第104話 初対面
須藤の妻から電話を受けたことを須藤に知らせたく、東京にいるはずの彼の携帯に電話をしました。何度もかけましたが、間の悪いことにつながりませんでした。
ひどく苛立ちましたが、こうなってしまってはもう、あがいたところでどうなることではないと覚悟を決めました。いつかこのような日が訪れかねないと想像しなかったわけではありませんでした。
なのにいつの間にか私は、家庭ある人との関係に慣れきってしまい、どうやら何事も起こりそうもないなどと、愚かな思い違いを重ねてしまっていました。
その日は残業も英語の仕事もなく、私の心は浮き立っていました。夕食をかねてどこかレッスンをするのに良さそうなお店の下見でもしようか、あるいは早めに帰宅して授業の準備をしたものかと考えていました。
ですが須藤の妻からの電話は私を不安の渦に突き落としました。あまりにも突然に、たったひとりで彼女に会わねばならない時間が迫りつつありました。
会社から一目散に逃げてしまいたいと考えもしましたが、名前も職場も知られていて、とうてい逃げられるものでもないという諦めもありました。途方にくれつつ定時を迎えると、覚悟を決めて待ち合わせ場所に向かうしかありませんでした。
限りなく重い足取りで中心部にある老舗ホテルへと向かいました。ホテルのロビーは広く解放感があり、待ち合わせをしているらしき人々で賑わっていました。
怖くて仕方ありませんでした。ここにすでに須藤の妻がいるのだろうかと虚ろに思いながらあたりを見回しました。
「すみません、桜井さんでしょうか・・・?」
すぐに声をかけてきた方がいました。振り向くと、どちらかと言えば小柄な、きちんとした服装の上品な女性が立っていました。
須藤の奥さんは須藤よりも何歳か年下であると聞いたことがありました。四十代のはずでしたが、もっと若々しく、三十歳代後半ほどに見えました。
互いに緊張していたはずでした。私も恐ろしい気持ちでしたが、おそらく彼女の方も、決して心浮き立つような対面ではないはずでした。
ですがその方はむやみな敵意をまき散らすような態度ではありませんでした。それどころか丁寧で、穏やかで、相手を気遣うような空気をまとっていました。
私は初対面であるその女性を目にしてすぐに言葉が出てきませんでした。
慌てて深くお辞儀をしたのは、顔を見られることを無意識に恐れたからかもしれません。
激しい緊張に体中から汗が噴き出しているのがわかりました。どれほどの恐ろしい時間が自分に降りかかろうとしているのかと、おののいていました。
それなのに、意識の奥のどこかで・・・
その女性との対面に、なぜだか奇妙な感慨を覚えていました。
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