第2話 こころ
「え、え? 産まれるって今から!?」
思わず俺の声が裏返ってしまった。峯と川田も「へ?」とアホ面になっていた。
「さっき桃はあと1週間くらいって......」
「若年出産だから色々リスクがある。こんな風に早産になる場合だって多いらしい」
唸り声をあげる三上の背中を擦りながら田中先生が言った。田中先生は5歳の娘がいるので、そういうことに関しては俺達より多少たりとも詳しいのだ。
「な、なら早く誰か呼んだ方が!」
峯のその発言には、田中先生は背けるようにした。俺にはその意味がすぐわかった。
「峯、誰か呼んだら三上の妊娠がバレて俺らが危うくなるぞ?」
「あっ......」と峯が気づいたようで、表情がやや翳り俯く。
「とにかく! はやく三上さんを横にしよう! 3人は机を並べて寝かせれるようにしてくれ!」
俺がまず動き始め、続いて峯、川田の順に机3つを縦に並べた。
中央に並べ終えると、田中先生のとこに行き4人で三上を持ち上げた。
三上は妊娠しているので、結構重いんだろうなと思っていたが、4人がかりなので流石に軽く、そのまま並べた机の上で横にさせた。
田中先生は即座にスカートの下からパンツを脱がし、M字開脚にさせた。
「ほ、本当にこんなんでいいのかよ」
峯が田中先生のそれだけの作業にいたたまれない不安を持っているようだった。それは俺も同じだった。
「わ、分からない......僕は医療関係者じゃないし、出産の際はただずっと妻の手を握り応援していただけだから......」
田中先生のその不安気な表情が、さらに俺達を不安にさせた。
「じゃあ俺達も三上の手を握りましょう。俺がこっちの手を握るから峯はそっちを頼む」
三上を乗せた机を挟んだ向こうにいる峯が頷くと、俺達は三上の手を握った。思ったよりも強く握り返され、俺は少し動揺してしまった。
「おいしっかりしろ三上」
俺の語りかけにも三上は「んんんんん!」とただ苦しそうに唸っている。額の汗がサウナに入っているレベルで出ている。
俺はいつの間にか自分の身より、三上の安全を気にかけていることに気づいた。
それから1時間半くらいたった。教室の時計を見ると、5時半になろうとしていた。
あれから三上は少し落ち着いたり、苦しくなったりの波の繰り返しで、その姿は本当に俺たちの心を惑わせた。
窓の外からは夕陽の光が差し込み、教室を照らしてくれている。
あれからずっと俺と峯は離すことなく手を握り続けているため手汗が凄かった。川田は机の傍で暗い面持ちで見守っており、田中先生はなにか考え事をしているようで、ずっと顎に手を当てていた。
「あと、どんぐらいかかるんですかね」
さっきまで「ヒッヒッフー」と繰り返し言い続けていた三上も少し落ち着いたようで、額に手を置きはぁはぁと息を漏らしている。俺はその間にふと思ったことをきいた。
「妻が陣痛を起こして産まれるまでは10時間かかったかな......」
俺はまるで、自分の寿命があと70年あると思っていたのに、医者から7年と告げられたような感覚に陥った。
「じゅ、10時間!?」
代わりに声をあげて
「個人差はあると思うけど、僕の妻はそうだった」
「そ、それじゃあその計算で考えたとしたら、三上の子供が産まれるのは深夜2時ってことになりますよ!?」
そんなの絶対にそれまで人がここにきて、大騒ぎになるに違いなかった。田中先生が「あーどうれば」と、手で顔を覆い尽くしているのを見て、さっきからこのことを悩んでいたのかと分かった。
「切って......」
