第30話

 デニス四世は大きなため息をつき、ひじ掛けを指でトントンと叩いた。

 ランベルスはデニス四世とバルトロメウの肝の座り具合を見誤っていた。彼らのいつもと変わらぬ表情にすっかり騙されてしまった。既にセインは彼に宣戦布告状の内容を伝えていたのだ。

 自身の建てた計画が、がらがらと音を立てて崩壊していく。ランベルスは表情を失って床を見つめた。

 失敗の原因はなんだったのだろうか?

 オズワルドを殺すはずだった袁翼鬼を蹂躙した、女道化師の存在か。それとも帝国が戦争を仕掛けてくるタイミングの悪さか。オズワルドをまだ雛鳥と嘗めて、直接的な暗殺の手を緩めてしまったことか……。

 原因を探ろうとするが、どれも正解のような気がした。

 わからない。頭が思うように働いてくれない。焼きが回ったか――

 ランベルス、ひいては公爵家自体は無傷だが、反撃の材料となる不安要素の後始末はたくさんある。クルゼ男爵とリーマ伯爵、チャーリス男爵父の口止め、そしてクルゼ男爵の指示で動いた王国兵の抹殺。

 その前に言うべき文句があった。ランベルスはセインに怒りの眼差しを向ける。


「バークス伯爵。貴様はなぜこのような重大な事実を、グロウリンクで早急に知らせなかった? 貴様には危機感というものがないのか!?」

「ん? あー。言い訳しますと、グロウリンクで言っても信じて貰えるか分かんなかったんで、しませんでした。父上は帝国とのドンパチの準備が忙しいみたいだったんで、オレがわざわざ来た次第です、はい」


 たしかに、セインにいわれても信じなかったかもしれない。しかし、しかるべき手順は普通踏むだろう。

 セインは片頬を舌で押し膨らませ、頭を上下に揺らしながら答えた。さながら治安の悪い街のゴロツキだ。

 不躾な、悪びれた様子のない返答に、ランベルスは青筋を浮かべた。


「貴様っ! ふざけているのか!!」

「陛下の御前だ。控えられよ、フライターク公爵」


 バルトロメウが諌める。

 ランベルスは怒りをぐっと奥歯で噛み締め、抑える。心を落ち着けるように、ゆっくりと一呼吸置く。

 こんなバカ、相手をしていたら頭がおかしくなる――。

 ランベルスはかぶりを振って、今はまず、己の役割を果たすべきだと判断した。


「陛下……私はこれより戦に備え、参謀本部を設立しにかかろうと思うのですが」

「……了承する。以前の戦争で参謀長だった君が適任だろう。すぐに開戦の準備を整えてくれ。だが、くれぐれも拙速にならないようにな」

「はっ。その心配には及びません、陛下。急ぎ識者と騎士らを集め、準備に取り掛からせていただきます」


 頭を下げ、ランベルスはそそくさと謁見の間から退場しようとする。


「お待ちください」


 だが、その背を引き留める声が上がった。

 ランベルスが振り返ると、立ち上がったオズが猛禽のような眼光を向けてきていた。


「私に何か一言、仰らねばならない言葉があるのではないですか?」

「……ふっ、何のことだ?」


 恍けたように、笑い混じりに訊く。

 依然としてオズの視線は鋭い。

 全てわかっているんだぞ、お前のしたことは――オズの目がランベルスにそう告げていた。


「オズワルド・レイヴンズ。袁翼鬼の討伐はご苦労だったな。しかし……目覚ましい活躍をしたからといって、あまり調子に乗るなよ。お前の嫌疑はまだ晴れていないんだからな!」


 ここで女道化師の存在を問い詰めてやりたいと思ったが、理性がそれを止めた。それは、ランベルスが本来知りえない情報だ。わざわざ墓穴を掘る必要はない。


「それだけですか?」

「それ以上に何を言えというんだね? ええ?」

「……いえ。何もないのでしたら、結構です」

「ふん。無駄なことを言って、私の貴重な時間を潰すのはやめたまえよ!」


 ランベルスは足早に謁見の間から退場した。

 ばたんと閉じられた扉を一瞥し、バルトロメウは鬱陶しそうな表情を作った。


「オズワルド・レイヴンズ。さっきの公爵に対する態度は、いただけないな」


 バルトロメウの注意にオズは内心イラつくが、殊勝な態度で、


「申し訳ありません」


 と頭を下げた。


「よい、バルトロメウ」

「はっ。陛下」

「オズワルド・レイヴンズ。私の治世の基本方針は知っているだろう?」

「はい」


 オズは頷いた。デニス四世の政治方針は、開戦派・和平派と真っ二つに割れてしまった貴族間の連携、調和だ。

 レイヴンズ家は表向きは和平派ということになっているため、開戦派代表ランベルスとのいざこざを警戒しての発言だった。表面化していないだけで、今の王国は、一歩間違えれば分裂する危機に陥っている。

 フライターク家及びホーラント家以外は預かり知らぬことだが、王国最大戦力である、ラウラとフローリアンの所属派閥が別れているのも、危機に拍車を掛けていた。


「ランベルスの君に対する処置に、私も思うところがないわけではない。しかし、今は耐えてはくれぬか? 私は、君が無為に人を殺めるような人間ではないと思っている」


 国王という立場を背負っているというのに、ずいぶんと低姿勢だ。

 ――青いな、デニス。

 正直オズは呆れていた。現実主義者然としていて威厳はあるが、こうした相手の機嫌を窺うような態度を取っているから、ランベルスのような厄介な野心を持つ者が出てくるのだ。

