第109話 急所
しばしの間、その人は私を見つめていました。
言葉を失ったようでもあり、ショックを受けているようにも見えました。
私から目を逸らすと彼女は黙り込み、空気が止まったような感覚に陥りました。
一瞬、この人は泣いてしまうのではないかと不安に思いました。
その人は目を伏せ、静かにため息をつきました。そして再び私の顔を覗き込み、憐れむような、諦めるかのような哀し気な眼差しで私を見つめました。
「・・・あなたは、愛すべき人みたい。」
暗い眼差しでその人は告げました。
「そんな風に思われていたなら、夫はさぞ心地よかったでしょうね。あの人はいろんな女性と付き合ったみたいだけど、長続きしなかったの。商売の人もいたみたいだし・・・だから、あなたみたいな、真面目そうな人は厄介ね・・・」
皮肉っぽく、その人は呟きました。
そしてあらためて私の目を覗き込むと憂いるような表情になりました。その彼女の顔の美しかったことを覚えています。
ふたたび短いため息を洩らし、呆れた風な、困っているような、なのにどこか温かいまなざしで私を見つめたその人は、やがて言葉を継ぎました。
「あなたのような人は・・・そうね、不器用なのかな・・・でもあなたはもっと、うまくできるはずなのに。」
彼女のその言い方が、私には不可解でした。この女性は私を憎み、怒っているはずなのに、そのような素振りが感じ取れないのです。
「こういう形はあなたにはふさわしくないでしょうね。あなたはもっと、真っ直ぐに愛せる誰かといるべきじゃない?」
そのように言われて、なぜでしょうか、私は余計に涙が止まらなくなって思わず手で口元を覆いました。声が漏れそうになるのを必死で堪えていました。
なぜ、この人はこんな言い方をしたのでしょう。なぜこの女性は私を責めたて、罵らないのでしょうか。
それが普通ではなかったのでしょうか。
私を見つめて、認め、尊重しているかのような態度と物言いに、私は自分を守る必要性を失っていました。
どうして?
なぜこの人は、はじめからそのような立ち位置で私に接してきたのでしょう。
そんな風にされてしまったら。
私はただ俯いて、自分のしてきたことを悔やむしかなかったのです。
もともと悪いことをしているのは、ずっと知っていたのです。
激しく憎まれ、暴言を浴びせられるよりも、彼女のあり方に私は自分の罪深さを思い知らされました。
この人だけが終わらせ方を知っていたのだと悟りました。
この迷路を。
このゲームを。
もう少し遊ばせてあげたかったけれど、でも、ごめんなさい。
そんな風なけだるさと優しさを併せ持つようなたたずまいで。
ただ姿を現すだけで、そっと出口を促し、終わりのときを示すことが。
おそらくこの人には、たやすいことであったかのようでした。
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