚約を結んだ。

 婚約者の名前はルディ。

 彼は彼女との会話の中にヒントを落とし、いつか自分が彼女の中の英雄ひでおだと気付いてもらえる日を夢見ていた。だが最後の最後までそれは叶わず、彼が直接彼女のもとを訪れて告げるまでは全く気付いていなかった。


「あの時姫様のネックレスを探し出して返したのはオレだ。だからニセモノなんかに騙されるな。オレと一緒に、国に帰ろう」


 そう言って彼は彼女を連れ出し、国に着いてから婚約破棄の書類と謝罪の念を込めた手紙をしたためて届けた。


「まさかあなたが英雄ひでおだったとはね。ビックリよ」

「いや、まさかあそこまで言ったのに気付いてなかった姫様に驚きましたよ……」

「まぁ細かいことは気にしないでちょうだい。わたくしとあなた、互いに好き合ってるならそれでいいじゃない」


 彼女がそう言うと、彼は「それもそうですね」と笑い、触れるだけの柔らかいキスをひとつ落とした。

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