第107話 理由
「今になってあなたに会いに来たのは・・・娘が夫とあなたのことに気付いてしまったからなの。ロックのかかっていない隙に、夫のスマホを盗み見たらしくて、動揺してしまって・・・」
須藤の奥さんは一息ついて運ばれていた紅茶に口をつけました。私は微動だにせず、彼女を見つめたままでいました。
「それ以前から、やはり両親がこんな風だとどこかひずみができてしまったのかしら・・・今、娘は学校へ通わなくなってしまっているの。あなたのことだけが原因と言うつもりはありませんけど、今はあなたの存在が娘にとって良いわけないでしょうから、仕方なくここまで来たんです。」
その口調は、まるで気の進まないことであったと言わんばかりでした。彼女の話し方にも驚いていました。私のような立場の者に対して、配慮の感じられる言葉を選ぶことにも戸惑っていました。もっと汚い言葉で、怒鳴られ、罵られてもおかしくないはずでした。なのにこの人は、常に丁寧な態度で接してくれていました。真の気丈さとはこのような振る舞いをあらわすものかと感銘を覚えていました。
「いま、娘はひどい反抗期で・・・私だけではいい加減に参っています。私達夫婦のあり方を、いまさらながらに子供に責められているような気もするの・・・」
小さくため息をつくと、自嘲するように彼女は視線を逸らしました。
「友人や親戚からは、前向きな言葉をかけられることもあるけれど、結局は他人だから言えることだと思うの・・・本当に親身になって、真剣にあの子のことを考えてくれる人がいるとしたら、夫だけだという気がします。私達、夫婦としてはうまくいかなかったとしても、娘のことで頼れるのは、結局はあの人だけかもしれなくて・・・」
いくぶん愚痴をこぼすかのように、憂鬱そうな表情でした。彼女の声も、口調も、諦めたような響きがありました。
「私だって、あの人と別れようと思ったことはありましたよ。それこそ、何度もありました。娘を連れて実家に戻ることもできたでしょうが・・・」
少し考える風に、思い返すように彼女は視線を遠くへ向けました。
「でも、嫌だったの。両親に、特に母親に干渉され続ける生活に戻るのかと思うと・・・私だけではなく、娘もそうなるのかと思うと耐えられませんでした。結局、自分の実家に戻るよりは、夫といる方がましだと気づいてしまって・・・それも、私の個人的な事情になってしまいますけど。」
いくぶん強い口調でした。私は複雑な気持ちでこの女性を見つめました。裕福な家で育ったとしても、うかがい知れない苦労があったに違いないと想像しました。浮気を繰り返す夫よりも、耐えがたい実家とは・・・
少しこの女性に同情し始めていました。自分も離婚したときは、両親に申し訳なく思ったものだった・・・
ですが、干渉がひどく家に戻りたくはない、という感覚は自分の両親に対して想像しかねました。
「まあつまり、自分の親と比べたら、夫といる方が楽なのかもしれません。実際、夫はいつも優しいんですよ。ある意味、可哀そうなほど、私や娘に気を遣っているようだし・・・人並み以上の生活もできていると思います。毎年、私と娘だけで海外旅行にも行けますし、自由にさせてくれるし・・・たまに私や娘といつもより多く話した時なんて、あの人はどことなく嬉しそうにも見えます。いじらしいほどに・・・」
彼女の話を聞きながら、だんだんと悲しい気持ちになってきました。一体この夫婦は、形だけあればそれで良いのだろうかと不可解でした。
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