HERO & HALO
@deppo
第1話
スリッパが僕の顔面にクリーンヒットした。
とても痛かった。
鼻の奥がじんわりと熱くなり、それがだんだんと下に降りてくる。足元にポタポタと赤い雫跡が幾つも出来ていく。
そして間髪入らず、今度は口にスリッパで一撃を入れられた。強烈な痛みとともに唇が痺れ、顎を伝ってまた血が滴り落ちていった。
堪らず手で押さえてその場にしゃがみ込んだ。
机に手を置いて立ち上がろうとしたら、その手にスリッパを叩きつけられた。痛くて尻餅をつき、後ろの机に頭をぶつけてしまった。
「うっ…ぐ……」
「ここまでされて泣かないのは偉いねェ。人が来ないから楽で助かるよ」
「まーどんなに声上げても人は来ないけどネー」
目の前の机に腰かけた二人はそう言った。
夕暮れの教室。
風が吹き込んでカーテンがゆらゆらと揺れる。
外からは運動部達がグラウンドで練習する声と吹奏楽部の演奏が聞こえてくる。
一見するとまるで甘酸っぱい青春ラブストーリーでも始まりそうなシチュエーションだが、実際は『尋問』が行われていた。
僕の目の前には二人が座っている。
片方は中年か初老近いおじさんって感じだ。髪は黒いが白髪混じりのオールバックで、タキシードのようなキチッとした服を着ている。
もう片方は少女だった。こちらは真っ白な髪で、黒いゴスロリチックな服を着ていた。何より特徴的なのは顔を斜めに縦断する縫い痕だった。
「もーそろそろ教えてよー。私暇じゃないんだけドー」
「まぁ話してくれるのを待とうよ。それか話したくなるようにしてあげればいいんだから」
その男は手に持ったスリッパを投げ捨て、今度はその背に背負った大きな刀のような刃物をゆっくりと引き抜いた。
「ま、待ってよ! 僕は本当に何も……!」
「はいはい…っと!」
僕がそう言葉を発した瞬間、男はその刀を振り下ろした。
それは隣に置いてあった机に音もなく通過した。そして数秒後、まるで机がやっと斬られたことに気づいたかのようにバタリと二つに分かれて倒れた。
その光景を見て、僕は全身から血の気がスゥッと消えていった。
「いいだろう? この刀。俺の自慢の一品さ。斬れ味抜群なんだぜ」
刀身を撫で、うっとりするようにそう呟いた。
その刀身には僕の姿が鈍く反射している。
「その机のようになりたくなければ、話すんだね。昨日のことを」
「だから、全部話したって……」
「おおっと! 手が滑って刀が君の方に!」
刀が頭に向けて振り下ろされた。
そしてほんの1cm程上にピタッと止まった。
ションベンちびるかと思った。
「危なかったねぇ君。変なこと言うから手が滑っちゃったよ」
全身から気持ち悪いほどの汗が噴き出し、制服をベットリと濡らした。しかし感じる温度は10月にふさわしい少しヒヤリとしていた。
「このガキ、何でそんなに喋らないんダ?」
ゴスロリの少女が苛ついた顔で、ぼくを机の上から睨み下ろした。どちらかといえばあんたの方がガキだ、と言いたいが言うとどうなるか分からないので黙っておいた。
「そう邪険に言うなよ、もっと警戒されちゃうじゃないか。……じゃあ、警戒を解くために自己紹介でもしよう」
男は白髪が混じった髪をかき上げながら僕にニコリと微笑んだ。
僕には笑顔がとても狂気じみて見えた。
「俺は
「ちっこい言うな」
「んなこと言ってもお前がちっこいのはホントだろうが。こいつはジャーマンダーだ」
ジャーマンダーと紹介された少女はフンッと鼻を鳴らし、また僕を睨みつけた。
何もやってないのになんで睨まれるんだろう。
「さて……じゃあもう一度聞こう、
僕の名前を勿体ぶり、噛みしめるかのように呼んだ。
すると突然男の額に皺が寄る。
まるで鬼のような形相と化し、僕の髪を引っ掴んだ。
「…君が! 昨日の夜! 会った人物を教えろォ!」
そして男は、先程襲撃してきた時に投げかけた質問を再度僕にぶつけた。
僕は、また同じ答えを繰り返す。
「知らない! 僕は誰にも会ってないってば!」
◇◆◇
昨日の夜起こったことを僕は忘れない。
僕は置いてきてしまった忘れ物を取りに学校に向かっていた。
