第29話
「……い、今何と言った? エリザベス? 《聖女》が復活した、だと……?」
何とか絞り出したランベルスの声は、混乱と緊張で震えていた。
「はい……信じがたい話ですが」
「ば、こ、そ、そんな馬鹿なことがありえるか!! フローリアン、どこからの情報だそれは!?」
ランベルスは泡を食って、掴みかかる勢いで訊いた。
《聖女》エリザベス――エリザベス・ローレンスは、一〇〇年も前に死んだはずの伝説の勇者だ。寿命で亡くなるまでの生涯を、魔族の討伐と人々への献身に費やした、偉大な英雄だった。
そんな人々のために生きた英雄が蘇り、帝国を率いて戦争を仕掛けてくるなど――一体何の冗談だ。
「セイン・バークス伯爵が持っていた、帝国からの宣戦布告状です。宣戦布告状には一昨日の日付が書かれていました」
「ガーライナのバカ息子が、なぜそんなものを持っている! 大それた悪戯ではないのか?」
「エリザベス復活の真偽はわかりません。ですが、皇帝印は本物でした。あの書状は紛れもなく――」
「くっ、あいつは伯爵だろう!」
フローリアンの言葉を遮って、ランベルスは吠えた。
「なぜ、グロウリンクですぐ連絡をしてこなかったのだ! 内通者か、あいつはぁっ!!」
怒り狂い、手に持つ羽ペンを机上に叩きつける。
最悪だ。これが事実だとしたら、王国は二日間、帝国に後れを取ったことになる。
ぜえ、ぜえ、と荒い息を吐きながら、ランベルスは続けた。
「フローリアン、私はこれから陛下の元へ向かう。お前は、オズワルドの捕縛を優先しろっ! バカ息子は通してやれ、私が直々に問い詰めてやる!!」
矢継ぎ早に指示を飛ばす。
だがランベルスの指示にフローリアンは首を左右に振った。
「お義父様。申し訳ありません……」
「なんだ、どうした!」
「バークス伯爵が、法の特例を盾に出してきました。無理に拘束した場合、こちらの違法性が問われてしまいます」
「なにぃっ!? あのバカがっ、私に楯突きおって! ええい、ならば監視に留めておけ!」
「……畏まりました」
ランベルスは焦燥感に駆られて執務室を後にした。
謁見の間へ向かう足が自然と早くなる。
(なぜ今、このタイミングで帝国が戦争を仕掛けてくるのだ!? 仕掛けられるにしても、サムとラウラが婚約してからでなくては、戦争をする意味がないではないか! いや、それどころか、今はまずい! このままでは、私の『計画』が破綻する!)
サムの妻となるはずのラウラ。そして強さの種類は違うが、ラウラとほぼ同等の価値を持つフローリアンの華々しい活躍で、戦争を有利にコントロールする。
戦場での功績、いち早い占領地への私兵展開と現地民との主従関係構築。最終的に敵国を打ち破った暁には、その領土の幾何かを貰い受け、フライターク家はさらなる繁栄を迎える。そしてゆくゆくは、己を王とする新たな国、『フライターク王国』を築く――はずだった。
しかし、ラウラは未だオズワルドの婚約者のまま。これでは戦争に突入しても、功績を奪われてしまう。
いや、それよりも――帝国は何を考えているのだ?
唐突に湧いた一つの単純な疑問。それは一度認識してしまうと、抜け出せなくなる坩堝だった。
帝国はラウラ・レーゲンに手痛い敗北を喫し、一種のトラウマを抱えているはずだ。だというのに、その恐怖の象徴に挑みかかってくるのは、どのような意図があってのことか。
――まさか、勝てるつもりでいるのか?
フローリアンが告げた《聖女》の復活。俄かに信じがたいが、もし事実なら、帝国がそう考えるのも理解はできる。
なぜなら、《聖女》エリザベスには魔法が通じないからだ。文献によると、《
《聖女》と《氷の女王》、どちらが強いかなど皆目も見当つかないが……。しかし、こちらには《巫女》という切札がある。戦力的にはこちらが有利なはずだ――
ズカズカと乱暴に歩いていたランベルスが、ふいに立ち止まる。睨むような視線の先には、重々しい扉が、彼を拒むようにぴったりと閉じられていた。
ランベルスは扉を見据えると、躊躇せずに両開きのそれを開け放つ。
まず目に飛び込んだのは鮮やかな赤のカーペット。それは真っ直ぐと玉座へと続いている。
その周囲には国王を守る近衛兵が十数人控え、玉座には国王であるデニス四世が、その隣には宰相であるバルトロメウ・キーリスが煌びやかな椅子に腰をかけていた。
そして、彼らの前で跪く二人の男の姿がランベルスの目に映る。
一人は宣戦布告状という爆弾を持ち込んできた『バカ息子』、もう一人は――
――オズワルド・レイヴンズ!!
