アウトロ
結論から言うと、山都は学校をやめた。
でも音楽はやめなかった。
少し肌寒くなってきた十月下旬。俺は屋上へと続く階段を上る。
ドアの前の踊り場には、エレキドラムとアンプが鎮座している。
リュー先輩は、卒業してもエレドラを置いていくという。二年の先輩たちにあげるそうだ。それを聞いて先輩たちは泣いて喜んでいた。
アンプの一つは俺のだ。まだ置いててもいいだろう。卒業するころには、俺もリュー先輩のように譲りたい後輩ができてるかもしれない。
もう一つは。
「ジョージおはよー」
ドアを開けた先には、持ち主がギターを抱えてアンプの上に座り込んでいた。俺はため息をついて、山都に近づく。
「もう夕方だ」
カーディガンは着てるけど、ポニーテールであらわになった首元が寒そうだ。俺は巻いてたマフラーを外して、山都に巻きつけた。山都は一瞬ぽかんとして、「ありがとう」とくすぐったそうに笑った。
あぁ、もう。
俺も踊り場からアンプを運んできて、山都の向かいに座った。
「つーか他校生が堂々と入ってきていいのかよ」
マフラーを失った首に、風が冷たい。もう少ししたら、ここでベースを弾くのも難しくなるだろう。
「ちゃんと先生に許可もらってるもーん。そのためにこの学校にしたんだし」
山都が通う特別支援学校は、うちの学校から目と鼻の先だった。この高校を選んだのも、リュー先輩がいるからという理由と、すぐ傍に特別支援学校があるからというものがあったらしい。放課後になると、山都は屋上に現れる。こうしてギターとベースを弾いて、だべるのが日課となっていた。
一方俺は、ムジカでバイトを始めた。
文化祭に来ていたオーナーに誘われたのだ。これからどうするか悩んでいた俺は、兄貴の後押しもあってバイトを始めることにした。
リュックのポケットに、手の平に納まるサイズのケースが入っている。いつかのライブで山都がつけてたライブ用の耳栓だ。
ムジカではその耳栓を売っている。山都の耳のことを知ったオーナーが仕入れたそうだ。
「これすごいよな。耳栓なのに、つけてもちゃんと音聞こえるもん」
俺は指先で耳栓を転がした。
ムジカではスピーカーの音量に気を遣ってるとはいえ、スピーカーの真ん前じゃやっぱり耳をやられる。うちでこの耳栓の存在を知ったというお客さんも多く、俺は一人でも多くの人に騒音性難聴の怖さを伝えていけたらと思う。
「そうそう。あたしも耳鼻科の先生に教えてもらってヘビーユーザーになっちゃったもん。『どうしてもライブ行きたいです』って言ったら、じゃあこれを使いなさいって」
ほんとにお前はこりないやつだな……。耳大事にしろよ。
転校してからの山都は、補聴器を隠そうとしていない。クラスメイトにそんな人ばかりだというのもあるようだけど、少しずつ聴力が落ちていってるらしい。
いまの医学では、騒音性難聴を治す手立てはないという。せいぜい大きな音のする場所にいかないようにするくらいだ。
リュー先輩は、医大の合格圏をキープしている。山都の耳を治すことを諦めていないらしい。
耳栓を売るくらいしかできない俺は、これでいいのかと悩んだときもあったけど、オーナーが言ってくれた。
『言葉にしなかったら、行動しなかったら、ないのと一緒だ。松橋くんがやってることには、ちゃんと意味があるよ』
それですとんと落ち着いた。
少し動いただけで満足する気はないけど、まずは一歩。進めるうちは、前に行く。
「それで、学校はどうだよ」
アンプに繋がずギターを弾くともなしに弾いていた山都は、顔を上げた。
「楽しいよ! ジョージに似てる子もいるし」
……それってどうなんだ。めんどくさいやつ?
うすうす気づいてたけど、山都ってもしかして、めんどくさいやつの世話を焼くのが好きなのか?
うわ、それなら完全に脈なしだ……。学校が離れたいま、この放課後の時間から家に帰るまでしか一緒にいられない。つくづくいままで恵まれた環境に甘んじてたんだなぁ。
それでもこうしてつきあってくれるから、嫌われてるわけじゃないと思う。あれか。お友達止まりってやつか。絶望だ……。
「……それって男?」
こういうことを聞くくらいは許されるだろ。なんも考えてないノーテンキ女だ。意識すまい。
だけど予想外に山都はきょとんとして、にまーっと笑ってきた。
「なんですか? ジョージくん、ヤキモチですか?」
「ばっ、なっ……。んなわけねーだろ!?」
なんだよ! 急に恋愛脳出してくんな!
焦る俺に、山都は追い討ちをかける。
「あたしのこと好きって言ったくせにー」
……いまなんつった? それは一度しか言ってないぞ?
「お前……! あのとき聞こえてたのかよ!」
「あ、やば。聞こえないふりしたんだった」
山都は口を押さえるけど、もう遅い。ばっちり聞こえたからな!