突然そう言葉を吐いたのは、他の誰でもない三上だ。今にも意識を失いそうな顔色だが、その言葉には濃い魂のようなものが詰まっていた。
「え?」
田中先生は顔をあげ、何を言ってるんだと言いたげな表情をしていた。
「切って、もともと私は医者から帝王切開を勧められてたの。私とこの子の身の安全を重視してくれてね。頑張って粘ってみようと思ってたけどもう無理。このままじゃこの子が危ない。だから切って」
帝王切開、聞いたことのある程度の認知でしかないが、「切って」から大体の予想はついた。
「切ってって......無茶を言わないでくれ! さっきも言っただろ? 僕は医者じゃない。そんな知識もないまま手術なんかしても絶対に2人を殺してしまうことになる! それにメスもなんにもない!」
「でもこのままじゃこの子が死んじゃう!! 私は死んでもいい! 私の生死なんか気にしなくていいから無理矢理にでもこの子を出して!!!」
三上の顔は本気だった。それでも俺達が素直に「うんわかった」と言えるはずもない。
「桃! 何言ってんだよ! 誰がお前を殺すもんか!」
「うるさい!! 別にお前なんかにそんな言葉を掛けてもらっても嬉しくないんだよ! 私が愛してるのはこの子だけ! この子を殺すような真似したら死んでも一生恨み続けるからね!」
三上の気迫に峯は怯んでいた。
「もう私の家族はこの子しかいないの......お母さんもお父さんも私を残して死んだ......この子だけが唯一の家族なの。もう死なせたくない。だからお願い......切って」
三上の頬に汗と涙が流れる。俺はかける言葉がまるで見つからなかった。もしそれをしたら、全部空気となって消えてしまいそうだった。
少しの沈黙の後、田中先生の重みがかった「わかった」という声が各々の耳に響き渡った。
その時、三上は微笑んだ。それは今までの悪魔の笑じゃない。お母さんの笑だった。そう俺は思った
「でも、切るってどうやるんですか?」
川田が弱音を吐くようにして田中先生にきいた。
「んーーーメスもないしな」
田中先生が例のポーズで考え込む
「俺、カッターナイフなら一応ありますよ」
峯の口調からして、自分でも無理だろうと分かっているのが伝わってきた。
「さすがに切れ味か悪すぎるかな......なにかないかな」
俺はふと思いついた。奇跡と言ってもいいかも知らない。
「ここ家庭科室です! 隣の調理室に包丁があるはずです!」
田中先生と峯と川田が「ああっ!」と同時に声をあげた。
「それだ! その手があった!」
田中先生が手の平にもう片方の握られた手でスタンプを押すようにして叩いた。
「俺すぐに持ってくる!」
峯が即、隣の調理室に走り30秒もかからずに戻ってきた。
峯が持ってきたのはよく見る出刃包丁だった。カッターナイフなんかと比べれば切れ味は抜群だろう。
峯が「はい」と田中先生に包丁を渡す。
「や、やっぱり僕が切るんだよね」
俺達はそりゃあねと頷いた。
「んんんんん!! 」と三上がまた唸り始める。辛い波が来たようだ。
田中先生が波がひくのを待つかどうか迷っていると「はやく」と三上の咽喉から漏れた。
「う、うん」と田中先生はワンピースの長いスカートを胸元までめくり、大きなお腹が露になった。
出刃包丁を膨らんだお腹の上で構えるが、小刻みに震えていた。
「先生、落ち着いてください」
俺がそうは言うも、震えは止まらない。無理もない。先生はただの社会の先生で手術なんかしたこともない。人の皮膚を刃物で切り開くなんて、恐怖以外にない。
「わ、わ、わかっている」
腕に伝染してか声も震えていた。
「て、帝王切開って腹きんのか? 子宮って聞いたことある気がするんだけど」
