第60話 転機

 営業職として仕事が変化してから、めまぐるしく日々が過ぎてゆきました。必ず毎日というわけではありませんが、週の大半は外回りをしていました。須藤に同行することや、別の営業社員の取引先へついてゆくこともありました。


 もともと人に会う機会の乏しかった自分には不思議な、まるで新しい世界でした。今まで知らなかった世界を見られるのは、貴重な、恵まれた社会経験でもありました。


 同じ部署の営業社員の方達からも、いろいろなアドバイスを受けました。皆さんそれぞれのやり方がありましたが、やはり須藤の営業スタイルが私には響くところがありました。彼の経験値の高さや感性、感覚には学ぶべきところが多々ありました。


 売ろうとしなくていいから、と須藤は言いました。売ろうとすると辛くなるから、人に会うのを楽しめばいい。断られるのが当然だと考えていた方がいい。でもどんな風に断るのかを見れば相手の人間性がわかるから、それを面白がってみればいいじゃない。そんな風に、彼は楽しげに話すのでした。


 須藤の感覚が私には目から鱗のように感じることがよくありました。営業をしていればいろんな人に出会える。売ろうが売るまいが、人とのつながりができれば、そこで契約できなくても、別の人を紹介してもらえることもある。そんな風に広がっていけば面白いよね、と彼は言うのでした。


 仕事について語る彼の話を聞くのが好きでした。私には真似ができなくても、人を好きで出会うことを楽しんでいる私の上司を本当は尊敬していました。


 営業の数字を持たされるのは気持ちの良いことではありませんでしたが、最初はささやかな額でした。須藤の取引先をメインとして、一緒に担当するという形で始められたので彼が約束してくれた通り、売り上げを分けてもらうスタイルでした。須藤に寄せられる契約の一部を私の社員番号で売上入力すれば、私の数字は達成されました。


 それはもちろん恰好の良い状態ではありませんでしたが、私が自力でまともな売上を実現できるなどと誰も期待していなかったでしょう。その数か月後、退職する方もいましたから、その方の取引先を引き継ぎできることになっていました。須藤の言ったように、飛び込みで取引先や契約を獲得する必要はなく、異動や退社する社員の取引先を引き継げば、継続してある程度の数字を確保することができました。


 何もわからない世界で、私はなんとかやっていくことができました。かつては営業と聞けば、とにかく怖くてストレスフルな世界だと思い込んでいましたが、実際は想像とは違っていました。他の営業社員の方達にもいつも助けられ、甘やかされていました。


 ある時から、私の中にあった男性に対する印象が少しずつ変化していったように思います。以前は私にとっての男性は元夫のような要素のあるイメージが強かったのですが、それは明らかに偏った思い込みでした。須藤や他の人と接するごとに、もしかすると、男性とはもっと優しいのかもしれないと感じるようになっていました。私に見えていた世界が変わりつつある頃でした。

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