俺は勢いよく立ち上がった。が、どうすることもできず、その場にしゃがみ込んだ。頭を抱え込む。
「最悪だ……。なかったことにしたいのに……」
もっとちゃんとドラマチックに告白したかった。それこそ告白だけで山都が落ちてしまうような。
「ちぇっ。嬉しかったのになー」
屋上に沈黙が落ちる。俺はちらりと山都を見上げた。自分が言ったことの意味に気づいてないらしい。
「なんで嬉しかったんだ?」
問い掛けてようやく気づいたようだ。山都ははっとして慌てだす。
「あ、いや、いまのは……」
顔がだんだん赤くなっていく。山都はギターを置いて立ち上がった。
逃がすかよ!
よほどテンパってたのか、山都はドアとは反対方向に逃げていく。馬鹿め、そっちは逃げ場がないぞ?
ぱしっと腕を取った俺は、屋上の柵に山都を押しつけるかたちになってしまった。
「なぁ、あの言葉聞いてどう思ったんだ?」
山都は目を合わせようとしない。真っ赤になってあわあわと目を泳がせている。
「う、嬉しかった……」
「なんで?」
今度はごまかさせない。いじわるかもしれないけど、聞こえなかったふりをされたんだ。これくらい許してくれ。
瞳を潤ませた山都は、きっと俺を見上げて言った。
「もう! 好きだからだよ! それくらい分かってよバカ!」
山都は空気が抜けたように俯いてしまった。
なんだこれ。なんでこいつこんなに可愛いんだ。
「あっはははは!」
つい笑い声も上げちゃうってもんだ。
でも山都はそれをお気に召さなかったらしい。恨みがましげに俺を睨みつけてきた。
「あたしが言ったんだからジョージも言ってよ……!」
「言ったじゃん、文化祭の前に」
「でもあたしが聞こえてないと思って言ったんでしょ!?」
それもそうか。俺は少し考え込んだ。
掴んだままだった山都の腕を離す。
俺は左手をグーにして、右手で左手の甲を撫でるように二回まわした。
その瞬間、赤かった山都の顔がさらに赤くなった。
「ずるい……! 口で言ってって言ってんじゃん!」
「なに? お前これを言ってほしいの?」
山都はぐうっと押し黙る。
まぁ俺も、これを口に出すのは勇気が要る。勇気が出るまでもう少し待ってくれ。
俺は山都とずっと話していきたいんだ。手話をもっと覚えなくちゃいけない。
その代わりといってはなんだけど、俺は山都を抱き締めた。腕の中で山都が緊張したのが分かった。
「そういや俺に似てる子って男?」
まだ聞いてなかった。そこは重要だ。
山都はくすりと笑う。
「女の子だよ。意地っ張りで、音楽嫌いなの」
「俺と全然違うじゃん」
「似てるよー。ツンツンしてるとことか」
ちょっと納得いかない。俺、そこまで山都に冷たいか?
「それじゃ、山都の歌聞かせてやんないとな」
「あーどうかな……。あの子、聾者だからなぁ」
聾者……。小さいときから聞こえないってことか。
「大丈夫だろ。俺をこんなにしたんだから」
しつこさにかけては山都はピカイチだ。その持ち前の明るさで、きっとどうにかできるだろう。
「あ、でも無理はすんなよ?」
「うん、それは大丈夫。あのね、いま、毎日が楽しいの。そりゃあ聞こえの度合いの違いでぶつかることもあるけど、やっぱりあたし、人と話すことが好きみたい。聾者に比べたら手話もまだまだだし、伝わらないこともあるけど、次はなにができるだろうって考えると楽しいの。音楽だって諦めてないよ。聞こえなくても有名になった音楽家とかもいるし」
こいつのこの強さはどこから来るんだろう。俺からしたら、落ち込むようなことがいっぱいあったはずだ。俺の些細なトラウマからも、引っ張り上げてくれた。
「いつかポキリと折れてしまわないか、俺は心配だよー」
頭を撫でながら言う俺に、山都はまたくすりと笑った。
「そのときは、ジョージがいなくなったときだよ」
「は?」
「ジョージがいるから強くなれるの」
どういう意味だ?
首を傾げる俺に、山都は続けた。
「『耳を塞ぎ込んでうずくまる僕を 強い音で引き戻す君よ』」
それはLIVE ON LIVEの歌詞だった。
ライブのことを歌った曲だと思った。それが、俺のことを言っている……?
「ジョージとまた、ステージに立てたらって思うよ」
それは『好き』と同じくらい嬉しい言葉だ。
俺たちを繋いでいたのはライブだった。
最初は知らない人。自分だけが知ってると思ってる人から、お互いに知ってる人へ。そしていまは特別な人。
ライブが俺たちの関係を変えていった。
頭で考えてるだけじゃなくて、口に出して、行動して、そしたらきっと、少しずつでも前に進んでいける。
山都とまた、一緒にステージに立つ日を待っている。
『LIVE』
ライブ、生きる、楽しむ、主食にする。
彼女はLIVEを主食にしている。
〈了〉
LIVE ON LIVE 安芸咲良 @akisakura
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