第64話 奇遇

 その頃と同じ時期であったと思います。私にも皮肉な変化が訪れていました。倉木さんが入社するよりも少し前の時期でしたが、私は元夫が勤務する会社の入っているビルへ出入りするようになっていました。


 当時、須藤と私の担当する取引先の会社が移転しましたが、その移転先のビルに元夫の会社も入っていました。それを知った時の私は重い気持ちにならざるを得ませんでした。


 とは言え元夫の会社が直接の取引先ではありませんでしたし、彼の勤務しているビルとは言え、そうそう出くわすことがあるわけではありませんでした。当初はそのビルを訪れるのは気の進まないことでしたが、変にびくびくしても仕方がないとやがては開き直っていました。元夫に会うことなどありはしないと自分に言い聞かせました。


 実際しばらくは何の問題もありませんでした。元夫は内勤だったので、彼が社内から出かける機会もあまりないはずでした。


 ですがそのビルへ足を運ぶ機会が増えればやはり確率も上がってしまったのでしょう。須藤と私はその取引先への訪問を終えて下りのエレベーターを待っていました。扉が開いた時です。その狭いスペースの右奥に、かつての夫が立っていたのが目に飛び込んできたのです。


 見間違いようもありませんでした。痩せて背の高い、あの頃のままと変わらない彼の姿を見つけた私は硬直していました。ですが貴之の方は私には気付いていないようでした。気が遠くなりかけていると、一緒にいた須藤が私に声をかけました。


「ユリちゃん、乗らないの?」


 須藤はエレベーターへ乗り込もうとしながら私に声をかけました。その時貴之が私の顔を見ました。彼の驚いたかのような眼の表情に気付きましたが、私はすぐに顔を逸らしました。できるだけドアのそばに立ち、元夫に背を向けたままでいました。どうか私に気付かないで欲しい、気のせいだと思って欲しいと願っていました。

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