第98話 交渉

「須藤部長、私もはやく不動産を買いたいです。いつ買ってもらえるんですか?」


 ある週末。須藤が部屋に来たとき、私は彼にまとわりつきながら口にしました。


「うーん、前にも言ったけど、ユリちゃんがローンを使うには勤続年数がまだ厳しいからね・・・女性だと、結婚して仕事を辞めそうだと思われがちだし・・・今はまだ難しいかな。でもあと何年か勤めていれば、チャンスがあるかもしれない。」


 私を腕の中に抱き寄せながら、須藤は困ったように笑いました。


「オーナーになると、なにかと面倒も出てくるものだよ。ユリちゃん、お小遣いが足りないの?」


 須藤は私を見つめると、甘やかすように尋ねてきました。


「そうじゃないんですけど・・・でも、営業の仕事は好きじゃありませんし・・・私も、いつ会社を辞めることになるかもわかりませんから・・・いつも、須藤部長がうらやましいんです。会社以外の収入があるというのが。」


 私は須藤から不動産の話を聞くのが好きでした。借金を抱えても、返済額以上の収入を得られる仕組みは大いに魅力を感じていました。


 いずれは自分も不動産を買うことはできないかと秘かに考えていました。須藤が毎月私に与えてくれるお金も、ほとんど手を付けずに貯金していました。


「会社でも、何人かは夜のアルバイトをしていますし・・・私もいつか、不動産を買う頭金を貯めたいので、なにか副収入をと思って・・・」


 そこまで話すと、須藤は顔を曇らせました。


「ユリちゃん、夜の仕事なんてするもんじゃないよ。夜中まで飲んで働いて寝不足になったり、体を壊したりしたらどうしようもないし・・・そもそも、そういうところで働いて欲しくない。いずれ本当にユリちゃんがアパートのひとつでも買うことになったら、俺も多少は援助するから、夜のバイトなんかする必要ないよ。」


 須藤はもちろん反対しました。予想どおりのリアクションでした。


「いいえ、夜のお仕事ではなくて・・・実は、英語教室で働いている友達が、個人レッスンを担当する人を探しているらしくて・・・私にやってみないかとすすめてくれたんです。」


 彼の顔色をうかがうように、私は慎重に話し始めました。


「ああ、ユリちゃん、英語が得意だったもんね。そんな話があるの。」


 先ほどの不機嫌さとはうって変わって彼の声の調子が変わりました。


「女性の生徒さんだそうです。平日の勤務後か、週末の互いに都合の良い時間を調整してできるそうです・・・私、ぜひやってみたくて。とても勉強になると思いますし。」


 私は須藤の首元へ腕をからませ、甘えるようなそぶりで伝えました。私がすり寄っていると、彼はいつも上機嫌でした。


「そうなんだ。良かったね・・・でも週末が忙しくなってしまうの?」


 少し考えるように訊ねられ、私は須藤の頬へキスをしました。


「・・・須藤部長と会う時間には差し障りないようにするつもりです。午前中にレッスンするか、夕方以降にして、須藤部長の来る時間は避けますから・・・あるいは平日の夜なら、締め以外の時期は調整しやすいですし。」


 私は須藤の腕や足を撫でさすり、べたべたしながら伝えました。


「そうか・・・英語の先生なんてかっこいいね。ユリちゃんに似合うかもしれない。いつかユリちゃんと海外旅行に行けたら通訳してくれる?」


 須藤はまんざらでもなさそうに言いました。


「そうですね・・・まあ、そんなにうまくないですけど。でも旅行に行けたらうれしいです。がんばって勉強します。」


 会社には内緒のアルバイトの相談でしたが、須藤の感触は悪くありませんでした。影ながら上司の承認も得られたので、新しい機会に心ときめかせていました。

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