第85話 機会
私もいろいろ無頓着なところがあったと思います。貴之からの電話を着信拒否にしたり、強硬にやめさせようという気力まではありませんでした。
最初こそ不快で動揺もしたものですが、その後は思わぬ衝撃を受けるほどのことはなくなっていました。我ながら順応が早かったのかもしれませんが、私の中に、彼に対するわずかな懐かしさや、気安さが残っていたのかもしれません。長く話されることもありませんでしたし、それほど中身のないことを短く話す程度だったので、放っておけば良いという程度に受け流していました。
そして少しの時間、彼の相手をすることに、罪悪感もありませんでした。仮に貴之が勝手な期待を膨らませて復縁を願おうとも、その思惑がいずれ手ひどく裏切られようとも、彼がいくら傷つこうが私には構わないことでした。むしろ好都合なほどでした。
須藤に対する罪悪感もありませんでした。元夫と私がどう関わろうと、もともと不義の関係である須藤に対してさほど悪いとも感じませんでした。
須藤との関係も、彼の熱が冷めてしまえばいつ終わりを迎えてもおかしくない頃合いと認識していました。私の方は、いつそれを切り出そうかと様子を伺っている状態でした。
彼に別れを言い出さないまでも、部署を変わりたいという申し出は真剣に切り出すつもりでした。何か月も前から、私はある取引先の担当者との折り合いが悪く悩んでいました。婉曲な言い回しで須藤に相談したこともありましたが、私にとって深刻なところが彼には伝わっていないようでした。
元いた部署の先輩達にも愚痴をこぼしたことがありました。女性ゆえの不快な思いをさせられていたので、彼女たちの方が私に共感してくれました。
営業職はかつての内勤業務からすれば多くの人と出会い、さまざまな経験を重ねることができました。ですが私は疲れていました。人に会うこと、繰り返し新しい人々と出会い、関わってゆくこと、かつ出会いのうちの多くは空振りむなしく途絶えること、いずれにも疲弊しつつありました。
私はあまり多くの人と関わるのが得意ではありませんでした。須藤のようにはなれませんでした。彼ほどに要領よく、人の中を渡り歩いてゆく術に長けてはいませんでした。
そんな思いもあり、ある夜のこと、部署内で須藤と私のみが残っていた日、たまりかねて彼に告げました。
「須藤部長、少しお時間良いでしょうか。」
他の部署の人たちも相当まばらになった時間帯でした。やや改まった私の口調に彼も違和感を覚えたようでした。
「・・・どうしたの。そんな怖い顔をして。何か、深刻な話?」
同じ部署の人たちは既に帰っていて、彼と私の席はすぐそばだったのであえて応接スペースへ移動するほどではありませんでした。私は自分の溜めていた思いを彼に伝えるチャンスだと思いました。
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