責任重大ではない峯は飄々と口にする。
「そ、そうなのかい? なら峯くんがやってくれ。やはり僕にはできそうにない」
「無理無理! 先生が一番可能性あるじゃないですか!」
峯は顔の前で両手を素早く左右に振った。
「な、なら俺がやります」
なぜ俺からそう言い出したのかは自分でも分からなかった。気がついたら口から勝手に出ていたのだ。
「ほ、本当かい?」
田中先生の顔が急に緩み、弛緩したのがわかった。川田の声から「すごい」と感嘆が漏れたが、喜んでいる暇はない。
「やってみます」
田中先生から出刃包丁を受け取る。ろくに料理もしたことがない俺が、まさか帝王切開のために包丁を握る時が来るとは思ってもいなかった。
じゃがいもを切る感覚で挑むと間違いなく失敗するなと痛感しながら、三上のお腹の上で構えた。
田中先生ほどではないが、俺の手も少し震えていた。
「ほ、本当にいいんだな?」
三上に最終確認を取る。問題ないと頷いた。
「結局腹から行くんだな」
俺は「ああ」と振り向かずに答えた。
子宮から行こうと初めは思ったが、俺の場合殺す気で行くので手っ取り早く腹を切ろうという単純な考えだった。
三上は捲られたスカートの先を歯茎をみせるくらいに強く噛んでいた。
俺は一呼吸置くと、刃の先をお腹の盛り上がり始める所を軽く刺した。
「んっ!」と低い声が聞こえたが、俺は聞こえない振りをした。
そのまま奥深くも浅すぎもしない程度で切り込みを一直線下にめがけてつけていく。まるで赤いボールペンで線を描くように。
「んんんんんっ!!」と三上が苦悶する。それでも俺は手を止めなかった。
あまり奥深く切りすぎると中の赤ちゃんに被害が及ぶかもしれないと心に刻みながら慎重に切っていく。
お腹の肌色はもう見えない。全身が赤で染められていた。俺は心をかき乱す耳を精神的に遮断し作業を続ける。
切込み部分を何度も刃を通し、ようやく、お腹が真ん中でパカパカと若干動くようになった。俺は包丁を置き、その割れ目の隙間に両手の指を引っ掛け「ごめん」の一言で
お腹が両サイドに見開いて、中の様子が丸見えになる。
そこにはいた。
悶え泣く三上と一緒で、その子もワンワンと元気に泣いていた。
俺はゆっくりと腹中に手をいれ、赤ちゃんをうなじを支えるように抱え持った。俺は初めて赤ん坊をこの手で抱いた。初めては自分の子供だと思っていた。いや、もしかしたらこの子がそうなのかもしれない。
へその緒がびよんと伸びており、それを辿るように下を見ていくとあれはなかった。
元気な女の子だった。
俺は三上に赤ん坊を抱かせようとしたが、既に断末魔で動いていたのは口だけだった。
「よかった.....こころ......」
三上は自分の娘を抱くこともなく死んだ。
時刻6時、段々夕陽が沈んでいく頃、最終下刻1時間前の放送がなった。
赤ちゃんは家庭科室にあったラスト1枚だけのタオルで巻かれている。へその緒はついさっき勝手に落ちた。
さっきまで赤ちゃんは泣きわめいていて、帝王切開の時もそうだが、外に声が漏れそうでハラハラしていたのだが杞憂だった。
泣き疲れて眠っている赤ちゃんを抱く田中先生を見ていると、やはり慣れているなと感慨させられた。
そして、机の上で大量の血を浴びて死んでいる三上に視線を移す。今思い返せば、本当に三上は鬼のような精神力を持ち合わせていたと思う。普通なら絶対途中で気を失っているはずだ。でも三上は自分の娘の姿をその目にするまで意識を保ち続けていた。俺はその情景を何度も頭でフラッシュバックし、その度に思った。
どうしてこうなってしまったんだろう......