10月の夜とあって少し肌寒いが、月がとても綺麗だった。
空に浮かぶ丸い月。
どこからか聞こえる虫の声達。
街灯に照らされて薄ボンヤリと明るい道。
しかし、僕はグラウンドに佇んでいた少女から目が離せなかった。
閉じられた校門を乗り越えて学校の敷地内に入ってすぐ、その少女の姿が見えた。
グラウンドの真ん中に一人で立って僕を見ていたのだ。
僕はただ呆気にとられて立ち尽くしていると、少女はこちらに向かって歩いてきた。
少女は黒いセーラー服を着ており、スカートを膝上まで折っている。シュッとした顔立ちで、肩までの黒いショートカットだ。
「何をしているの?」
目の前まで来た少女は僕にそう言った。
「が、学校に忘れ物しちゃって……」
「
「え? あ、どうも……」
僕が名前を聞こうとした瞬間に、彼女は先に名乗った。
心が読めるのかしらん。
「でも誰かに教えちゃダメだから」
「じゃあ何で言ったの…」
「さぁね」
飛鳥と名乗った少女はそう気の抜けた返事を返しながら上を見上げた。
つられて上を見上げるもあるのは大きな満月だけだ。
「満月の日は生物の本能が高まるらしいよ」
飛鳥は月を見上げたまま呟いた。
「人の出生率も満月の日が多いんだって。食べる量とか睡眠量もその日が1番高いそうよ」
「そ、そうなんだ…」
何を突然言い出してるんだろ。
ちょっと不思議系入ってるのかな。
「だから雨虎くん。あなたは早く帰りなさい」
「え?」
何で僕の名前を……?
その問いを投げかけようとしたが、その声は彼女へ届かなかった。
僕の声をかき消す程の轟音が校舎の方から響いてきた。さらに音だけでなく体を吹っ飛ばす衝撃がほぼ同時に訪れる。
僕の体は1〜2秒くらい宙を舞い、校門に背中から叩きつけられた。
「雨虎くん! 大丈夫!?」
「な、なんとか…」
そう答えながら顔を上げると、飛鳥ともう一つ人影が現れていた。
人影はまさに『影』といった感じで、何というか、体全身に濃く黒い
「早く帰りなさい! 今すぐ! 走って!」
「な、なんだよあれ!」
「そこにいると死ぬわよ!?」
すると、『影』は動いた。
背中(?)からスルリと長い棒状の物を取り出し、飛鳥の頭めがけて振り下ろしたのだ。
しかしその動きに飛鳥が気づくと、その場で後ろへ飛び退き、回転しながら回避した。いわゆるバク宙だ。しかし体操選手のような回転ではなく、空中で手足を三角座りのように丸めながら何回転もしていたのだ。
「もう動きは覚えてる!」
『影』は再び武器を下から振り上げた。それはあまりにも速く、太刀筋が全く見えなかった。
だが飛鳥は切り上げる瞬間にはすでに『影』の後ろへ回り込んでいた。
そして頭にヘッドロックし、思い切りひねり上げた。
『ゴキッ』
そんな鈍く温い音が聞こえてきた。
瞬間、『影』の動きはピタッと止まった。そして数秒後、飛鳥がヘッドロックを解くと前のめりに倒れ込み、それっきり動かなくなった。
「…言ったでしょ? 早く帰りなさいって」
首が飛んでいくくらいの勢いで頷いた。
僕は急いで立ち上がり、校門を乗り越えて全力で走った。一回も後ろを振り向かずに。
そして家まで帰ってすぐさま自分の部屋へ行き、ベッドの中へ潜り込んだ。
そして「あれは夢だ」と心の中で延々と復唱しながら、ゆっくりと眠りについていった。
◇◆◇
あれは夢だと、朝起きた時にも思った。
しかし、学校に来た時に気づいてしまった。
校門のすぐ近く、その足元に不自然な抉ったような跡があることに。
あの『影』が最初の一撃を空振ったときについたのだろう。
みんなは気づきもせず通って行ったが、僕は気づいた。
その結果が、今である。
「君も覚えてるだろう? 昨日の夜学校で起こったヤツをさァ」
目の前の男は僕の首筋に刀を当て、ニッコリと笑った。まるで少年のような笑顔だが、今まで生きてきた中でここまで不気味な笑顔は初めて見た。
「し、知らない…」
僕は必死に隠した。
なぜこんなに必死になって隠しているのだろうか。
あんな全然知らない変な女の子のために。
僕が死にそうになりながら。
自分自身分からない。
だけどこの男、見覚えがあった。
昨日のあの真っ黒な『影』。
