貴之のことを無理に忘れる必要なんてないと思うんです。その時愛していたのは確かだし、その時は幸せだった。その時の自分を否定する必要なんてないのだと思うのです。だって、壊れたのはユリちゃんのせいじゃないから。更には、貴之のせいにする必要すらないわけで。彼にユリちゃんの人生を左右する程の役割を与えなくともいい。ただ、時が流れたのです。その風景は思い出であり、今の貴之は過去の残滓。懐かしい以上の意味はなく。須藤もまたしかり。永遠とは分断された時の積み重ねであり、決して連続しているわけではない。変化してゆく毎日のなかで、何もかも変わりゆく。愛し続けるのでなく、日々、愛を探し合うのですね。
須藤にしても、手管として利用しようと定めた愛人という地位にいながら、いつしか真実須藤を愛し始めていた。これは全く卑下することではなく、ユリちゃんの素晴らしさだと思うのですね。愛することは何かを築くための行為ではなく、愛すること自体に意味がある。どのような相手であれ愛を感じることが出来たなら、それは人間として最高の美徳であり宝だと思うのです。愛を知ることで人は大きな世界を手に入れる。人一倍優しいユリちゃんは人一倍苦しい想いをされるのだと思います。でも、だからこそ愛を知ることで本当の強さを見出だすような気がします。ユリちゃんは、もっともっと美しくなるでしょう。
あっ!しまった!べらべらと!スミマセンっ!長文、失礼致しましたっ!!
作者からの返信
無理に忘れなくてもいい・・・そのように、自然に受け止めるにはユリちゃんは成熟していなかったのでしょうね。彼女の思い描いた幸せの形がかつてはあり、ステレオタイプ的なものだったかもしれませんが、それが欲しかったのだと思います。
うまく行かなかった関係や過去に傷ついたままで、怒りを抱え憎んだりすることでなんとか自分を保っているところがあったのかもしれません。
ただ時が流れた、懐かしい以上の意味はない思い出。何もかも変わりゆき、日々愛を探し合う・・・過去にとらわれ、傷ついている人にとっては前向きになれるかもしれない言葉ですね。ユリちゃんは傷ついたままで、癒えてなかったのでしょうね。
“愛すること自体に意味があり、愛を感じることができたなら最高の美徳であり、宝である”
なんと美しい概念でしょうか。そのような思いを自分の中に持ち続けられたなら、どんな形であろうと救われますね。愛を知ることで怖かったり、傷つくことはあっても、喜びも確かにあって、人は豊かになりますね。
呪文堂さまは愛についてまっとうに向き合っている方なのでしょうね。愛という言葉は平易に使われがちですが、その概念は無数にあって、大いなる広いものでありながら、ごく狭く捉えられがちでもあると思います。だから愛について思える、感じられる時は貴重なひとときですね。
呪文堂さまの言葉は、とても心地よくあたたかい音楽のように心に沁みます。長文、いつも歓迎です。ゆっくり語らって下さると嬉しく思います。愛について、いつでもぜひ✨
編集済
真面目な方なんでしょうけど、それにしても呪文堂さんって方のコメント激長っすな。エピソードの本文より長文かもではありませぬか
作者からの返信
実はこのお話は皆さまのコメントも含めての読み物なのではと感じたりします^^ コメントを残して下さる方はツワモノ揃いですからね^^ いつも本当にありがたく長文も嬉しいです♡返信も長くなっちゃいますね・・・^^