第56話 アドバイス

 お店に入ってゆくと、そばつゆの良い匂いがしました。すでに昼のピーク時間は過ぎていて、客はまばらでした。私達は4人掛けのテーブルに落ち着きました。


「ここは鴨南蛮そばが美味しいよ。ユリちゃんは?」


 私は温かいおそばならなんでも良かったので、須藤のおすすめをいただくことにしました。


 日頃自分が行く店はカフェが多かったのですが、おそば屋さんの和風な雰囲気も好ましく感じられました。鴨は大好きなので、鴨南蛮そばも美味しく頂きました。


 食後はそば茶を出されました。私は気に入ってお代わりも頂きました。その日訪れた会社の話をしていると、須藤は営業に関するアドバイスをしてくれました。


「もらった名刺に日付を書いておいた方がいいよ。今日だけで沢山もらったよね。担当者の顔は覚えられそうかな?名刺はどんどん増えるから、すぐに訳が分からなくなるよ。」


「はい、すでにもう、誰がどなたなのか・・・もともと人の顔を覚えるのが苦手なんです。」


 私は頂いた名刺を出して、須藤に言われたように日付をメモしました。それから、思い出せる範囲でその方の特徴や話していた内容もメモしておきました。


「大した用事はなくても、まめに顔を出して、メールや電話もしておけばだんだんとなじんでもらえる。でもユリちゃんみたいな女性が来るのは向こうにも珍しいだろうから、覚えてもらうための努力はあまり必要なさそうだ。ユリちゃん自身が彼らを覚えられるように、何かと用事を作って出向けばいい。」


 果たしてそんな事ができるのだろうかと思いました。ろくに用事もないのに会ってもらったり、時間を取らせるなんて、ハードルの高いことに思えました。


「しばらくは俺も一緒だから。ユリちゃんといると俺もいい気分だしね。仕事の話なんてしなくていいから。営業の仕事なんて、8割9割雑談しかしてないんだから。」


 それもどうかと思うような言い草でしたが、実際、須藤を見ているとその通りなのでした。私を取引先に紹介した後は、共通の知人の噂話やグルメの話題、近々飲みに行きましょう、といった相談でした。彼の取引先との関係は仲の良い友人であるかのようにも見えました。そして帰り際のほんの短い時間に、契約やビジネスらしいことをちらりとほのめかす程度でした。


「さて・・・後は、コーヒーでも飲んで行く?すぐ近くにお茶できるところもあるよ。隠れ家的なカフェとでもいうか。」


 須藤の提案に気持ちが上がりました。カフェという言葉にはいつでも魅力的な響きがありました。


「このへんにカフェもあるんですか?やっぱり須藤部長はいろんなエリアに詳しいんですね。ぜひ行ってみたいです。」


 私はカフェめぐりが趣味でした。初めてのお店へ訪れる時はいつも、新鮮なときめきを覚えます。確かに営業の仕事というのは楽しい面もあるかもしれないと感じました。


「歩いてすぐだから。車はここの駐車場に置いたままでいいよ。じゃあ行こうか。」


 須藤は伝票を取って支払いに行きました。私も彼の後に続きました。

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