08匹目 犬が飛んだら幼女にあたる
「さて、そろそろ行くとするか」
お爺ちゃんが言い、僕とフレアは頷いた。
「今回だけだ、感謝しろ」
ぷいっとそっぽを向くドラゴンさん。
僕は、憧れていた竜の背中に飛び乗った。
「目指すは、王都トーロンにあるセンクレア公爵邸! その庭で、召還の儀が執り行われる。そちは赤き竜と共に機を窺い、呼び出された精霊と入れ替わるのじゃ。よいな!」
打ち合わせを終え、いざ飛び立つ――。
神様の加護か竜の力か、誰に咎められることもないまま難なく公爵邸の上空に到着した僕たちは、慌ただしく儀式の用意をしている使用人を眺めていた。
さすが公爵家。みんなよく働いている。
あまり乗り気ではないこともあり、フレアと一緒にぼーっと観察していたら、何やら慌ただしくなってきた。この家の当主が、執事を伴い庭まで歩いてきたようだ。
風の魔法を使い、聞き耳をたてる。
「傾聴!」
執事さんの朗々とした声が、さきほどまでの喧騒が嘘のように静まった庭へと響き渡った。全員の耳目を集めると「どうぞ」と主人を前に出す。
「……私の娘のために苦労をかける。これより精霊召喚を開始するが、些少の危険をも見逃さぬよう、注意してほしい」
話し出す前にたっぷりと時間を使い、さらに注目させてから使用人に檄を飛ばした。
風に揺れ、チラリと舞った金髪。想像よりもだいぶ若々しく、まだ三十歳前後だろう。己を律する所作一つをとっても、悪い人ではなさそうだ。
「アメリア、こちらにおいで」
センクレア公爵が呼びかけると、母親らしき人に手を引かれ、目当ての子がぴょこんと姿を現した。その瞬間、世界が活気づく。
――あの子が愛しい。
光が、風が、水が、大地が、陰が。
ありとあらゆるものが、我先にと主張するかのように輝きを放つ。精霊は接触を控えているから、純粋な自然の力なのだろう。
幸いにして、よほど魔力の高いものでなければ気が付かないことらしく、公爵家の面々がおかしな動きをすることはなかった。
凄まじいな……。
潜在能力ならドラゴン級、それが所かまわず暴走したら、外になんか出られないよね。
半ば呆然、半ば感心しながら、その後の成り行きに、俄然、興味が湧いてくる。
日の光りに照らされ黄金色に輝く金髪、母親に似た漆黒の瞳。幼い面差しを僅かに曇らせた絶世の美少女がそこにいた。全体的に壊れ物のように華奢な体を、ともすれば倒れそうになりながら、どうにかこうにか召還陣の前へと足を運び、肩で息をついている。
アメリア・センクレアは、間違いなくこの世界に愛されている。
気合いを入れ直した僕は、目をカッと見開き凝視していたフレアに話し掛けた。
「失敗したら、どうなると思いますか?」
「魔力が暴走し、命がなくなるだろうな。そうなれば、怒り狂う精霊たちが王都を蹂躙し、この国は崩壊するやも知らぬな」
「必ず計画を成功させなければなりませんね。さすがに大虐殺を見たいとは思いませんし、他国へ与える影響も大きそうです」
「であろうな。下手をすれば、我が城にも被害が出るとも限らぬ。面倒なことだ」
基本的に、戦闘以外は我関せずのドラゴンさんの御墨付き。かなり危ない状況だということだけはわかる。くわばらくわばら。
そうこうしている間に準備が整っていたようで、滞りなく召還の儀式が始まった。
「われ、アメリアはこいねがう……」
舌足らずな詠唱が可愛い。
「ばんぶつのみなもとにして、このよをしゅごするものよ」
必死に言葉を絞り出している。
「わがまりょくをかてとし」
後少し、すぐ手助けするからね。
「そのすがたをあらわしたまえ」
フラフラしてる! 頑張れ!
「いでよ! せいれいしょうかん!」
突如、あたり一面に光の花が咲いた。
アメリアの強大な魔力を吸い込み、召還陣が光り輝く。大物が出てきそうだ。
しばし幻想的な景色に見惚れていると、「これはまずいな」と下から聞こえた。
そう、我が友ドラゴンさんだ。
そこからのフレアの行動は、迅速だった。
「え?」と混乱していた僕を囗に含み、光のと闇の魔法で姿を隠す。そして、一直線に召還陣へ急降下すると、顕現した精霊を蹴り飛ばし、その真ん中にペッと僕を吐き出した。
全ては、召還陣が光っている間に起こった一瞬の出来事である。ドラゴンすごい。
満足そうな笑みを浮かべたフレアは、『あとは貴様がなんとかしろ』というありがたい思念を寄越したあと、空へと戻っていった。
ドラゴンのお口あったかいなー。
涎でベトベトになりながら、気持ちを立て直す。やはり無理だ、大混乱である。
なんとか水の魔法で汚れを落とした僕をみて、小さな淑女が目をまん丸くしていた。
「あなたがわたしのせいれいさまですか?」
消え入るような、弱々しい声音だった。
先ほどまでは気を張っていたのだろう。
今はなんとか大地に踏みとどまっているが、いつ力尽き倒れてもおかしくはない。
どこか諦観めいた表情をしているのは、これまでの短い人生が平穏ではなかったからか。もしかしたら犬が出てきたせいなのか?
前世の僕とは違い、世界に祝福され生まれてきた女の子。
本来であれば、自由に外を走り回り、遊び、学び、その将来を思い描いたまま生きられたはずなのに、前世の僕と同じく、ただそれを羨み、諦めることしか出来ない女の子。
――ずっと悩んでいた。
僕なんかで良いのか?
どんな不条理から助けられる?
この子を救ってくれだって?
僕自身が、救わたのかさえ不明なのに。
――それでも。
この子が、全てを諦めて良いわけがない!
契約をしろとも言わず、ただ黙って僕をみつめ、その手をのばし触れてくることも、辛く苦しいと助けを求めることさえ出来ない、ただこの世界に愛されただけの、幼い少女。
この感情が、精霊になったからなのかはわからない。僕と契約することで、いつかもっと悲しい気持ちになるかもしれない。
どんな問題が起きても、僕がなんとかしてあげるなんて言える訳がないし、正しい道へと導いてあげられる自信もない。
分かっているのは、僕が契約しなければ、魔力が暴走して、近い内にこの子は死ぬ。ただそれだけ。見捨てるなんて選択肢はない。
ならば、僕の言うべきことは一つだけだ!
「私の名はウェルシュ! 神の使徒にして、偉大なる赤き竜の眷属、ウェルシュ・カーディガン。幼き人の子よ。君の名はなんだ?」
「アメリアです、せいれいさま」
「アメリア。良い名だ。君が望む限り、君の側にいることを、神と赤き竜に誓おう」
この出会いは運命だと、そう想うから。
異世界転生固茹奇譚 馬近 @majica
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