 国王は和平に思考が傾倒し、貴族たちは己が欲望に向かって進んでいる。市民に至っては演劇などの娯楽ばかりに熱狂し、国内情勢については無関心ときた。見ている景色がバラバラで、一つの国という一体感がまるでない。

 今の王国に必要なのは調和ではなく、絶対的な支配者の存在だ。野心家すら頭を垂れる圧倒的な権力。そして、全ての者が崇め奉る唯一無二のカリスマ性。

 デニス四世は優秀な男ではあるが、残念なことに、このどちらも持ち合わせてはいない。

 しかし――帝国にはいる。女神の如く崇められている、一人の英雄が。


「ご安心を陛下。陛下の今回の寛大な御判断には、多大なる恩義を感じております」

「……そう言って貰えると助かる。こちらとしても、《炎姫》の二の舞だけは何があっても防ぎたいからな」


 デニス四世はそういって深く嘆息する。

 ――本当に酷い奴だな俺は。どうやら恩は仇で返すことになりそうだ。

 オズが自嘲的に心の中で呟くと、グロウリンクが鳴らす振動音が響いた。

 その音は、バルトロメウの右手に着けたグロウリンクから聞こえる。

 グロウリンクには楔のような形をした文字――帝国のヴァロワール文字が浮かんでいる。浮かび上がったその字の示すところは、通信相手の名だ。

 バルトロメウは相手が誰なのかを確認し、右手のグロウリンクを口元へやった。


「……何用か、レーゲン侯」


 相手はどうやらラウラの父、ロベルト・レーゲンのようで、彼は現在フィッツベルクへ向かっているはずだ。到着したから連絡してきたのだろうか。それとも――


「……なにっ!? それで……フィッツベルクはどうなった? ああ……ああ……了解した。貴公はすぐにベルティエへ避難しろ。指示は追って伝える」


 フィッツベルクで何かが起きたらしい。

 バルトロメウは唇を噛んで痛惜の念を覗かせ、右手を下ろした。息は荒く、肩を上下させている。相当な怒りようだった。

 一呼吸置き、大きく息を吐く。心を落ち着け、彼はすっと炎の灯った眼差しを、デニス四世へ向けた。


「陛下。先ほど、《聖女》エリザベス率いる帝国軍の手により――フィッツベルクが陥落したそうです」

「なんだとっ!?」


 宣戦布告に驚かなかったデニス四世は、今度こそ驚愕の表情を浮かべた。

 数百年前、魔王が王国を滅ぼしかけた時ですら落ちなかったフィッツベルクが、たったの二日程度で攻め落とされた。

 謁見の間にいる――オズとセインを除いた――誰もが、口を半開きにして固まっている。

 この一報はあまりにも衝撃的過ぎた。


『………………』


 謁見の間を重苦しい静寂が支配する。


「くっ……内輪揉めなどしている場合ではないな! 衛兵!」


 いち早く立ち直ったデニス四世が、謁見の間内に控える近衛兵に声を掛ける。

 一人の近衛兵がデニス四世の元へ向かうと、彼は跪いて頭を垂れた。


「フライターク公爵ならびに騎士団の者へ、フィッツベルク陥落の報を通達せよ!」

「はっ!」


 王宮中を揺るがす第一報をもって、近衛兵の男が謁見の間を後にする。

 その背を見送ったデニス四世は、バルトロメウとなにやら相談事をし始めた。

 およそ数分後、二人の囁き声がぴたりと止み、バルトロメウが真剣な眼差しをオズへ向けた。


「オズワルド・レイヴンズ」

「はっ」

「戦時下ではあるが、テンネスから書類が届くまで、君には手錠を嵌めたままでいて貰う」


 オズは目を伏せて頷いた。疑いが晴れていない以上は当然の処置だ。


「だが、王宮が君の安全を保障しよう。何人か護衛を付ける。虫のいい話だと思うだろうが、戦時下の間、君の類稀なる錬金の才を魔法院で揮ってほしい」

「私は王国に仕える勇者です。それが王国の意思だとあれば、従いましょう。ですがこのままですと、《祝福アビリティ》が扱えませんが……」

「君の知識に期待したい。嫌疑が晴れるまでは、薬師として期待する」

「そういうことでしたら、謹んでお受けいたします」

「……感謝する」


 デニス四世が目を伏せて謝意を告げる。

 彼は控える近衛兵の一人に目配せした。国王の指示を言外に察した近衛兵は、オズの傍までやってくると、


「オズワルド・レイヴンズ様、魔法院までご案内いたします」


 近衛兵の要請に従ってオズが立ち上がると、隣のセインだけがぽつんと取り残された。


「ああ。バークス伯爵もご苦労だったな。君の仕事は実に重大なものだった。よく報せてくれた。今日はぜひ、その体を休めていってくれ。誰か、彼を客室まで案内してやれ」


 今思い出したかのようにバルトロメウがいった。

 ついでだとばかりのぞんざいな扱いだったが、セインは気にするそぶりを見せず、近衛兵に続いた。

 国王と宰相の二人に一礼し、近衛兵らと四人で謁見の間を退場する。

 道の途中でセインと彼の案内役の近衛兵と別れ、王宮内に設立された魔法院の前まで来ると、突然オズのグロウリンクが微かに震えた。

 オズのそれは特殊な作りになっていて、振動音は響かない。近衛兵が気付いたようすはなかった。

 不審に思われぬよう、こっそり相手を確認する。

 彫られたリリの葉に、白いヴァロワール文字が浮かんでいる。


『エリザベス』


 それが――オズの青い瞳に映り込んだ、ヴァロワール文字の示す名前だった。

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転生のトリックスター 柳郎 @fobirf863sqed

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