告白を少し期待していたのに、告白をされたものの、その内容は妊娠だった。それからどうしようと悩んでいる末に新たな悲劇が訪れた。三上の子供は俺の滅茶苦茶な帝王切開により誕生した。
俺は記憶を巡らせていると、最後の三上の言葉で回想は終わる。
「よかった......こころ......」
こころ、きっとあの赤ちゃんの名前だろう。三上はどんな思いであの赤ちゃんに名前を付けたのだろうか、どんな字を書くのだろうか、今となっては知る術もなかった。
「俺、桃とは2年生の時に付き合ってたんだ」
突然、峯がカミングアウトした。
「なんとなくそうは思ってた」
俺は答えた。
「2年の最初、大して好きでもなかったんだけど可愛いかったから付き合った。そしたら段々本気になってきてさ。でも向こうは遊びだったらしくて、3年の最初にあのセックスを最後にして別れたんだ」
峯の頬に涙が伝っていた。
俺は「そうか」などしか、ろくな言葉をかけてやることができなかった。
「とりあえず、はやくここを掃除しよう。あと1時間しかない」
田中先生が赤ちゃんを抱え、時計を見ながら言った。
「三上さんはどうするんですか?」
川田の素朴な疑問に俺も考えていたところだった。このまま放置するわけにもいかなしい、かといって救急車を呼んだら全て水の泡になる。
「それは教室の血や羊水とか拭き取ってから考えよう。僕が赤ちゃんを見とくから3人は何か拭くもの、雑巾とか持ってきてくれ」
俺達3人がこくりと頷くと、久しぶりの廊下に出た。
そして、雑巾を見つけるのはなんと20分後だった。
「なんでこんな所しかなかったんだ!」
隣を走る峯が大量の雑巾を抱え、形相を浮かべていた。
峯が怒っているのは、いつもはそこら中に干されてある雑巾が今日に限って全くなかったからだ。そして、見つけた場所は4号館の1階奥の家庭科室の正反対、1号館の4階手前に大量の雑巾が無造作に放られてあったのだ。
「なんでか知らないけど、いつもバラバラに干されていた雑巾がさっきの場所にまとめられてたみたいだな」
峯が「ちっ!」と舌打ちをする。
川田は運動不足のようで少し後ろで「はぁはぁ」と肩で息をしながらついてきていた。
「やっとついたぜ」
峯と俺が家庭科室の前で立ち止まると、やがて川田も着いた。川田は当然だが、峯も少し息を切らしていた。俺はへっちゃらだった。
「早く終わらせよう」
俺はそう口をして扉を横に開こうとした。
しかし、開かなかった。
何度横に開けようとしても、ガタガタ音を立てるだけでビクともしなかった。
「おい、なにやってんだよ」
「開かないんだよ」
「は?」
俺を手で払い除け、峯も同様に開けようとする。しかし、結果は変わらなかった。
「ど、どうして?」
川田もようやく落ち着いてきた息遣いで疑問を口にした。
「おい先生! なんで鍵閉めてんだよ! 開けてくれ!」
峯の馬鹿でかい声は廊下に反響するだけで、扉の向こうからの返事はこなかった。
「田中先生! 開けてください!」
俺も試しにするが、やはり結果は同じだった。
「は? 一体どうなってんだ。どこいったんだよ先生」
峯が乱暴に扉を蹴り、イライラしていた。
「裏に回って窓から覗いてみよう」
幸いにもここは1階なので、家庭科室の窓を裏から見れる。俺達は走って裏にまわり、外から窓越しに家庭科室の中を覗いた。
「誰もいねーじゃねえか」
峯の言う通りだれもいなかった。田中先生の姿もこころの姿も見当たらない。
そして、俺は目を疑った。みんなも気づいたようだ。
「な、なんで三上の死体もきれいさっぱり消えているんだ?」
机の上に横たわっていたはずの三上の死体が、魔法をかけられたかのように消えていたのだ。ただ、魔法使いは血と汚れは消してくれなかったようだ。
「わ、わかんねーよ......」
峯の怒りが恐怖に変わっていた。
とにかくどうにかして中に入らないと、と思い俺は開いてないだろうなと半ば諦めながらも、窓を開けるよう横に力を入れてみた。
すると、ガラガラと音を立て窓は開き、勢いで帰ってきてまた閉まった。
俺達は窓から家庭科室に侵入する。
そして、俺達は頭が真っ白になるような光景を目のあたりにした。
田中先生のうなじが半分開いた状態でうつ伏せに倒れていたのだ。首あたりは血だらけで、田中先生の傍には帝王切開の際に使った包丁が、机の上にあったはずなのに捨てられていた。
田中先生は亡き者になっていた。
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