「失礼いたします!」
内で滾る灼熱の怒りを抑え、ランベルスは礼節に則って入場する。
突然憤怒の形相でやってきたかと思うと、恭しく頭を垂れたランベルスに、デニス四世とバルトロメウは面食らった。
「……緊急の用か、フライターク公爵」
「はっ。仰られるとおりでございます! 陛下」
「一体どのような用件で? まあ、大体想像はつきますが」
バルトロメウが口を挟んだ。
「はっ。……陛下に跪くその男――オズワルド・レイヴンズは危険極まります! いますぐここから締め出すべきです!」
そういって、ちらりとセインの持つ宣戦布告状を目に納める。どうやら彼はまだデニス四世に書状を渡してはいないらしい。その右手には、丸まったままの羊皮紙が握られている。
それならば、まだチャンスはある。
ランベルスは並列して、オズをじろりと睨みつけた。並みの者であれば萎縮する視線だが、当のオズは一瞥もくれず、涼しげにデニス四世へと顔を向けている。
まるで歯牙にも掛けない様に、思わず喉が鳴った。罵倒が吹き荒れそうになるのを堪え、ランベルスは国王と宰相、どちらかの返答を待つ。
「そのことに関してだが……一先ず、私と宰相は彼の処遇を保留とすることに決めた」
デニス四世の返答は予想外の内容だった。
背筋がじわりと冷たくなる。
――どうしてだ、どうしてそんなことを言い出すんだ!!
「
「君が彼を危険視しているのは、テンネスで起きた王国兵六名の殺害事件の実行犯が彼だから……、ということだったね?」
「はいっ! 陛下もその証言を、
オズがぴくりと肩を揺らした。直々ということは、グロウリンクでやりとりをしたのだろう。
どうやらリーマ伯爵はランベルスとグルだったらしい。友好的な態度を取っておきながら、彼は最初からオズを嵌める気だったのだ。
――やはりあいつが証人か。ミラウシス・リーマ。とんだ
内心で毒づき、オズはデニス四世の発言を待った。
「たしかにリーマ伯爵と、それに仕える執事――チャーリス男爵の父ガルシスからの証言は受けたが……、これは些か
その質問にランベルスは言い淀んだ。
現場の兵士は当然オズ側だ。ランベルスは、オズがデニス四世と接触することは想定していない。
そうだ。『バークスのバカ息子』さえ来なければ、オズワルドはここへは来れなかった! 帝国が宣戦布告さえしてこなければ……せめて日が一日でもずれていれば――
「いいえ……そこまでは……」
ランベルスは屈辱で顔を真っ赤にしながら答えた。
雛鳥に成鳥が打ち負かされる。これほどの恥辱はない。
「ですが! 直に支部の者たちから書類が届くはずです!」
「……書類はいつ届く?」
「三日後には届くかと。それまでの間は独房に入れておくべきです。事が起きてからでは取り返しがつきませんよ、陛下! 私は御身を想うからこそ進言しておるのです!」
ランベルスは捲し立てた。
「……冤罪だった場合はどうする。非常に酷だろう。それこそ、《炎姫》シャルロット・カルカッソンの反逆、その背景の再現となってしまう。これから国に尽くしてくれるはずの彼の自尊心を、忠誠を踏みにじる蛮行は避けねばならん」
「冤罪ですか。冤罪であるわけが!」
「ないとは言い切れないだろう。伯爵と男爵の証言を鵜呑みにするのかね? 実に貴方らしくない、不合理な判断だな。現場の者たちが纏めた書類が届くまでは待った方が賢明だ、と私と宰相は判断した。王国はこれから
デニス四世の口から予期せぬ言葉が飛び出した。
「へ、陛下? い、今何と仰られましたか?」
「そういえば公爵はまだ知らないのだったか……。嘆かわしいことだが、再び戦争が始まってしまった。相手は帝国だ」
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