顔も声も分からなかったが、この『体格』『刀のような武器』『剣を振る速さ』、全てがそっくりだった。
昨日の『影』とコイツは何か関係がある。
もし、僕がここで喋ったら。
飛鳥という名前、その容姿、声……。
何かを喋りさえすれば。
僕に向けられているこの刀はあの
例え僕がこの場を助かったとしても、少女に危険が及ぶと分かっている以上、僕の気分は最悪なものになるだろう。
彼女を助ける義理なんか僕にひとっつもない。
だけど、僕は彼女を助けたい。
「僕は、知らない!」
精一杯の勇気を振り絞ってそう叫んだ。
「あぁ、そ」
男の顔から笑顔がパッと消えた。
そしてすぐに眉間に皺が現れる。
「なら死ねェ!!」
男の腕に力がグッと入った。
僕の首をいとも簡単に刀が裂いていく。
一瞬視界の端から赤い鮮血が迸った。
次の瞬間、僕の首は宙を浮いた。
目線の高さがふわっと数センチ上がる。そしてちょっとだけ天井が近くなり、すぐに離れていく。
首を切断されても人によっては数秒間意識があるらしい。僕はそれが起きているのだと思った。
しかし、それはすぐに起こった。
頭が床に落ちる直前、ピタリと停止したようだった。そのまま再び天井がゆっくりと近づいてきて、そしてまた離れていった。
だがそれは床に落ちたのではなかった。
また僕の体、切断されたはずの首の位置にピッタリと着地したのだ。
そしてさっき見た迸っていた僕の血は吸い込まれるかのように首元まで収まっていく。
「ェね死らな」
男が意味不明な言葉を叫びながら刀を僕の首から引き抜いていく。
「そ、ぁあ」
何が起こったのかさっぱり分からなかった。
すると一瞬男の動きがピタッと止まり、また動き始めた。
今度は逆再生ではなく、普通に
「あぁ、そ」
さっき言った言葉をまた繰り返す。
そして、また男の眉間に皺ができた。
「なら死―――」
「間に合ったああああああああああああああっ!!!」
突然そんな叫び声が聞こえてきた。
その声と同時に、目の前の男の顔にドロップキックが炸裂した。
「ぬぐおぉぁ!?」
男はあまりにも不意だったのか、なんの受け身もなく机を巻き込みながら教室の端まで突っ込んでいった。
「テメッ、このやロ……ッ」
ジャーマンダーが机の上から、現れた少女に飛びかかった。
その瞬間、ジャーマンダーの顔に少女のハイキックがめり込むようにヒットした。
短い悲鳴を上げながら小さな体は後ろへ吹っ飛び、派手な音を立てながらガラスを突き破って外へ落ちていった。
「ギリギリセーフ! って感じだね」
体勢を立て直して少女はそう僕に呼びかけた。
そしてニコッと微笑みかけたその顔。紛れもなく昨日現れたあの少女、叢雲飛鳥だった。
ただ雰囲気が昨日となんか違う気がする。
「雨虎くん、怪我はない?」
「え、えぇっと…、少し鼻血が出てるくらいだから大丈夫、かな」
「そ、なら良かった。じゃあ早く逃げるわよ!」
飛鳥はそう言うと手を握り、僕の体を軽々と引っ張って起こした。
僕は太ってる方ではなく、むしろ細い方だ。しかし、飛鳥のように華奢な体格の女の子の力では引っ張り上げるのも苦労しそうなものだが、どこにそんな力があるのだろう。
「ほら、行くよ!」
そして手を握られたまま、飛鳥は駆け出した。僕も走ってついていく。
そのまま教室のドアから飛び出して廊下を走り出した。
「助けてくれてありがとう…」
「いいのよ。私のせいで襲われたっていうのもあるしね」
「でも、なんかよく分からないことばかりで頭の整理が追いつかない…」
すでに情報過多で頭がオーバーヒートしそうだった。
それに体がふらふらする。
「首が切られたのに元に戻ったり…、あれは君がやったの?」
「『切られた首が元に戻る』? …普通そんなことあるわけないでしょ?」
当たり前のことを、飛鳥は当たり前のように言った。
「だよね…、あれは幻覚か何かだったのかな」
「いえ、現実よ」
「え、でも今あるわけないって…」
「普通なら、ね。私達、普通じゃないのよ」
これも、彼女は当たり前のことのように言ってのけた。
「普通じゃない…? それってどういう―――」
どういうこと?
