第29話 傍観

「ユリちゃんは温泉が好きなんだね。あのホテルは大浴場もあるし、食事も美味しいらしいから、次は泊まりで来てみようか。」


 帰りの車の中、助手席から須藤が言いました。再び私が運転していました。札幌から小樽への道のりは私には長距離でしたが、往復で運転できるようになったことは感慨深いものでした。


 須藤の提案は悪くないものでしたが、私達のこの関係がしだいに深みにはまりかねない気がして好ましく思われませんでした。


「お気持ちは嬉しいのですが、ご家庭の方も心配ですから・・・無理はなさらないで下さい。日帰りであっても、とても楽しかったです。」


 失礼のないように受け答えしたつもりでした。


「ユリちゃん、俺はもともと出張も多いし、泊まりで出かけたところで家族は気にしないよ。俺ができると言ったらできるんだよ。近いうちに、ユリちゃんとどこかへ旅行に行きたいと思うんだけど。」


 私の言い方は良くなかったのかも知れません。須藤は自分が信用されていないと思ったのでしょうか。かえって強く主張されてしまいました。


「・・・ありがとうございます。いずれ、そのような機会があったら嬉しいです。でも次の土曜日は、私の家に来ていただけますか。外出も楽しいのですが、やはり人目も気になってしまうので。いつもご馳走になってばかりですから、次は私の家で昼食をいかがですか?」


 須藤の誘いは軽く流しつつ話を逸らしました。私の提案に須藤は声を弾ませました。


「ユリちゃんのアパートにお邪魔していいの?ユリちゃんの手料理が食べられるということ?」


 思った以上に須藤は嬉しそうな表情を見せてくれました。うきうきとした彼の様子に心が和みました。


「でも、特別に料理が上手なわけではありませんから、期待はしないで下さいね。」


「ユリちゃんは家庭的な人だと聞いているよ。会社にはお弁当を持ってきているとか・・・きちんとしているね。次の土曜が楽しみだよ。」


 ずいぶんと嬉しげな須藤の様子に、愛人とは楽な稼業だと改めて思いました。結婚生活の重労働と報われなさに比べると、天地の差でした。ただしハイリスクではありましたが。金融商品もリスクが高いほど高利回りになるものです。世の中はそのようにできているのでしょうか。


 須藤は割の良い仕事を与えてくれました。週に一度、この人に心地よく過ごしてもらえれば、やりがいがあるというものでした。


 愛人だろうと、娼婦だろうと。自分なりに取り組んでみようという気持ちでした。道徳もプライドもすでに追いやった私に残されていたのは好奇心だったのかもしれません。


 もう私は道を逸れてしまった。自分がどこに向かっているのかはわからない。


 もう私は昔の優理香ではない。


 この先の世界に、何が見えるのか。


 この際ならば見届けてやろうと、不遜ながらも、どこか他人事のように自らを眺めていました。

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