その言葉は後ろから聞こえた轟音によりかき消された。
振り返ると教室の壁と廊下の壁が吹き飛び、外の風景が丸見えになっていた。
そして黒いゴスロリ少女、ジャーマンダーがこちらへ駆け出していたのだ。
ジャーマンダーはありえないほど速かった。
僕らが30秒近くかけて走り抜けた距離を、彼女は5秒足らずで走り、もうすでにすぐ後ろにまで迫っていた。
その顔はガラスで切ったのか蹴られた怪我なのか頭部からの血で染まり、まるで鬼の形相だった。
「待っちやがレェェェェェェ!」
ジャーマンダーが走った後には足がめり込んだ跡が出来ている。ぅゎょぅι゛ょっょぃ。
そしてジャーマンダーが思い切り踏み込むと、まるでロケットの様な勢いで飛び出してきた。
これ車でも跳ね除けるんじゃないの。
「2人諸共くたばっちまエッ!」
ジャーマンダーの拳が放たれた。
脚力があれだけあるなら、腕力もヤバイだろうな。
その拳が僕の鼻先数センチまで近づいた時、ピタッとまた勢いが止まった。
そして拳を出した時とほぼ同じくらいの速さで引っ込め、ジャーマンダーは後ろの方へ飛んでいく。
「退いて!」
ジャーマンダーが廊下に降りた瞬間、飛鳥は僕を前の方へ放り投げた。やっぱりすごいパワー。
まるでカエルみたいにベタンと着地し、顔の痛みを堪えながら再び飛鳥の方を見ると、ジャーマンダーがまたこちらへ飛び上がった瞬間だった。
飛び方、勢い、格好…、全てさっきと同じだった。
ただ一つ違うのは、さっきまでそこにいたのが僕じゃなくて飛鳥になっているということ。
「なニッ!?」
ジャーマンダーは一瞬戸惑った様子を見せたが、再び拳を握りしめて今度は飛鳥に向けて放った。
そしてそれと全く同じ瞬間、飛鳥は拳の軌道からしゃがみ込み、回避した。
「うそだロ!?」
「どんだけ速いパンチでも、タイミングとスピードと軌道さえ分かれば…」
今度は飛鳥が拳を握りしめた。
そして自分の頭上を通過しているがら空きになっているジャーマンダーの腹に思い切り突き上げた。昇◯拳みたい。
「うぼエッ……!」
そんな感じの鈍い悲鳴を上げてジャーマンダーは上へ吹っ飛んでいった。
天井を紙か何かのように簡単に突き破り、ゴスロリ少女の姿は見えなくなった。
「躱してカウンター叩き込むなんて簡単なことなのよ」
飛鳥は西部劇のように、拳にフッと息を吹きかけてそう決め台詞を吐いた。カッコいい。
「よし、逃げるわ!」
◇◆◇
御影蓬が目を覚ますと、標的2人の姿と教室の壁が無くなっていた。
「老体に鞭打つってこういうことだろうねェ。ったく、なんで五十路にもなって運動しなけりゃならんのだ」
ゆっくりと刀を杖代わりにして立ち上がり、教室を出る。
教室から出て少し歩いた所の天井に穴が空いていた。その穴のちょうど真下辺りにジャーマンダーが転がっているのが目に入る。
近づいて刀の鞘でツンツンと突いてみた。
「ん…、なんだ、ヨモギかヨ」
「何だとは何だ」
目を覚ましたジャーマンダーはむくっと起き上がると、眠そうにあくびした。
「あいつらハ?」
「逃げたらしいな。まったく、上にドヤされるぜ」
蓬はめんどくさそうに携帯を取り出し、電話をかける。
「いい加減スマホに変えろよジジイ」
「何なの使い方が難しすぎる」
そう答えながら口の前に指を立てて静かにするよう伝えた。
コールがしばらく続いた後、相手は答えた。
『どう? やれた?』
無機質な機械の声。電話口が男なのか女なのかそれすら分からない。
「いや、逃しちまった。そんで悪ィんだが教室とか直しといてくれ」
『またぁ? 直すこっちの身にもなってよ』
「それがアンタの仕事だろう? じゃァな」
そう言い残して電話を切り、ポケットにしまった。
「ヨモギ、おんぶしてくレ」
「はいよっと」
刀を手に持ち、背中にジャーマンダーを背負う。とても軽い、と感じた。
偶然か二人は同じタイミングで大きなあくびをした。
「さァて、明日から本腰入れてブチ殺しに行くかァ」
二人は夕暮れの学校から出ると闇に紛れて消えていった。
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